第7話聖者の弱音

 世界から戦争をなくす。

二人でそれをやり遂げようと約束して別れた相手は、三年後――道端でサンドイッチを食べていた。


「おい、何やってるんだ?」


 王都は、屋台文化が発達している。というのも、四方を壁で囲まれた王都は土地代が高く、店を開くにしてもまとまった資金が必要になるのだ。だから、駆け出しの商人なんかは屋台を引いて商売を始めるのが普通だ。


 俺は屋台と言うとラーメンなんかを思い浮かべるが、この世界の屋台はコーヒーやサンドイッチ、はては洗濯や洗い物なんかにつかう灰汁まで売ってくれる。歴史にちょっと詳しい人ならば、この光景は江戸時代の棒手降りに近いと思うかもしれない。


 ということで、屋台の近くであるならば道端で飲み食いしていても不審がられない。だが、そいつは近くに屋台のない場所でサンドイッチを食べていた。実は、俺は一瞬だけ浮浪者と見間違えた。


「ソコの角にあったパン屋のサンドイッチを食べてる。チキンのやつ」


 絶対にやらない、とフリージアは最後の一口を頬ばった。

 別に食べたいとは思ってないが、食い意地のはった奴である。

 というか、おまえってこんなところにいていい人間だっけ?


「エル、この子って知り合い?」


 ルシャは、俺に尋ねてきた。

 俺だって、身内が路上でサンドイッチを食べている子供と話していれば不審がるだろう。だが、今はルシャのそういう常識的な部分が恨めしい。ルシャは聖騎士を目指しているだけあって、教会の信者である。

 つまり、フリージアはルシャにとって天上の人に等しいのである。

 道端で、サンドイッチをむしゃむしゃ食べていたとしてもだ。


「あーえっと」


 フリージアをどう紹介すればいいのか分からなくて、俺はしどろもどろになる。

 それを察したらしいフリージアは、立ち上がってルシャににこりと笑った。

 この国に、フリージアの母親のようなサハサ人は少ない。だから、フリージアの肌の色も髪の色も目立つ。なのに、フリージアが笑うとそういう目立つ部分を忘れてしまう。

 一種の才能と言うか、こういう笑顔を作れる人間を人誑しと呼ぶのかもしれない。


「フーリです。父親が商人で、エルとは村で出会ったんだよ」


 もうちょっと偽名を捻れよ、と俺は思ったがフリージアは極自然にルシャに手を差し出す。ルシャは驚きながらも、フリージアの手をとった。


「はじめまして。サハサの人と話すのは、初めてでごめんなさい」


「こっちこそ、ごめん。僕は、サハサ人じゃないよ。父親がルフの人だから、ルフ人」


 この世界では、父親の国籍が子供の国籍になるのが一般的のようだ。


「今日は、エルを貸してもらいにきたの」


「貸すって、俺は馬か何かか?」


 というか、おまえは一体誰に許してもらって俺を借りる気だったんだとフリージアに尋ねてみた。フリージアは三年前よりは、少しだけ小さくなった瞳でルシャを見つめた。


「エルを貸して!」


 おい、なんでルシャが俺の主人なんだ。

 フリージアに頼まれたルシャは、悪い気はしないらしくて上機嫌だった。そして、何を思ったのか俺の袖を引っ張る。子供だと思っていたルシャなのだが、最近は「なにを考えているのかよく分からない女子」に変貌を遂げつつある。


 フリージアと十分に距離をとったルシャは、わずかに興奮しながら俺に詰め寄った。


「可愛い子だったわね」


「へ?」



 ルシャの言葉に、思わず変な声が出た。


「あのフーリって子、可愛い子だったわよね。あんたの嫁は、めちゃくちゃ可愛くて気立てのいい子じゃないと苛め抜いて離縁させるつもりだったけど、あの子だったら第一段階は合格ね」


