第32話君でよかった

金竜の死んだ山、その麓で俺とフリージアは下りた。


 リッツとルシャもついてきた。本当は山の麓に居ていてほしかったのだが、二人とも聞かなかった。


「なぁ、おまえの連れ大丈夫なのか。思いっきりふらふらしてるけど、この山は険しいぞ」


 リッツが、フリージアのことを心配する。

 傷は癒えて歩けるようになったとはいえ、フリージアの歩調は安定していなかった。山道を登らせれば、すぐに倒れてしまいそうだった。そもそも聖者なんて引きこもりみたいな生活である。聖王に就任するときだって、二十分歩かせるのにドキドキしたぐらいの体力しかフリージアは持っていない。リッツが不安に思うのも、無理はなかった。


「いざとなったら、俺が背負って上る。大丈夫だ」


 俺とフリージアは、山を登る。

 聖騎士として鍛えてきた俺には何てことない山道だったが、フリージアにはきつい。というか医者に治ったといわれたけど、フリージアって山道を登っても大丈夫な体なのだろうか。


 医者だって、まさか聖王が山道登るなんて想定していないだろうし。山登りさせて、傷口がひらいたらどうしよう。いや、さすがにもう傷口は完全に癒着はしているだろうけど。


「エル」


「まさか、傷口開いたか!」


 俺の言葉に「違うわっ!!」と怒号が飛んできた。

 意外と、元気だ。


 だが、思いっきりバテていた。予想通りだったので、俺はフリージアを背負うことにした。背負った彼は、金竜であることが信じられないくらいに軽かった。まるで、胴体に何も入っていないような空虚な体重だ。


「エル、軽蔑してくれ」


 フリージアは、そう切り出した。

 俺は、一瞬だけ足を止めた。だが、すぐに歩き出す。山頂までは、まだまだ遠い。リッツやルシャも息を切らしていたが、聖騎士の俺にはまだ体力の余裕があった。


「金竜は、ただ友人が欲しかったんだ。自分のことを心配してくれて、自分のことを思って泣いてくれて、自分を信仰しない友人が――自分と同じ土俵にたってくれる友人が欲しかったんだよ」


 人間の輪にも、竜の輪にもはいることができない、強大な金竜。

 人と竜との狭間にたった彼は、思った。

 人であろうと竜であろうと、どっちでもいい――友人が欲しい。


 でも、できれば両方の友人が欲しい。


 だから、人から武器と言う歴史を取り上げて、竜と仲良く出来なければ滅びる運命にしよう。そうすれば人と竜は共存して、金竜はどちらとも友好を結べるかもしれない。


 金竜は、欲張った。

 だから、千回の転生を乗り越えられた。

 それは、欲望に対する正当な努力と思ったからだ。


 俺は聖騎士になりたいと思って、努力をした。その努力が報われなかったとしても、俺は無駄な努力をしたとは思わないだろう。聖騎士には、俺にとってソレぐらいの価値があった。


 金竜も同じだったのだ。 

 二種族の友人を得るための千回の転生は、彼にとっては努力ではなかった。その努力でさえ届くかはわからない、もっと遠い憧れだった。


「結局、僕は一つしか手に入れられなかった」


 フリージアは、俺にぎゅっとしがみついた。


「君しか・・・・・・手に入らなかった」


 魔力と記憶を分かち合ったのは、偶然であった。


 それでも、あの時に俺とフリージアの間で切っても切れない絆が生まれた。他の人間とだってそうだ。同じクラスにならなかったら、リッツと知り合わなかった。聖騎士を目指さなかったら、ルシャと再会しなかった。聖騎士にならなかったら、リリアにも会わなかった。どれもが、偶然の積み重ね。


「友情なんて、偶然でしか手にはいらないもんだろ」


 俺は、軽々しく言えてしまう。

 友情に運命も宿命もなく、ただ偶然が積み重なるのみ。フリージア以外にも、そんな友情を結んだ相手が何人もいたから、俺はそう言えてしまえるのだ。


 フリージアは、それさえも知らなかった。


「エル……本当に自分の選択が正しいのかは君自身がきめるといい」


 山の頂上で、フリージアはそう言った。

 俺は、フリージアを自分の背中からおろした。


 そして、フリージアは地面に手を当てる。


 不思議なことに、風が地面から吹き出た。まるで温泉が吹き出たみたいに勢いよく、風は空に向って拭いていく。そして、次の瞬間には周囲は黄金色に輝いた。


 何かが起こるという予感はした。


 けれども、驚くのはリッツやルシャだけでフリージアは動じない。黄金の輝きに包まれて、フリージアは俺を見た。


 ここで俺たちが魔力を注ぎ込めば、きっと金竜が残した魔法は再現さえるであろう。


 だが、そうなればルシャとリッツも消えてしまうかもしれない。


「エル、人間っていうのは案外いいものだよ」


 フリージアは、そう言う。


「でもな、人は……誰かを傷つけるんだ。おまえだって、テサレシスに色々されたろ。おまえなら、俺は人に復讐してもいいと思うんだ。おまえは、元が竜なのに人に優しくしすぎなんだよ」


