第25話嗜虐※残酷な描写が含まれます
リッツの面倒は、リリアに任せた。彼女の性格からして引き受けてくれないかとも思ったが、彼女はリッツの面倒を見ることに抵抗を見せなかった。
「叔母からは、もう戻ってくるなと言われているからちょうどいい」
「おい、何があったんだ」
リリアが、いうような言葉ではない。彼女はプライドが高くて、フリージアの側ではたらけることを誇っていた。なのに、今のリリアはそれを投げ出していた。
適当に投げ出したのではなくて、苦難の末に投げ出した。彼女の顔を見ていれば、それぐらいは分かった。
「おい……本当に何が」
俺は、今日は仕事を休んだ。
その間に、何があったというのだろうか。
「ここにいるより、早く行け!」
リリアに怒鳴られ、俺は城へと向った。
彼女が来るということは、フリージアがらみのことだろうと思った。だから、俺は迷わずにフリージアがいそうな場所へと走る。
「こっちよ!」
その途中で、俺を待ち構えていただろうリズに出合った。
「聖王様は寝室にいらっしゃるから、早く行って!!これも持っていって」
リズが俺に手渡したのは、酒だった。俺が普段飲むような安酒ではなくて、上物だ。度数も随分と高い。
「リズさん、何があったんだ!!」
俺の言葉に、リズは首を振った。
「聖者様の命令だから、私はもう逃げる。あなたは、たぶん殺されない。だから、最後まで側にいて」
俺の手を離した、リズが駆けていく。
俺とは、反対方向に。
城から出るために、走っていく。
何があるというのだろうか。
この先に――フリージアの寝室に何があるのだろうか。
俺は、恐れながらもフリージアの寝室のドアに手をかけた。開けば、そこにあるのは見慣れた寝室だ。広くて清潔だが、飾り気はない。だからといって、病室のような無機質さもない。中途半端に豪華なホテルのような部屋だ。でも、この部屋には似合わない血の臭いがした。少しの量ではない。大量の血の臭いだ。
「や……休みによびだして、すまない。ちょっと魔力を分けてくれ。なんども治癒させようとしているんだけど、痛みで失敗して……」
広い寝室で、フリージアはベットで上半身だけを起き上がらせていた。
布団で隠した下半身に向って魔法陣を展開させるが、それは長くは続かない。「くそっ」とフリージアは悪態をついたが、彼の下半身からは布団に滲むほどの血が流れていた。
集中力がもたなくて当然だ。
「おい、大丈夫なのか!」
俺は、フリージアに駆け寄った。
まずは、傷を確認しなければと思った。聖騎士になってから、傷の手当の仕方は教わった。簡単な手当てならできる自信があった。だから、傷の具合を確認しなければならないと思った。傷を見なければ、手当ても出来ないからだ。
「やっ、やめろ。どん引くから、絶対にやめろ!!」
フリージアは、布団を握り締めて俺から傷口を隠そうとする。意外なほどに、フリージアの力は強かった。表情も血の気を失っているが頑なだ。俺は布団から手を離して、布団を握り締めるフリージアの手に触れた。
「俺は、聖騎士だ。大怪我だって見たことがある。大丈夫だ、気絶なんてしないから」
血の気を失った指を、そっと開かせる。
俺とフリージアには、絶望的なほどの力の差がある。俺が聖騎士に入隊するときの試験の初戦で、フリージアと戦った。俺は、あの頃よりもずっと強くなった。だから、拒むフリージアの指をこじ開けることは簡単だ。
でも、それはやってはいけないことだった。
俺は、フリージアの意思を守るために聖騎士になったのだ。だから、彼が拒むことはしてはいけない。
「エル……魔力だけをもらえればいい」
フリージアは、俺に向って手を伸ばした。
「その前に傷を見せろ」
フリージアは、ようやくあきらめた。
指を解いて、力を抜く。
俺は、フリージアの布団を捲り上げた。
絶句した。
フリージアは、下半身の衣類を身につけてはいなかった。おそらくは傷口に繊維がはいることを恐れたのであろう。そして、足の間の股間からは大量の血が流れ出ていた。