「何、言ってるの。可愛いとかそういう問題もあったけど、後半が怖い!!なんで、今から怖い小姑を目指そうとしてるの!!」


 気に入らなかったら従兄弟の嫁を苛めて離縁させるって、どれだけブラックな親戚だよ。

 ルシャは俺の言葉も聞かずに、うれしそうに飛び跳ねている。

 俺は、彼女の肩を強く掴んだ。

 色々言いたいことはある。

 怖い小姑みたいな妄想とか、思いっきり突っ込みたい。だが、最初にコレだけははっきりさせておこう。


「おい、ルシャ。フーリは男だ」


 ちなみに、三年前は俺より身長が高かった。

 今は、俺のほうが高いけど。

 俺の告白を聞いたルシャは、俺とフリージアを見比べる。そして、小首を傾げた。


「ええっと、取った人?」


 どこを、とは聞かないからな。


「たぶん、取ってない。てか、あれは思いっきり男だろ!!」


 異国風の顔立ちだから性別不詳にも見えるけど、身長もそれなりにあるので俺から見れば立派に男である。女性的に見えるのは、長い髪ぐらいか。


「エル、あなた目の具合は大丈夫なの?視力が悪いと聖騎士の試験に落ちるわよ」


 心配そうにルシャは、俺の顔を覗き込む。

 俺としては、ルシャの目のほうが心配だ。


「ともかく、ぜったいに嫌われるようなことをしちゃだめよ。東の森は人通りが少ないから、連れ込んで人に言えないようなことをしたらダメなんだからね」


「……もう、色々と黙ってくれ」


 この世界の結婚年齢が低いせいだからなのだろう。子供は、俺が知っているよりも早く大人になる。とくに、女の子はそれが顕著のようだ。日本で十三歳の子がこんなことを口走っていたら、俺は立ち直れる自信がない。


 ルシャは「じゃあ、僕は帰ってあげるからね。ありがたく思いなさい」とやたらとえらそうに去っていった。


「エル、あれって家族?」


「あー、今世話になっている親戚。俺、身内が姉しかいないらしいんだ」


 この三年で、エルの人生もだいぶ板についた。

 だが、本物の家族がいた実感があるせいで、姉さんも叔父さん一家も親切な他人という感覚が拭えなくて困る。姉さんと母親がダブってしまうことはあったが、今は離れているからなんともいえない。


「そうか。なら、悪いことをしたかもな」


「女の子が尋ねてくるならともかく、男が尋ねてくるんだから勘違いもなにもないだろ」


 こいつまで何を言っているのだろう、と思った。


「いや、僕は今は魔法で他人では女の姿に見えるようにしているんだ。正確には、僕の母親の若い頃の姿だな」


 ……何、言っているのだろうか。


「この魔法は、身内に変身する魔法なんだけど血の繋がりが濃くて似ている相手じゃないと精度があがらないんだ。僕は、母が限界だな。条件では父にも化けられるんだが、父と僕は容姿が似ていないんだ」


「俺には、三年前に分かれたおまえが成長した姿にしか見えないんだが……」


 改めて、俺はフリージアを観察する。

 滑らかな褐色の肌に、裾の長い白の装い。髪は飴細工みたいに銀色に輝いていて、三年前に言葉を交わしたフリージアがそのまま生長した姿で間違いはなかった。鍛えている俺とは違って細くて華奢ではあるだろうが、女そのものに見えるわけでもない。


「忘れたか、君は僕の魔力を半分もっていっているんだ。僕の魔法が通用しなくて当たり前だろうが」


「ああ、そういう理由なのか」


 俺とフリージアは、魔力を別けあってしまっている。


 だから、俺にはフリージアの魔法が効かなかったのだ。ようやく、ルシャがあんなに騒いだわけが分かった。


「あれ?だとしたら、よく魔法なんて使えたな。俺は医者に現代魔法と俺の魔力が会わないって言われたけど」


 そのため、俺の魔力はただ多いだけで無用の長物になりはてている。


「合わないのは現代魔法なんだろ。昔から存在していた古代魔法だったら、僕たちの魔力でも使えるものがある。王族や古い貴族では、そういった魔法の記録を残している家もあったから……まぁ、現代魔法みたいに効率化されていないから無駄、ムラがあるんだけど」


 フリージアの話を聞く限り、俺も古代魔法なら使えるようだ。

 だが、その魔法を学ぶためには王族や貴族の家に記録を見なければならないか。フリージアならば立場的にできそうだが、俺には難しいな。


「魔法で姿を変えてまで、俺に会いに来た用ってなんだ。あいにく、俺はまだおまえに会いにいけるような準備を整えられてないだけど」


 王都の学校は、剣も魔法も教えてくれるが聖者様を守れるような聖騎士に俺はまだなっていない。というか、現実を知れば知るほどに十年で会いに行くと言った言葉がいかに世間知らずだったかをかみ締めるような日々ある。


