保良宮の残骸
山部王と種継は吉備真備が組織した軍団のうち、藤原宿奈麻呂を将とする部隊に入って仲麻呂を追撃した。
山部王たちは、仲麻呂が都を後にした二日後の、十三日の朝に
贅を尽くした保良宮は焼け落ちて無残な姿をさらしている。
火が消された跡はなく、燃えるがままにされたらしい。
宮門は八つの大きな柱を残してきれいに燃えて、屋根から落ちた瓦が山になっている。白木の柱は黒い消し炭に変わり、灰色の空に向かってむなしく立っている。都の大極殿よりも豪華だと言われた保良宮大極殿は土壇しか残ってなく、何棟もあった屋敷は全て燃え落ち跡形もない。穀倉も焼かれて、米俵が炭の固まりになって散らばっていた。厩や犬小屋までも焼かれていている。白壁の塀は外に向かって倒されていて琵琶湖がよく見える。以前に勤めたことがなければ、百年前に捨てられた宮だと言われても疑うことはない。
不思議なことに一人の死体も、一頭の馬の死骸も見あたらない。焼け跡を見物に来ている人もいなければ、近くの家にも人影がない。
山部王は馬を下りて消し炭を手に取ってみた。炭は昨日降った雨水を吸って濡れている。
唐風趣味が嫌みっぽかったが、保良宮は仲麻呂卿の権威の象徴だった。どうして自身の権威の象徴である保良宮を焼いたのか。仲麻呂卿は瀬田橋を渡ったところにある近江
山部王は横に来た種継に炭を渡した。
「宮を全焼させるほどの火事なのに、死んだ人がいない」
「保良宮で戦いになると思って緊張していたが、近江国衙からも人が来ていない。一体何が起こっているのだろう」
「静かすぎる。どこかに伏兵がいるのではないか」
山部王と種継が保良宮の宮門跡に立って、周りを眺めていると雨が降ってきた。灰色の雲は厚く本降りに変わるだろう。鎧の隙間から入ってくる雨水は冷たく、体温を容赦なく奪ってゆく。
早良王が駆け寄ってきた。
「兄さんも、種継兄さんも早く来て。瀬田橋が燃え落ちてる。近江の国衙へは行けない」
山部王と種継は早良王に先導されて瀬田橋に急いだ。
瀬田橋は、両岸のわずかな部分を残して見事に落ちていた。点々と立つ橋脚が橋の大きさを語っている。河原に落ちた橋の残骸は黒い炭となって、沢蘭や葦原の上に散らかり、川の淀みにはすすけた木が回りながら浮いている。
種継がつぶやいた。
「仲麻呂卿は橋を落として俺たちの追撃を阻むつもりだ。近江国衙に兵を集めるための時間稼ぎをするのだろう。保良宮は俺たちが使えないように焼いたのだ。瀬田川が浅くなっているところを探すか船で渡るか。いずれにせよ敵が待ち構えているところへ突っ込んで行くことになる」
「種継の言うことはもっともらしいが、少しおかしい」
山部王は拾い上げた小石を、対岸へ向かって投げた。
「仲麻呂卿が近江国衙に陣取るにしても、保良宮を一戦もせずに焼いてしまうのは不自然だ。瀬田橋の向こう側に見張りがいて当然だが誰もいない。第一、大軍を作って都に上るのなら、瀬田橋がなくては都合が悪い」
「仲麻呂卿はどこへ行ったんだろう」
山部王が答えようとしたときに、宿奈麻呂から集合が掛かった。
山部王たちは鎧の音を立てながら宿奈麻呂の前に立つ。
「吉備真備様の命令を受けた
宿奈麻呂が「みな良いか」と大声を上げると、山部王たち二百の兵は右手を高く上げながら「オー」と答えた。
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