第8話誘拐される聖者

「おーい、エル」


 遠くで、学校の友人が俺を呼んだ。

 クラスで一番の金持ちで、魔法道具のことについて説明してくれた奴である。


「リッテか」


 金髪碧眼、いつでも上等な服に袖を通しているリッテは絵に描いたような王子様である。実際は王子様ではなくて裕福な商人の息子なのだが、男友達は少なくて女子には多大な人気がある。それなりに格好を付けたがるお年頃の少年だが、知らないことを聞いたりすると割と親切に教えてくれたりするので俺は結構好きなクラスメイトだ。


「珍しいな。そっちもデートか」


 リッテは、俺にそう言った。


「そっちもって、おまえもか」


 リッテは、別のクラスの女子二人を連れて下校していた。同じ年頃だったらモテモテで羨ましいと思うのだろうが、大学生の視点で見ると十三歳がモテモテでも羨ましいとまでは思わない。むしろ、この後来るだろう修羅場体験を乗り越えられるようにエールを送りたくなる。


「デートじゃない……」


 フリージアが、俺の背中に隠れた。

 今のフリージアは俺以外の人間には女の子に見えるが、中身は男だもんな。たしかに、デートではない。


「あれ、その子」


 リッテは、フリージアをじっと見ていた。

 俺は特に、それをおかしいとは思わなかった。フリージアはサハラ人の特徴が色濃いし、その特徴はルフの国では珍しいのだ。だから、じろじろ見られてもそれが原因だと思っていた。

 だが、フリージアは俺の背中を蹴った。

 俺は、リッテを押し倒すように倒れた。


「なにをするんだ、フー……」


 俺は、名前を呼ぶことが出来なかった。

 フリージアは、知らない男に抱きかかえられていたからだった。男は屈強で大きく、フリージアなど片手で持ち上げていた。フリージアは俺に助けを求めずに、一人でもがいていた。男の手が、彼の口を塞いでいるからフリージアは叫ぶこともできない。

 男は、教会や王族の関係者には見えなかった。もしそうだったら、無理やりフリージアを抱きかかえるような無礼な真似はしないであろう。


「おとなしくしろ!」


 男は、フリージアを怒鳴りつける。

 俺は助けてくれそうな大人を一瞬探したが、何時の間には道に人はいなくなっていた。もう人々は家に帰り、ブラブラしていたのは暇な学生の俺たちだけだったのだ。きっと男は、この瞬間を待っていたに違いない。


「フリージア!!」


 俺は、彼の名前を呼ぶ。

 フリージアは男の手に噛み付いて、一瞬だけ手による猿轡が取れた。


「逃げろっ!!」


 フリージアは、俺にそう言った。

 俺は戸惑った。

 フリージアの判断が、正しかったからだ。俺は武器も何も持っていない子供で、大人からフリージアを守る手段はない。誰か大人を――頼りになる大人を頼るべきなのだ。

 男はフリージアを担いだままで、逃げる。


「あれって、聖者様なのか?」


 リッツが、呆然としながら呟いた。

 俺は、それどころではなかった。早く行動しなければと頭では思うのだが、体がまったく動かないのだ。大人に助けを求めるのが一番の手なのに、足が動かない。


「おい、エル。さっさと退いてくれ」


 俺の下で、リッテがもがいていた。


「わっ……悪い」


「それより、どうしておまえが聖者様と一緒にいたんだ!」


 リッテが、俺に詰め寄った。

 女の子たちもフリージアが去った方向を眺めて、呆然としている。この国のほとんどが教会の信者だ。彼女たちもリッテも、フリージアが聖者だから敬っている。


「その……むかし、ちょっとしたことで知り合って、今は聖者様が古代魔法で変装してたんだ。って、あれ。フリージアは魔法で女の子に変身してたんじゃ」


「解けていたぞ。それにしても、古代魔法だって」


 リッテは、大仰にため息をついた。


「なにか不味いことでもあったのか?」


「授業でもならっただろ。無駄とムラをなくしたのが現代魔法で、古代魔法はその逆だって」


 そういえば古代魔法は、達人でも失敗する魔法だと授業で言っていたような気がする。魔法を製品にたとえるなら、現代魔法は機械化された工場で作られる。古代魔法は職人の一点物で一つ一つに味わいがあるといえば良いが、悪く言えば出来栄えにどうしてもムラが出来てしまう――と俺は解釈したような気がする。