「なぁ……あれ。あの話、やっぱりナシにしよう」 


 フリージアは、俺にそう言った。

 その言葉は、予想外だった。


「ナシって……どういうことだよ」


 俺は、十年でフリージアに会いに行くという言葉をたがえる気なんてなかった。だから、今まで努力してきたのだ。なのに、フリージアは止めようと呟く。


「戦争をなくすって話。やっぱり、無理だ。できっこない」


 あはははは、とフリージアは乾いた笑いを漏らす。

 その笑い方は、どこか達観している。

 こいつは、何度も転生して人生を渡り歩いてきた馬鹿だ。俺よりも、精神年齢は上のはずだ。だが、こいつはそれでも三年前に「世界から戦争をなくす」と俺に言った。

筋金入りのすごい馬鹿なのである。

なのに、今はあの馬鹿馬鹿しさを忘れてしまったみたいだった。

 そんな馬鹿なこと言葉だから、俺は目指してやろうと決めたのに。


「ふざけるな……また人を巻き込んで、しかも今度は勝手にあきらめるのかよ!!」


「しょうがないだろ。だって、無理だってわかったんだから……」


 フリージアは顔をうつむかせる。

 この三年で、一体何があったのだというのだろうか。


「理由を説明しろ。俺には、納得できないんだ」


 俺の言葉に、そうだろうなとフリージアは頷いた。


「まず、三年前の僕の状況を改めて説明する。初めて会ったときは、違和感があっただろ」


「違和感しかなかったぞ」


 なにせ、金田純一の人格の話ができる唯一の人間である。あと、たしかこいつは初対面で俺に岩をぶつけようとした。


「そっちじゃなくて、まだ君にエルの自覚があったときの話だ」


「……ああ、頭突きのほうか」


 思い出すのに時間がかかったのは、自覚のない記憶だからだ。俺は聖者のフリージアに両親を生き返らせてくださいと願い事をしにいって、頭突きを食らったのが本当の初対面であった。その後のことが、衝撃的過ぎて忘れていたけれども。


「あの頭突きの少し前まで、僕は君と同じ状態だった。フリージアの記憶しかなくて、大人に都合がいい人形の状態」


 その言葉に、俺は息を呑む。

 フリージアは、俺が忍び込んでも悲鳴一つ上げなかった。かかっているヴェールを取られたときに、俺に頭突きをしたのが最初で最後の抵抗だ。


「あの頭突きも、……フリージアの前の人格が?」


 なんとも言い表しにくいが、俺と同じ状態ならばフリージアにもエルと同じ人格があったはずなのである。だとしたら、あの頭突きはエルに相当するフリージアの行動だったのだろうか。


「いや、アレは完全に僕の意思だ。僕の魔力を半分持った君が近くによることによって、僕の意識は表に立つことができた。だが、君の記憶に変化はなかった。だから、こう古いテレビ的な方法で……」


 おまえもやっぱり、古いテレビみたいと思っていたのか。

 俺が睨んでいるのに気がついて、フリージアはコホンと咳払いする。


「だから、僕の意識は三年しか表に出ていない。君と同じだ。だが、それをよく思わない人間が教会側には多くいた。フリージアは、本来はとてもおとなしい人形のような人格だった。それだけが、教会のなかでは求められている」


 何も考えない、何も言わない、何も求めない、いるだけの聖人。

 俺は、自分に頭突きする前のフリージアを思い出す。俺が忍び込んだ部屋で、何も言わずにただ椅子に座っていただけの聖人。それこそが、本来のフリージアなのだろう。

 恐らくは十年もたたないで僕は失脚する、とフリージアは言った。


「おまえ、一応は王族だろ」



「母親の身分が低いし、兄は三人もいる。僕一人を殺したところで、国に損害を与えるほどじゃない。それに、王室が僕のことをやっかいに思っている」


 フリージアは、聖者だ。

 だが、教会はルフ国の国教というわけではない。一番信者の数が多い勢力という形であり、王室との結びつきも強固なものではなくて「なあなあ」に近いのだ。王室からしてみれば拒絶すれば面倒臭いし、認めても面倒くさい相手なのだろう。