 それは、俺の本心だった。

 そして、逃げだった。


 俺自身が、人を滅ぼして欲しかったのだ。竜たちが金竜に人間を滅ぼすことを願ったみたいに、自分勝手に俺は願った。


「いや……だって、しかたないじゃないか。初めて出来た友人が、人間だったんだから」


 フリージアは、笑った。

 俺は、足を止める。


「そっか……おまえはずっと一人で」


 フリージアは千回の転生に耐えた。

 でも、最後の一回で耐え切れなくなった。


 それはたぶん、魔法を使うときが近づいていたから。そして、人が戦争から逃れられないと書いてある本を読んで――やはり竜との共存は無理なのではないかと思ってしまったから。


「僕は、初めて出来た味方を信じる。故に、最後は君に託そう」


 フリージアは、俺に手を伸ばす。


 この手を取れば、人は滅ぶ。

 この手を取らなければ、人は滅ばない。


 俺は、ルシャたちのほうを振り返る。

 彼女たちは、何も言わない。俺がやることを信じている。俺が悪いことをしないと信じて背中を押してくれている。


 涙が出た。


 初めて知ったのだ。


 背中を押されたとき、人は信頼されるのだ。


 この人ならば大丈夫。

 悪しきことには手を染めない。

 だから、大丈夫。


 そういうふうに信頼されて、背を押されるのだ。


「エル、僕は人を信じる」


 フリージアは、そう言った。


「人のなにを信じるんだ!」


 俺は、フリージアに向って叫んだ。


「前にも言っただろう。平和を目指す心だ」


「テサレシスにもそれはあったのか!?」


 俺の言葉に、フリージアはようやく納得したようであった。


「なんだ、君はただ僕の兄に怒っていたのか。あの人は、あの人なりに国と人々の平和を願っている。たしかに、僕の子供が生まれれば次の世代でルフの国は荒れるだろう。国が痩せれば、人々が路頭に迷って、貧困に落ちる。そこから生まれるのは、平和とは反対のものだ。だから、テサレシスは危険な目を摘み取ったに過ぎない」


「だからって……もっとやりようが」


「エル」


 金色の光に包まれて、フリージアは笑う。

 それは同い年の男のものではなくて、何度も人生を繰返した金竜の微笑みであったのだと思う。魔法道具の発動が近いのだ、と俺は感じた。あと一押しで、金竜の魔法が発動される。黄金の煌きのなかで、フリージアは笑う。


「後悔はしていない。これが僕の最後の人生だ」


 フリージアは、すでに選択をしていた。

 それでも、なお俺に選択を委ねていた。

 俺を信頼して――ただ見守っていたのである。


「フリージア、俺はな……」


 お前が未だに、小学生に見える。


 歩道橋から絶望して飛び降りた、小学生に見えるのだ。

 だから、自分で不幸に落ちていこうとするフリージアの手を止めたい。とめることができないのならば、世界そのものを壊してしまいたい。


 でも――……俺は、リッツとルシャを見る。

 フリージアを救いたいがために人間を滅ぼせば、彼らは消える。


 この世界で俺が得た、友人たち。地道に生きて、恋をして、ときにバカをやり、常に支え合った大切な友人たち。彼らを生かせば、フリージアが不幸になる。


「フリージア、俺は……たぶん、お前が一番大切だ。お前をずっと守りるために頑張ってきた。でも、大切なものを一番に優先できるほど人生は甘くなかったんだ」


 金色の光が消える。


「エル」


 フリージアが、俺の名を呼んだ。


「魔力と記憶を分け合ったのが、君でよかった」


 その言葉を聞いて、俺は涙を流していた。


 ぼろぼろ、ぼろぼろ、流れる涙。今まで生きてきて、こんなふうに泣いたことはなかった。悔しかったり、悲しかったりして、流れる涙ではない。嬉しい、という感情でもない。


「フリージア……俺も、あのときお前と出会えてよかった」


 会社でお祈りメールを送られてきた帰り道――俺は歩道橋の上で小学生を見つけた。

 それが、俺の人生の全ての始まりで。

 それが、俺の人生の全ての終りだった。

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