「今のはきっと聖者様の古代魔法の効果が、想定より早く切れてしまったんだな」


「ムラって、そういう意味だったのかよ」


 俺もため息を付く。

 授業で教えてもらっていても、古代魔法なんて見せてもらうのは初めてだからムラの意味合いがよく分かっていなかった。発動時間が想定できないなんて、古代魔法も結構使えない魔法だ。まぁ、そうじゃなきゃ現代魔法に淘汰なんてされないか。


「それより、今のを大人たちに知らせないと。もし、人攫いならば東の森のほうに行くだろう。城門はあるけど、人通りがあるから逆に目立たないし」


 リッツは、俺よりは落ち着いていた。

 フリージアが走連れ去られた方向、それは東の森がある方向。

 通行が多いが、それを狙うモンスターも比較的多い森。

 一応、王都から出るには門を通る。そこには門番もいるが、人が多いのでほぼザルの状態だ。子供が一人で王都の門を出て行って、モンスターに襲われるという事故だって起きている。検問は、それぐらいにザルなのだ。連れ去られたフリージアと男も、きっと簡単に検問を突破してしまうだろう。


「リッテ。ちょっと、手伝ってくれ」


「何をする気だ?」


 冷えた目で、リッテは俺を見た。

 ちょっと門の外で、フリージアを探してくる。

 俺は、そう告げた。


「大人には言わないのか?」


「東の門の門番にフリージアのことを知らせて、城とか教会に連絡はしてもらう。でも、その応援を待っていたら間に合わないかもしれない」


 あいつに何かあったら、俺は彼ががんばった千回分は謝らなければならない。

 俺がそういうと、リッテは首を傾げた。


「聖者様は門の外を出たという確証はないのに、俺に手伝えっていうのか?」


「外に出ていなかったら、フリージアは大人に助けてもらえるかもしれない。でも、外に出ていたら帰れない。最悪の状況を想定して、俺は動きたいんだ」


 門番たちは俺たちの話を信じないかもしれないし、教会や城に連絡が来る前にフリージアに何かがあるかもしれない。だから、俺も彼のために動きたかった。

 リッテは、立ち上がって服に付いた土を払った。


「子供だけで危険だとか、そんな曖昧なことで命をかけられるかとか色々といいたいことはあるが……俺も信者だ。聖者様の安否は、一番に気になる」


 リッテの言葉に、俺は安堵した。


「ありがとう、リッテ。あと、ソコに隠れてるんだろう。ルシャ」


 俺が名前を呼ぶと、ルシャは苦笑いをしながら物影から出てくる。絶対に、こいつは隠れてみていると思ったら、案の定だった。


「おまえの力も貸してほしい」


 俺は、ルシャに素直に頼んだ。

 女の子を危険に巻き込むことには良心が痛むが、炎の魔法が使えるルシャは大きな戦力になりうる。


「えっ……ええ!!もちろんよ。さっきの子が聖者様だったのには驚いたけど、私も信者だからお助けしたいわ。なにせ、将来の夢は聖騎士なんだから」


 俺たち三人は、フリージアを追った。

 門の外には出ていてくれるな、と俺は祈った。

 東の門にたどり着いた俺は、まずは門番に「聖者様がさらわれたが、ここに来なかったか」と聞いた。門番は、人通りが多すぎてチェックなんてしていないといった。東の門はそんな会話の最中でもひっきりなしに人が行き来していた。

 たしかに、これでは門番なんて名目上の扱いになってしまうだろう。

 そして、門番はやはり俺の言葉なんて信じなかった。街に人知れずやってきた聖者が誘拐されるなんて、子供の作り話しにしか思えなかったのだろう。


「じゃあ、サハラ人が見なかったか。白い服を着てて」


「いいや。サハラ人なんて、目立つからすぐに分かるぞ」


 俺は、周囲を見る。

 王都に運ばれる荷物や商品の数々は、箱や樽にいれられている。あれのなかにフリージアが入れられているとしたら、もう分からない。


「やっぱり、教会か城で助けを呼んだほうが……」


 リッツがそう提案したとき、ずしりと俺の荷物が重くなった。あまりに重くなりすぎたために、俺に鞄は敗れて荷物が散らばった。そして、鞄の中に入っていた両親の形見の短刀が深々と地面に突き刺さったのだ。


