第26話聖者の望み
医者の見立てでは、フリージアの経過は良好とのことだった。
切られてすぐに消毒し、古代魔法で傷を塞いだので化膿せずにすんだのであろう。ルフ国の医療レベルであそこが化膿したら、確実に死ぬしかない。フリージアの判断は正しかったし、同時に古代魔法が使えてよかったと思った。使い方が限定された現代魔法では、こうではいかなかった。
ただ、問題点が一つあった。
「エル、その痛み止めを消しておいてくれ。絶対に、体に悪い」
ルフ国のよく効く痛み止めは、現代日本だったら確実に取締りを受けそうなものだったのである。香炉に入れて焚くのだが、フリージアは「依存しそうだから」という理由でできるかぎり消していた。まぁ、麻薬と麻酔って紙一重な部分があるかなぁ。
俺は、できるかぎりフリージアの側にいた。
賊が押し入ってきたという対外的な理由やリズとリリアが失踪して人手が足りなくなったという理由もあった。
なにより、あのときのことが頭から離れなかった。
とても、怖かった。
あんなもの見るぐらいだったら、生まれてこないほうがマシだと思った。
今でも、夢に見る。
そして、実際に行なわれたフリージアは俺以上の恐怖を味わったのだろう。痛みだって、恐ろしいぐらいにあったはずだ。それでも、フリージアは気丈にしていた。
俺たちは、いつの間にか二十歳になっていた。
現代では成人式などで華やかな年齢だが、十五歳で大人とみなされるこの世界では二十歳は大きな意味を持たない歳の数だ。
局部を切り取られたフリージアの一年は、ほぼ治療とリハビリで終わった。何のリハビリかと思うかもしれないが、人間はベットに寝たままでいると足腰が弱る。だから、足の筋力が弱るほどの長い患部の治療を終えたフリージアは、しばらくは歩くリハビリをしなければならなかったのだ。
それに、医療が未発達の世界での蛮行だったのだ。
フリージアは歩くたびに痛みに襲われるらしく、彼はいつも杖を使って歩いていた。それでも、毎日歩いていた。そして、自らを傷つけた兄を目の前にしても、うろたえずに笑っているだけの強さがあった。
それでも、その強さがハリボテのものであると俺は気がついていた。
「……くっ――つぅ」
時折、夜になるとフリージアは脂汗をかきながら布団を握り締めて身悶える。悲鳴をかみ殺し、悪夢や痛みから逃げようともがく。
終りは、ない。
あの恐怖と痛みは、フリージアのたった一度の一生に付きまとうことであろう。できることならば、その記憶を俺が受け取りたい。だが、それはできないだろう。
俺とフリージアの記憶が混ざったのは、俺達が生まれ変わる前のものだけだった。エルとフリージアの今の人生の記憶が、混ざることはないだろう。
そして、フリージアが新しい人生に生まれ変わることもない。
千回の転生をした聖者の最後の人生なのに――フリージアはこの先ずっと痛みの記憶に苦しめられる。そして、リアルな傷の痛みももしかしたら消えないのかもしれない。傷はふさがっているはずなのに、フリージアはとても痛がった。
痛み止めを焚こうとしたときもあったが、麻薬に似ているそれをフリージアは嫌っている。本当に危ないとき意外は、使うなといわれていた。
フリージアは、自分に逃げることを許さなかった。薬に依存していれば楽になれるのに、それを許さない。それが、ものすごく残酷に思える。
苦しむ姿なんてみたくないのに、フリージアは苦しみ続ける。
俺は、何度も香炉に火を入れたくなった。フリージアの部屋を薬品で満たして、何にも感じなくしてやりたかった。だが、それはフリージアが望まない。
「なぁ……フリージア。竜の望みどおり、人間なんて滅ぼしていいんじゃないのか?」
苦しむフリージアを見て、俺はそんな言葉を口にしたりする。
他人を傷つけるだけの人間など、生きている価値なんてないような気がしてしまうのだ。フリージアが苦しむ夜を越えるたびに、俺のその思いは強くなっていった。
「エル。お前は最近、顔が怖くなったな」
ある日、フリージアにそんなことを言われた。
リズとリリアが行方不明になったこともあり、今や俺は一番フリージアの近くにいる護衛となっていた。俺は不自然ではなくフリージアの側に居ることができた。
それは十年前の夢が叶ったことであったが、ぜんぜん嬉しくなかった。
あの頃に語った夢は、こういう結末ではなかった。もっと夢があふれるもので、何の確証もなく出合った人々全員がハッピーエンドになるのだと思い込んでいた。
「だから、顔が怖い」
フリージアは、俺の眉間にデコピンした。
元々気安い関係ではあったが、俺が護衛につくことが多くなってフリージアの遠慮はさらになくなった。昔はわりと口だけのことが多かったが、今は結構手がでることも多い。非力なので、大したダメージはないが。
「エル、おまえが怖がる気持ちは分かる」
フリージアは、俺を見ていた。
その顔は、穏やかだった。毎夜、痛みと恐怖に苛まれるとは思えないほどに、昼間のフリージアは穏やかだった。
「正直、僕もこれまでの経験したことないことだし……あれにドン引く気持ちも分かる。でも、あの光景に飲み込まれるな」
その声は、強かった。
歩くのに杖を要するのに、今のフリージアはどんなものにも害されない強さを持っていた。テサレシスでさえ、彼を害することはできないだろうと思った。
なのに、俺はあの光景から逃げ出せないでいる。
あの、血まみれのベットの上の光景から。
そんな俺を見て、フリージアはため息を突いた。
「あのな、僕の今までの人生が平坦だったと思っていたのか」
フリージアは、犬にするに俺の頭をなでた。
とても無造作な手つきで、遠慮なんてなかった。
「僕にとっては、あんなことはなんてことはないんだ。だから、君は気にするな」
「嘘だ!」
俺は怒鳴った。
思えば、俺はフリージアに怒鳴ったことなんてなかった。フリージアは、俺の怒鳴り声を余所見もせずに聞いていた。
「なんてことないなんて、大嘘だ!強がりだ!!おまえは、大馬鹿だ!!」
さっさと俺の魔力を使ってしまえ。
俺が奪い取った、魔力を使って、人間からさっさと戦争を奪ってやれ。そして、戦う手段をなくした人間を滅ぼして――俺は固まった。
今、ようやくフリージアの魔法が分かった。
彼が竜時代に魔力を貯めたのは、人間から戦争を奪うため。
人間の武器を全て無力化するため。
そうなれば――竜が望んだ人を滅ぼすという望みも簡単に叶えることができる。
「フリージア、それがお前が望んでたことなのか?」
「違う!」
俺の考えを呼んだかのように、フリージアは否定した。
「正直に話そう。金の竜の昔話だ」
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