 なのに、王族が聖者に認められているのだから目の上のタンコブだ。俺が王様だったら暗殺しているかも、と考えて改めてフリージアの身分が危うかったことに気がついた。


「君が、僕の近くに来たら君まで巻き込む」


 フリージアは、そう言った。

 こいつは、世界から戦争をなくすという目標に俺が苦労しないとでも思っていたのだろうか。あきれたくなるような、言葉だった。


「おまえ、なに言っているんだよ」


 三年前のおまえは、夢だけを見ていただろ。

 どうして、そのままでいられなかったんだよ。


「……前世の僕も、きっと分かったんだ。人間から、戦争はなくせないって」



 フリージアの言葉に、俺はどきりとした。


「記憶が、戻ったのか?」


 フリージアは、首を振る。


 彼は、前世で自分がそうして自殺したのかを思い出せない。フリージアいわく、彼の記憶と俺の記憶が混ざったせいらしいが、俺はフリージアの混ざった記憶を思い出していない。だから、俺はフリージアは思い出せないだけなのではと疑っている。

 そして、思い出したところでフリージアによい影響を与えないだろうとも思っている。だって、たぶん前世のこいつは『人類の歴史には始まりから最初まで、戦争がつきまとうであろう』という本の一言で絶望したのだ。

 だが、フリージアは記憶を思い出したわけではなかった。

 彼の唇から発せられたのは、予想外の言葉だった。


「でも……僕自身も殺したいほどの恨みを抱いてしまった。こんな恨みを持っている人間に、人間なんて救えるわけがない」


「おまえ、もしかして今まで一度も誰も恨んだことがなかったのかよ」


 俺は、呆然としていた。

 千回も転生を繰返していながら――彼は誰も何も恨むことはなかったのか。


「ないよ。全ては試練だと思っていた。でも、今回は違う。すでに全ての転生は終わって、これは試練ではなくて取り返しのつかない人生だと思ったら、足を引っ張る人間が憎くなった。人に憎しみを抱いたままで、人なんて救えない」


 フリージアの言葉は、普通のことだった。

 人間だったら、誰しも持っているような感情。

 どうやら、フリージアは千回も転生を繰返してきたが、あまりに大きな目標に目を奪われすぎて人間らしい感情を育てない人生を歩んできたようだ。ここに来て初めて、彼は人間らしい感情に足を引っ張られている。


「フリージア、それは当たり前のことだ」


 俺は、聖者を見つめる。

 ただ人間を救おうと、千年も異世界で転生を繰返してきたフリージアは頼りがいのある存在ではなかった。人間としての当たり前の感情を汚いと切り捨てたがる、思春期の子供みたいな奴だった。


「人間って言うのは、誰だって自分の目標や目的のために動いていて……それで足を引っ張り合うんだ。就職活動とか受験みたいに……」


 万人が目標に届くわけではない。

 だから、努力と落胆と喜びがある。

 そして、同じような目標を建てる人間を疎ましくも思う。


「いいのか?人間を救いたいのに、人間を恨んでも」


 フリージアの問いかけに、俺は力強く頷く。


「ああ、良いんだ」


 その言葉で、フリージアは少しだけ楽になったようだった。

 俺も、それを見てほっとする。

 こいつの転生に引っ張られる形で、俺もこの世界にやってきたのだが――俺は今でもフリージアを歩道橋から飛び降りようとする小学生だと思っている節があった。

 手を伸ばさなければ、落ちてしまうか弱い存在。だから、フリージアが少しでも楽になると俺も安心する。


「魔法まで使っているってことは、住んでいるところから抜け出してきたんだろ。ついていってやるから、一緒に帰るか」


 俺の申し出に、フリージアは笑った。

 まだ肉体年齢が十三歳だから、フリージアも俺も当然幼い。だが、普通に笑うフリージアを初めて見たせいで、俺はどきりとした。

 その笑顔に魔法がかかっているような気がした。


「僕のこと、小学生だと思っているだろ」


「お見通しかよ。というか、年齢的には俺たちはまだソレぐらいだろ。まて、十三歳って中学生だっけか?」


 俺の言葉に、フリージアがまたクスクスと笑った。

 この世界で、二人にしか通じない会話だ。夕暮れの王都にはたくさんの人がいて、買い物や商売に忙しいのに「十三歳は中学生か小学生か」なんて、話題で笑いあえるのは俺たちだけ。なんだか、世界っていうものが急に小さく萎んでしまったみたいだった。

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