「な……なんだ」


 短剣は淡く輝き、次の瞬間には太陽の位置からしたらありえない方向に影を伸ばした。


「それって、竜の骨で作られた魔法道具じゃないか!」


 リッツは、驚いていた。


「魔法道具?」


「ああ、しかも竜の骨の」


 俺の短剣に驚きながらも、リッツははっとする。


「そうだ、助けを呼びに行かないと」


「リッツ、それはおまえに任せていいか」


 俺の言葉に、リッツもルシュも言葉を失った。


「この短剣は、姉さんによると幸運をもたらすものらしい。その幸運にかけて、俺は影が出来るほうに進んでみる」


「馬鹿か!それで聖者様が見つかっても、何も出来ないだろ!!」


「それでも、いく!!」


 俺の返答に、リッツはあきれていた。


「私が、エルについていくわ。魔法使いがいれば、時間稼ぎぐらいはできると思うから」


 ルシュが、俺の隣に立った。


「わかった。二人とも無理はするなよ。あと、これを」


 リッツは、ポケットからビー玉みたいなものを取り出して俺とルシュに渡した。


「モンスター避けの魔法道具だ。低級の奴にしかきかないお守り代わりの品だが、親に持たされていたんだ。何もないよりは、マシだろう。魔力をこめるのを忘れるなよ」


 俺は、頷く。


「ありがとう」


「礼は、そいつの性能をたしかめてからにしてくれ」


 リッツは、教会に向って走り出す。

 俺とルシュは、短刀が作り出す陰の方向に向って城門を出た。一歩門の外を出れば、そこは人の手がまったく入っていないような自然だった。

 木が刈られており草も短いことから、厳密に言えば城門付近は人の手が入っている。だが、現代日本の俺からしてみればその風景はありのままの自然といったふうである。少しだけ遠くに、森が見えた。

 地面こそ平らだが、あそこに入れば自然環境は山と変わらない。

 俺は、短剣をもう一度地面に突き立てる。

 影は、森のほうに向いていた。


「ルシュ、本当についてくるのか?」


「当然でしょ」


 できれば、女の子を危険な目にあわせたくない。

 そう思ったのだが、ルシュは帰るようなそぶりを見せなかった。


「私がいなかったら、困るのはあんたでしょうが」


 ルシュの言葉は、正論だ。

 なにせ、彼女の魔法以外は攻撃手段がない。


「それに、聖者様にはあんたが必要だと思うの」


 ルシュは、そう切り出した。


「私はずっと王都に住んでから、何かあるたびに遠くから聖者さまの顔は見ていたわ。三年ぐらい前までは、ずっと人形みたいにそこにいるだけの人だったのに……遠征から帰られたときから変わったの。生き生きとした目をされるようになったの。たぶん、あの遠征であんたと出合ったからよね」


 それは――俺に頭突きして、フリージア本来の人格が表に出ただけの話である。

 だが、信者に本当のことを話すと面倒なので止めておいた。


「だから、あんたは聖者様を助けなきゃいけないけど……死んでもダメなの。そこらへん、ちゃんと肝に銘じておきなさい」


 ルシャは、俺の胸をドンと叩いた。

 痛かったが、頼りがいのある言葉だ。


「ああ、頼むぞ」


 俺とルシュは、森へと入る。

 森は薄暗くて、足場が悪い。石や岩は少ないのだが、腐葉土の土はふわふわしていて踏ん張りが利かずに滑りやすい。さらにそこに木の根がはっているので、うっかりするとつまずいて転んでしまう。王都はレンガで舗装されていたから歩きやすかったが、こんな道はただ歩いているだけでも体力を消耗しそうだ。


「こっちで、道はあっているのか?」


 俺は、もう一度短剣を突き刺す。

 この剣は竜の骨で作られているとリッツは言っていた。恐らくは、象牙みたいな刀身のことなのだろう。

 竜は、この世界では百年前に絶滅している。

 平均寿命は千年にも上る人智を超えた生き物だったらしいが、人間の魔法の発達やその骨や皮が武器や防具に最適だったこともあり乱獲されたのが絶滅の原因らしい。

 魔法道具にも竜の骨が使われることはあるが、それらは当然のごとく百年以上前のものばかりだ。壊れた魔法道具から竜の骨を取り出して、新しい魔法道具に使うこともあるらしい。想像するのが難しいなら、現代日本における鼈甲や象牙のようなものだと思って欲しい。


「竜は、古代魔法と相性がいいの」


 ルシャは、伸びる影を見ながら呟く。


「竜の魔法を模倣したのが、古代魔法だといわれているわ。きっとこの竜の短剣は、聖者さまの古代魔法に反応しているのよ」


 そうだといい、と俺は思った。

 だいぶ森を進むと、人影が見えた。

 俺とルシャは身を隠して、人影を確認する。間違いなく、フリージアをさらった男だった。近くに、フリージアの姿はない。最悪の予感が、俺を襲った。フリージアは、もう殺されて埋められでもしているかもしれない。