虚勢されていた。
切り落とされていた。
傷口から、血が出ていた。
頭が真っ白になり、俺が倒れそうになるところをフリージアが捕まえる。そこで、ようやく俺は正気に戻った。
「気絶するのは、後だ!今は魔力を!!」
フリージアは、怒鳴った。
こんなに血にまみれているのに、血にまみれていたから、フリージアは必死だった。生きるために、必死だった。
「あ……ああ」
俺は、前にやったみたいにフリージアの腕を掴む。
そして、はっとする。
「医者!医者を呼ばないと!!」
フリージアの怪我は、俺の手に余るものだった。
聖騎士が教わるような簡単な手当てでどうにかなるよう傷ではない。
だが、フリージアはそれを拒否した。
「傷口の修復と痛み止めと殺菌を行なうだけだ。ルフには、殺菌の概念がないから……」
フリージアの言いたいことは、わかった。
俺たちには常識的なことだが、ルフの国では広まっていないことが多くある。その一つが殺菌だ。傷が化膿することは知られているが、傷は化膿することがある程度は当たり前なので何故とは考えられていないのである。だから、傷口の消毒は水で洗い流すぐらいしか行なわれない。フリージアの傷は、それでは確実に可能する。
「古代魔法で傷口を塞いで、アルコール度数の高い酒をかければか……。たしかに、素人がやったほうがマシだ」
俺は、フリージアに魔力を注ぐ。
「酒は、リズに頼んだんだな」
傷口を見ないようにしながら、俺は尋ねた。
「ああ、僕は飲めない……念のため確認するが、それは度数高いよな」
俺は、酒のラベルを確認する。現代日本のように、親切に度数は書いていない。けれども、銘柄を見れば大体の度数は分かる。
「俺が飲める人間でよかったな。この酒は、かなり度数が高いぞ」
十分に消毒液として使えるアルコールだ。
俺は、酒のコルクを抜いた。それをフリージアに手渡す。
彼は、傷に酒を振り掛ける。予想通りの痛みに、フリージアは大きくのけぞった。悲鳴を上げる、と俺にはわかった。
「噛め!」
俺は咄嗟に、自分の腕を差し出した。
フリージアの目が、一瞬迷う。だが、次の瞬間にはフリージアは俺の腕に噛み付いた。
フリージアが俺に酒を頼んだということは、この傷のことを表ざたにしたくはないからだ。だから、フリージアは大きな悲鳴をあげられない。
だから、俺は腕を差し出した。
フリージアはそれに噛み付き、悲鳴を殺しながら自分の治癒を続ける。だが、想像を絶する痛みに集中力は乱れて魔法陣はすぐに消えてしまう。
「フリージア、あと一回失敗したらやっぱり医者を……」
これ以上に出血は、どう見ても危ない。
しかも、フリージアには体力がない。今出血死しなくとも、出血のダメージから回復できないかもしれない。だとしたら、たとえ信用が置けなくとも医者の手を借りたほうが得策だ。フリージアは、俺の腕から口を離した。
「待て、傷はふさがったから」
ぐったりしたフリージアは、肩で息をしていた。
俺は、とりあえずフリージアに布団をかけてやる。そして、自分の魔力を出来る限りフリージアに注いだ。魔力の消費は、疲労に繋がる。たぶん、傷の回復には魔力はないよりあったほうがいい。
「なにがあったんだよ……」
俺は、フリージアの噛み痕を確認した。くっきりと歯型は残っているが、出血はしていない。ひりひりと痛むが、それだけだ。放っておけば、三日ぐらいで消えるだろう。フリージアの痛みとは、程遠い。
「絶対に、口外しないって誓えるか?」
フリージアの痛みは、まだ改善されていないようだった。顔は曇っており、布団をぎゅっと握り締めている。想像できないというか、想像するだけで血の気がうせるような痛みなのだろう。俺のほうが気絶しそうだった。
フリージアは、そんな俺を見た。
俺は頷いた。
テサレシスがやった、とフリージアは言った。
俺は、時間が止まったと思った。あまりに残酷なことだったので、理解できなかったのだ。理解したら、俺の常識が壊れると思った。
