親のかたきに賢者を殺す

 師弟は、ロシア連邦ウラル山脈西麓の森にいる。木々で隠れて分かりにくいが、斜面に人間一人が入れる穴が開いている。降りてしばらく進むと、立って歩けるほどの広さになる。さらに奥に行くと、洞窟の先に水面が見える。ここから先は水中洞窟だ。


 水中洞窟を前にして、修一は半眼となってマナ探知をしていたが、驚いて声を上げた。


「これは! この先の水中に無数にいるマナ揺動生物が魔物なんですか?」


「そうだ。ここは水中迷宮だよ。魚類系の魔物だ。マナ揺動は小さく種類も少ないがな。オルトゥスの基準で言えば小規模迷宮になる。奥に一体、大きいのがいるくらいだ。迷宮コアから発生するマナ量は少ない」


「そうはいっても、地球では相当にマナの濃密な場所ですよね。俺自身のマナ揺動も大きくなっています。魔法の威力も大分上がりそうだ」


 この場所こそが、転移特異点。賢者が最初に地球に現われた地点だった。オルトゥスに比べて、地球はマナが希薄だ。だがマナがあるということは、マナを発生させる迷宮コアがある。数は少ないが世界各地に小規模迷宮はある。どれも公式には人跡未踏の地だ。


「さて。修一が修得できる魔法は全て教えた。修一が今使える上級魔法は共鳴魔法だけだが、レベルが上がれば他の上級魔法も修得できるだろう。当面は修一に教えることは何もない」


「弟子は卒業ということですか。これからどうするんですか?」


交易こうえきだよ。修一に手伝ってもらいたい。オルトゥスは、この地球に比べたら、魔法の分だけは多少便利な、中世並みの遅れた世界だ。だが地球にはない動植物、鉱物、魔道具がある」


「このマナ濃度のある場所で、俺の共鳴魔法を受ければ、転移魔法が発動できるという訳ですね。実は以前から予想していました、先生の目的が交易じゃないかって。二つの世界の王になれる」


 修一は賢者の応えを待たずに共鳴魔法を発動した。


「そうだ。ここなら修一のお陰で転移魔法陣が発動できる。転移は一人しかできないが、手荷物は持ち込めるからな」


 賢者は修一の共鳴魔法によって増幅された魔力で、上級時空魔法を発動した。床面に、青白い光を放つ魔法陣が生成される。


「よし。ついに転移魔法陣が生成できたぞ。今は待機状態となっている。後は誰かがこれに乗ることがトリガーとなって、魔法陣が周囲のマナを吸収して転移魔法が発動する」


 普段、冷静な言動の賢者が、珍しく興奮した様子で、魔法陣を眺めている。


「卒業記念に、そのオルトゥス産の短剣をもらえませんか。代わりに俺が使っていた短剣をどうぞ」


「よかろう。一年以内にはまたこちらに来るつもりだ」


 二人は剣を交換した。魔法は強力だが、発動するのに数秒のマナ錬成の時間を要する。そのため、この一年、近接戦闘用に師弟は帯剣するようになった。レベルが高い二人は、身体能力も高く、剣術も達人並の技量を備えている。


「先生、以前話した柿崎さんのことで確認したいことがあります。柿崎さんは俺をはめたことを後悔していた。俺を憎んだ理由が自分でも分からない、そう奥さんに話していた」


 修一はここで言葉を止めた。賢者が視線で続きを促す。


「……先生が柿崎さんに精神魔法をかけて俺を憎むよう仕向けたんですね? その結果、俺は追い詰められて先生の弟子になった。そして先生が、用済みの柿崎さんを殺したんだ」


「馬鹿なことを」


「三年前の警察官二人の暴走も精神魔法で暗示をかけたんでしょう? 『解毒魔法』で怒り始め、『だが断る』という言葉で暴発する」


「何のためにだね」


「俺に人殺しの経験をさせるためだ」


「再び問うが、何のためにだね」


「俺のレベルを上げるためだ。そして共鳴魔法を覚えさせるためだ。あなたは俺という才能を見つけてから、俺を上級魔法使いに育てるために行動してきた。今、この時のために! 転移魔法を発動するために!」


「それが事実として、柿崎や二人の警官のかたきを討とうというのかね?」


「柿崎さんだけじゃない。野田にも精神操作していただろう。ひき殺してから酒を飲むように暗示までかけて! あなたは、俺の母親を殺し、柿崎さんを殺し、俺を追い詰めた。あなたにすがるしかない状況に追い込んだ!」


「そう確信しているならなぜ寝込みを襲わなかったのかね?」


「分かっているくせに! 俺に信頼感を植えつけた。俺はあなたを恨んでいるが、俺からは攻撃できない。だから転移魔法の作成に協力した。このまま帰還して二度と戻って来ないでくれ。あなたが転移した後で、迷宮コアを破壊する」


「それは困るな」


 賢者の表情が険しくなる。魔法杖をピクリと動かしたところで修一が声をかける。


「あなたがマナ錬成を始めた時点で攻撃されたと認識しますよ。帰還してください。あなたを斬りたくはない」


 修一は魔法杖を懐に収め、剣を抜いた。


「剣で挑めば、私を倒せると思うのかね。身体能力も私の方が圧倒しているぞ」


 賢者も杖を置いて剣を抜いた。


「フシッ」

「フンッ」


 師弟は短剣で切り結ぶ。技量も腕力も賢者が上だ。だが、二人のオルトゥス産ローブは防刃耐性が高い。修一は、露出している手首と頭部だけを確実に護って、致命傷を避けてはいる。だが――


――ドスッ

「ガァ」


――ゴスッ

「ウグゥ」


 賢者はローブの上から剣で何度も修一を撃ちつける。斬れなくとも衝撃は伝わる。修一は頭部と手首を護るだけで精一杯だ。ローブの下では、ひどい打撲傷が積み重なっていく。


 それでも何とか隙を突いて、渾身の力で反撃の斬撃を放つ。賢者はステップで避けるのは間に合わない。剣で迎え撃った。剣と剣がぶつかる。


――ガキイイン


「な!」


 賢者の短剣が折れた。修一は間を置かず、賢者の首筋に二撃目を放った。


「アガァ……」


 頸動脈を斬った。そのまま三撃目。横薙ぎ。


 ゴトリ、と賢者の首が落ちた。


「カハァ……ハァハァ」


 満身創痍の修一は荒い息をしている。やがて、レベルアップ時特有の活力が修一の身体を満たしていく。レベルアップすると、怪我や疲労が大幅に回復する。高レベルの賢者を倒すことで修一は大幅なレベルアップを自覚した。上級魔法使いに届くレベルだろう。


 賢者に渡した短剣にはあらかじめ傷をつけていた。卑怯だとは思わない。修一自身は戦うことを宣言していない。争うことを選んだのはあくまでヴィクターだ。


 これまで復讐のためだけに生きてきた。あのヴィクター相手に生き残れるとは思っていなかった。これから自分はどう生きていこうか……。


 洞窟入口から人が近づく気配がする。暗がりの中から姿を表したのは女性だった。その女は感嘆した様子で修一に声をかけた。


「凄いわ。信じられない。あのヴィクターを相手によく倒せたわね」


 声をかけられた修一はあまりの驚きに思考が止まる。ここには絶対にいるはずのない人だった。

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