「エル、奇襲しましょう」


 ルシャは、そう言った。


「奇襲か……」


「私が最大火力を出すから、エルは男の後ろに回って。その竜の剣は切れないけど、鈍器の代わりぐらいにはなるでしょ」


 たぶん、それしか手はない。

 男は見た目からして、荒事で生計を立てているものだ。子供の俺たちが倒すには、奇襲作戦に全てをかけるしかなかった。


「あいつをボコボコにしたら、フリージアの居場所を聞き出す。それでいいよな」


 俺は、ルシャに再確認する。

 ルシャは、うなずいた。


「じゃあ、互いにがんばりましょう」


「よし」


 俺は、男に気づかれないように移動する。

 所定の位置にたどりつき、俺はルシャに合図を送る。ルシャの炎がいきなり、燃え上がった。ルシャの魔法も練習中だから、そんなに魔法に威力はない。今もただ炎は燃え上がっているだけで、言ってみれば大規模な手品だ。それでも、男を驚かすには十分であった。


 俺は、男の脳天に向って飛び上がる。

 男が、服の下に防具を付けている可能性があった。だから、頭を狙う。

 俺は、そう考えていた。

 俺の考えは、正しかった。


 だが、それは俺が大学生の体格だったならばの話だ。今の俺は、十三歳。どんなに背伸びしたって、飛び上がってみたって、大人の男に致命傷を与える位置にはいけない。俺は、それを失念していた。

 案の定、俺の剣は男の頭部になんかに届かなかった。


 俺の剣は、男の肩を殴打しただけ。

 しかも、服の下に着込んでいたらしい防具に当たったことにより竜の骨の剣は簡単に折れてしまった。

 男は、俺の頭部を鷲づかみにする。


 そして、地面にたたきつけた。ふわふわな腐葉土だから痛くないと思ったが、勢いよく地面に叩きつけられたせいで痛みに襲われる。そして、土が目に入るし口にも入る。痛くて苦しくて、俺は男から離れようともがいた。


「エル!」


 俺を心配したルシャが、姿を現してしまう。

 炎の魔法を使ってはいるが、俺が人質に取られているような状況だから派手な攻撃をしようと思っても出来ない。


「人間は――」


 男が唇を動かす。


「たとえ、子供であっても同族同士で殺しあうのか」


 低い声だ。


 その声は、なぜか人間そのものを嫌悪しているように思われた。

 もがいていた俺の指先が、折れた刀身に触れる。わずかに尖っていたはずのそれをただ信じて、俺はありったけの力で男の眼球に刀身を付きたてた、俺の動きは、男にとって予想外のものだったらしく俺の攻撃は防がれることはなかった。


 びしゃり、と俺の顔に男の血が滴る。


 男はのけぞって悲鳴を上げ、遠くで獣の叫び声がした。いや、遠くではない。俺の真上から、怪獣映画でしか聞かないような声が響いたのだ。


 俺たちの頭上を旋回していたもの、それは竜だった。


 百年も前に絶滅したはずの竜は、遠目であっても巨大であった。まるで恐竜に翼が生えて飛んでいるような光景だった。


「なぜ、知らないふりをする!!」


 俺に潰された左目を抑えながら、男は叫ぶ。

 血の涙を流しながら、男は叫んだ。


「あなたは救うといったのに、どうして知らないフリをする!!」


 その声は人間のものではなかった。

 もっと醜いなにか。

 この世に怨霊がいたら、こういう声なのかもしれないというほどにまがまがしい声だった。


「そこまでだ!!」


 凛とした声が響いた。

 男が放つ邪気をはらうような声は、弓矢と共に放たれる。


「聖者様をさらったというのは、おまえか!!」


 弓矢を放ったのは、そろいの白と銀の制服をまとった騎士だった。俺が目指す、聖騎士の一段である。一番前で式を取っているのは若い女性で、オレンジ色の明るい髪色をしていた。女性騎士は、男に向って指差す。


「聖者様をどこにやった!」


 その指先から、何かが放たれた。

 まるで、音のない鉄砲のようであった。それは、男の肩を貫いて後ろにあった木の幹をわずかにえぐった。だが、幹には何も刺さってはいなかった。わずかに、濡れているだけである。たぶん、あの女性騎士は水分を圧縮して、発射しているのだろう。

 鉄砲魚みたいな人である。


「聖者?ああ……そういうことか、貴様ら人間はアレを自分たちの都合のいいように使いたいようだが、そうはいかない。金竜の力は、そもそもは人間をほろぼ――」


 女性騎士は、男の眉間を打ち抜く。

 男の体は倒れて地面に落ち、煙を絶てて解けていった。そのありえない光景に俺は絶句し、思わずルシュのほうを見た。彼女は、恐怖でおののいていた。


「ふん、死体を使った古代魔法か」


 女性騎士は、冷静に言った。

 現代魔法は無駄、ムラが取り払われた魔法だが、単純なことしかできない。炎を発生させたり、水を発生させたりといったことだ。練習すれば女性騎士のように応用した使い方もできるが、あれだって古代魔法からしてみれば単純の粋をみない。


