第9話少女の新たな夢

一年後、進路希望を教師に聞かれた。


 もはや記憶のはるか彼方のことではあるが、俺も日本で高校生をやっていたときにはプリントに第三候補まで志望校を書いたものである。だが、今回の進路は全てが就職関連のことだった。


 この世界にも、一応は大学がある。


 だが、入れるのは超がつくほど頭がいい人間か貴族ぐらいである。最近では裕福な商人の子弟も入学していると聞くが、どちらにせよ庶民には関係ない話だ。

ちなみに、大学は王都にはない。土地代の高い王都には、大学という施設は作れないからだった。つまり、大学に進学すれば田舎に住むことになるのだが、俺には関係ない話である。


 ルフでは十五歳で成人として扱われ、男子だったら就職したり、職人を目指して親方に弟子入りしたりする。女子は結婚することが多い。一応、メイドとかいう仕事もあるが、分母が少ないので働ける人は限られてくる。

 就職で苦労していた身だから人事には思えないが、女性が就職するのは現代日本よりも大変なのだ。ただし、魔法が使える場合は話が別だ。魔法使いは少ないので、聖騎士や国に使える騎士や兵士などいった就職先が考えられる。


 ルシャも、聖騎士を目指していた。


 だが、フリージアの事件をきっかけに彼女の夢にも変化があったのだった。その変化に俺が気が付いたのは、だいぶ遅かった。ルシャの家に学校の教師が訪れてから、のことだった。

 ルシャは、進路希望に『魔法道具製作工房への弟子入り』と書いたのだ。

 この世界で女子が選ぶ進路としては、ありえないことだった。だから、教師はルシャの家に家庭訪問に来たのだった。ルシャの両親と教師の話が漏れ聞こえて、俺は教師が帰った後にルシャに尋ねた。


「聖騎士にならないのか……」


 ルシャの聖騎士になるというのは、現実的な夢だった。

 彼女には魔法の才能もあったし、国に属する騎士よりも聖騎士のほうが危険は少ない職業だ。信者も多いから、聖騎士になれば周囲の住民からも尊敬される。親だって大喜びだろう。だが、ルシャはその夢を捨てていた。


「一年前に、聖者様を助けたでしょ。あのとき、怖いって私は思ったの」


 森でフリージアを助けるために、男と戦ったときのことだった。

 あの時、俺たちは男に全く歯がたたなかった。


「でも、聖騎士は国の騎士よりは戦う可能性がまだ低いって……可能性の話じゃないんだよな」


 言いながら、俺はルシャの気持ちに気が付いてしまった。

 彼女は、直接人を殺すのが怖いと思ったのだ。稽古みたいな練習は平気でも、人を傷つけたり殺そうとするのは嫌だ。きっとルシャは、俺が男の目を潰したときにそう思ったに違いない。


「聖騎士というか、私は殺し合いが嫌いだ。だから、別の道を選びたい。結婚は嫌だから、食いぱぐれのないように手に職を付けたいの」


 俺には馴染みのある、現代日本の考え方だ。あそこであればルシャのような考え方の女性だって大勢いただろう。だが、ルフの国では違う。

 ルシャの行こうとしているのは、戦うよりも辛いかもしれない茨の道だ。


「後悔しないのか?」


「あんたが、それを言うの。一年前に、聖者様相手に七年で側にいて不自然じゃない地位にいるって啖呵切ったのよ。あんたの夢に比べたら、私の夢なんて小さいわ」


 もっと馬鹿な夢を知っていたから、と言いかけて止めた。俺の夢がルシャの夢を励ましているのならば、何も言わないほうが良いと思ったのだ。


「それにしても、何で魔法道具だ?おじさんみたいに靴屋を目指したほうがいいんじゃないのか」


「私の魔法の才能を無駄にするのも惜しいでしょう?」


 ルシャは誤魔化したつもりかもしれないが、魔法道具職人に魔法の才能はいらない。実験するのに魔力は必要かもしれないが、それよりも求められるのは手先の器用さである。ルシャは、笑いながら答えた。


「本当は、あんたの壊れた魔法道具を作り直してやりたいと思ったの」


 その言葉に、俺はびっくりした。

 フリージアを助けようとしたとき、両親の形見である魔法道具は折れてしまっている。短剣が竜の骨だということはわかっているから、しかるべき場所に売れば高値で売買できることは分かっていたが――様々な思いが邪魔をして俺はあれを直さずに手元においていた。あれは両親の形見だが、同時にエルという俺の形見でもあるような気がしていたのだ。


「あんたが、あの短剣に色々な思いを抱いているのは知っているわ。だからこそ、私が作り変えたいと思ったの」


 ルシャは、俺に詰め寄った。


「あんたが、王都に戻ってきたときのこと覚えている?」


 それは、金田純一の意識になって初めてルシャに出会ったときのことであろう。


「戻ってきたあんたは、まるで別人みたいだった。お母さんもお父さんも気がつかなかったけど、私は気が付いていた。モンスターがあんたの皮を被って、私たちを襲いに来たんじゃないかとも思ったわ」


 随分と物騒な想像力を働かせていたものである。

 それにしても、当時のルシャがそのことを言及してこなくてよかった。


「でも、すぐにあんたが叔父さんや叔母さんを亡くした悲しみを乗り越えて、大人になったんだって気がついたの」


 そうじゃないのだ、と言いたかった。

 実際は、大人の人格が子供の体に蘇ってしまっただけ。俺は、あの時は何も乗り越えてなどいなかったのだ。


「そんな、あんたがいつも持っていた形見の剣。あの剣が、あんたのお守りだと思った。あんたと亡くなった両親を繋ぐ、宝物。だから、誰かの手に触らせたくない」


 ルシャは、力強い目で俺を見た。


「その剣を私の手で生まれ変わらせて、あんたを守る手段にしたい。それが、私の新しい夢なの」


俺は、言葉を失った。

 従兄弟の言葉に、どう答えればよいのか分からなかった。彼女の言葉は告白のように真摯だったが、俺が好きだとは一言も言っていなかった。俺は、この言葉をどう受け止めればいいのか迷ったのだ。

 だが、すぐに迷うのは止めた。

 俺は走って、自分の部屋においてあった折れた短剣を彼女に手渡した。竜の骨で作られた魔法道具は、フリージアを探し出してからは使っていない。それでも、やはりそれは俺にとってはお守りだった。

「ルシャ。これを預けていいか?」

 ルシャは、今や一番近い俺の家族だった。

 母親と重なってしまうのは姉さんだが、一番近くにいたのはルシャだ。日本の俺には姉も妹もいなかったけれども、ルシャは俺にとってはそういうものになっていた。同じ年齢だから、きっと感覚的は双子のようなものなのかもしれない。

 どこか、無意識に競い合っているような関係。

 けれども、この世で一番信頼できる家族だ。

「ええ、あなたの期待に答えるわ」

 にこり、とルシャは笑った。

 それは、恋をしている少女の微笑ではなかった。

 夢に燃えている若者の顔だった。

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