血の繋がった家族が、自分の家族を傷つけるだなんて。
しかも、あんな残酷な方法で。
「どうして……お前の兄がこんな酷いことを」
殺すなら、もっと苦しまない方法がある。
苦しめるにしても、あんな方法は残酷すぎる。
「聖王は一代限りでいい、とテサレシスは考えているんだ。だから、念には念をいれたんだろう」
フリージアは、息を呑む。
顔色が、さっきより悪い。
「痛みは、治まったんだろ?」
怖くなって、俺は聞いてみた。
フリージアは首を振る。
「痛み止めの魔法……しらない」
その言葉に、俺は悲鳴を上げそうになった。
「でも……血を止めたら、心理的にはけっこう楽になった」
「心理的って……くそっ!!」
俺は、拳を握り締める。
フリージアが行なったのは、簡単な止血のみだ。それでも出血多量で死ぬようなことにならずにすんでよかったけれども、痛みは取れていないのだ。市販されている痛み止めを買い走ろうかとも考えたが、この世界で一般的な薬は漢方薬に近いものだ。体には優しいが、効き目のほうも優しすぎる。
「……リリアとリズを逃がしたのも、万が一を考えてのことだ。あの二人は一番僕の近くにいた女性だから、テサレシスは彼女たちを殺すかもしれない」
痛みを誤魔化すためなのか、フリージアはそんなことを呟く。もう黙れと思いつつも、同時にもう一つ別のことも思うのだ。
まさか、と思った。
リリアとリズも命を狙われる危険性があるだなんて――それで二人を逃がしただなんて。
「そんなバカなことを」
だが、この世界で父親が誰かと証明する手立てはないのだ。リリアが子供を産んでフリージアとの子だと訴えても、「そうだ」と証明する手立ても「そうではない」と判断する手立てもない。
俺はリズもリリアも知っているから、そんなことはありえないと言い切れるが……テサレシスだったらどう考えるかわからない。実の弟に非道をなすぐらいだったら、赤の他人の女性二人ぐらいは簡単に消すであろう。
二人を逃がしたフリージアの判断は、正しかったと思う。
「僕は侵入者に襲われたことになると思うけど、お前が撃退してくれた。リズとリリアは賊を追って帰らず……そういうふうに話を合わせよう」
フリージアは、俺にいもしない賊の人数を伝えた。
後で、誰かに聞かれても困れないようにするためである。
だが、その姿は明らかに限界を迎えていた。額に触れてみると、発熱もしている。傷が可能しているわけではないと思いたいが、医療的な知識がないから祈ることしか出来ない。
「もう限界だ。医者を呼ぼう。強い痛み止めをもらわないと、お前が持たない」
俺は、フリージアから離れようとした。
だが、フリージアは俺を離そうとはしなかった。
「大丈夫……少し休めば、きっと痛みも引く」
フリージアは、強がっていた。
だが、素人が見てもフリージアは放っておいてよくなるふうには見えなかった。
「無理するな。うろ覚えだけど、宦官になる手術って死亡率が三割ぐらだって聞くぞ」
死亡原因のほとんどが感染症だったような気がするからフリージアは大丈夫そうだが、そもそもこの知識が正しいのかも分からない。
「宦官って、なに?」
フリージアは、首を傾げていた。
そういえば、こいつの前世は小学生だ。知らなくても、おかしくはないだろう。
「古代中国で取っちゃった人」
簡潔に説明した。
「中国にも、僕と同じような目にあった人がいたんだ……ごめん。やっぱり、医者を呼んできて。痛み止めぐらいはもらいたい」
フリージアは、泣きそうだった。
俺は、最後にぎゅっとフリージアの腕を掴んだ。
「ああ、魔法を使うとまた魔力を減らすからな。それに、やっぱり医者を呼ばないのは不自然だ」
俺は、フリージアの部屋を出た。
そして、慌てた演技をして医者を呼びに行った。
その後のことは、フリージアと話したとおり――全部が賊のせいにされた。
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