 だが――俺たちが見たのは死体を操る古代魔法。


 現代日本にあった言葉を借りるならば、ネクロマンサーとでもいうべきものだった。


「君たち、怪我はないか?」


 女性騎士が、俺たちに声をかける。

 俺とルシャは、一拍置いて「はっ、はい」と上ずった返事をした。見たことが現実離れ過ぎて、我を忘れていたのだ。


「君たちの友達が、聖者様の危機を教えてくれた。すまないが、聖者様がどこに連れて行かれたか分かるか?」


 女騎士の言葉に、俺はあわてて握っていた竜の骨の剣を地面につきたてた。折れてしまったが、完全に壊れてしまったとは限らないと思ったのだ。なにより、これがなければフリージアを探せない。だが、剣に影ができることはなかった。


 太陽の光の加減というわけではない。

 ここは森の中だが、俺はちゃんと光の刺す場所で剣をつきたてた。

 だが、剣はここが目的地だとばかりに影を作り出さない。


「どういうことなんだ。こいつは、フリージアの魔力に反応してたんじゃ……」


 俺はルシャを見るが、彼女も分からないと言いたげに首を振る。

 ルシャも魔法道具の専門家ではないのだ。剣がフリージアの魔力に反応しているなど、俺たちの都合のよい思い込みにすぎなかったのだ。


「そんな。なら、どうやって俺たちはフリージアを探せば」


「……探さなくても、こっちから見つけられる」


 全員が、その声がした方向を見た。

 そこにいたのは、土ぼこりで薄汚れたフリージアであった。

 ルシャに聖騎士、俺以外の全ての人間がフリージアを前にして膝をつく。俺もそうするべきだったのに、頭が回らなかった。

 俺を満たしていたのは、安堵だ。

 フリージアが生きていてよかった、という感情で俺は満たされていた。


「全員、顔を上げてくれ」


 フリージアが、全員に起立せよと命じた。

 聖騎士たちは速やかにそれに従い、ルシャもおずおずとそれに習っていた。


「聖者様、あなたはどこにおられたのですか?」


 女性騎士が、フリージアに尋ねた。

 改めて見ると、この人って胸でかいな。


「あの男に縛られて、猿轡までされて樽につめられていた。なんとか猿轡は外れたから、魔法で樽を破壊して逃げてきたところだ」


 フリージアは、服の埃を払う。だが、服が白い上の泥まで付いているから、そう簡単に汚れは綺麗にならなかった。それに、むっとしている。


「そうですか。お怪我は?」


「ない」


 フリージアは、女性騎士の言葉に淡々と答える。

 不安も、怯えもみせない、聖者としての顔だった。だが、俺やルシャの姿を確認した途端に、ちょっと眉を寄せた。


「……勝手に教会を出てすまなかった。新しく出来た友人にも迷惑をかけたようだ。本当に、すまない」


 フリージアは、まるで俺と今日初めてあったかのように接した。ルシャは、フリージアの真意が分からずにオロオロしている。彼は、まだ俺に選択肢を作ろうとしているのだ。


 今日を皮切りに、俺とフリージアは無関係になれる。


 俺は聖騎士を目指さない生き方も出来ると。


「あと、二年だ」


 俺は、言った。

 全員が、俺の言葉に耳を疑った。ここにいるのは、フリージアを聖者として敬う人間ばかり。俺のように、同世代の友人のように口を利く存在はいなかった。


「あと、二年で俺は聖騎士になる。だから――」


「ちょっと、エル!聖者様になんて、口をきいてるの!!」


 ルシャは泡くったように俺の暴言を止めようとしたが、俺は止まらなかった。聖騎士たちも、異端でしかない俺の行動に呆然としている。


「おまえは、夢だけを目指しとけ!」


 俺は、フリージアに小指を差し出した。

 指きりだ。

 この世界で、二人しか知らない約束の仕方だ。

 フリージアは、おずおずとそれに答えた。


「……分かった。僕が言い出したことだもんな」


「ああ。俺はあと二年で聖騎士になって、あと七年でおまえの側にいて不自然じゃない地位にまでなる」


 何度も無理だ、と思った無茶な約束だ。

 だが、今はそれが無理ではないと信じることが出来る。


 ――約束だ。


 言葉が、重なる。

 互いに、絶対に叶うと信じていたのだ。

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