新しい世界
暗がりの中から姿を表したのは女性だった。修一はその女性を見て叫んだ。
「なんで!? 母さん! 生きていたの?」
「車にひかれて重傷だったけれど生き延びていたの。でもヴィクターの追及をかわすために死んだことにした」
「どうして――」
「連絡できなかった。あなたはヴィクターに目をつけられていたから。レベルが低い頃のあなたはヴィクターに嘘を隠し通せない。心配させてごめんなさい」
「ほ、本当に、母さんなの?」
「修一の前では老けメイクしていたからね。ふふっ。修一が十八になったら一人暮らしさせたのも私の若さを気付かれないためよ」
修一の母親は、黒髪黒目で白人種と黄色人種の混血のような骨格で色白の肌。三十前後の年齢に見える。三十男の母親とは思えない若さだ。
彼女はマナ撹乱の腕輪を外した。途端に乱れていた彼女のマナ揺動のパターンが秩序を取り戻す。その揺動は修一並みの大きさだった。
「今はアメリアと名乗っているわ。というか、もともと日本人でもないし」
「な、何から聞いていいんだか。どこの人で何歳なんだよ」
「帝政末期のロシア生まれ。名前も国籍も何度も変えてるから、国に所属してる意識はないわ。あ、修一は末っ子ね。父親は違うけど、七人兄妹。桜記念病院の副理事が修一の姉の一人ね。隠しているけど、彼女も生まれついてのマナ覚醒者よ」
「俺は! 俺は唯一の肉親だと思っていた母さんのかたきを討つために、手を汚してレベルを上げてきた。それなのに……」
「ヴィクターは間違いなく、あなたの親のかたきよ。あなたも薄々感じてたでしょう?」
「それってまさか」
「柿崎さん。彼が結婚する前に付き合っていたの。私が妊娠したから別れた。柊篤史とは書類上の結婚。私の一族は女の方がマナの才能に優れていて母系制。結婚生活はしないの。
「なんで最初から全て話してくれなかったんだよ?」
「修一は私みたいなナチュラル、つまり、
「そんなことないだろ! 集中力も体力もつくんだ。レベルが低いままでも十分勝ち組じゃないか!」
アメリアは悲しい表情でため息をついた。
「ふぅ。勝ち負けの物差しで人生を測ると、不幸になるわよ。あなたは兄妹の中では才能がない。どんなに努力してもかなわない。これから生まれるあなたの子供にもかなわない。そんな事実は知らない方がよかったのよ」
「そんなに差があるの?」
「圧倒的に。ナチュラルなら、マナ生物を殺さずにレベル上げができる。効率は悪いから、私はこの歳でも修一と同じレベルだけどね。でも伸びしろはまだまだあるの」
アメリアは半眼になって右掌を水辺に向けると、チチチチと呟く。しばらくすると、水中から、五メートルはあろう巨大な蛇が半身をさらした。ゆっくりと水辺にいるアメリアに向かってくる。
「この子は迷宮ヌシの蛇型魔物。グレイサーペントと呼んでいるわ。もう何百年も生きている」
巨大蛇の魔物のマナ量は、修一達と同じくらい。アメリアによく懐いている。
「マナをちょうだいね」
アメリアは優しく声をかけると、手刀で蛇の喉元を斬った。アメリアが持ってきた大きめのカップに血が注がれていく。カップに血が一杯にたまると、アメリアはためらうことなく、一気に飲み干した。カップに三杯の血を飲むと、小さく魔法を唱える。蛇の傷口は塞がった。
「ありがとう。またね」
アメリアが声をかけると巨蛇は水中に戻っていった。蛇のマナ揺動は相当小さくなっている。
「また半年経つ頃には、レベルが戻っているわ。この洞窟は何百年も昔から、私達一族の聖地の一つよ」
アメリアは少しばかり若返っているように見える。
「ヴァンパイア一族だったのか……」
「迷宮の暗さに過剰適応してるから明るいのは苦手だけど、私達は人類の敵じゃないわ。
「あ、でも今の俺なら一族の中ではレベルは高い方だろ? 劣等感を抱くことはないと思う」
「修一、私達の一族に正式に加わるなら、マナ撹乱の首輪をつけて残りの生涯を過ごしてもらう。善悪の問題じゃないの。私達だって生き残るために非道なことはしてきた。でも、暴力には頼らない、そうやって生き延びてきた」
「そんな――」
「あなたは人を殺し過ぎた。一族はあなたを信じられなくなっている」
アメリアが鞄から首輪を出して修一に渡した。
修一が首輪を手にした瞬間、体内マナが霧散して、強化されていた肉体が通常人に戻る。五感が鈍くなり、数メートル先が暗がりに沈む。強化が解けた筋力では、これほど肉体が重いことを忘れていた。思考力さえ鈍くなっているように感じる。
「私達も普段はマナ撹乱の腕輪をつけているわよ」
「よく耐えられるね」
「ナチュラルは、ほんの僅かでも身体にマナがあれば、十分に活かせる。魔法は使えないけど、プロアスリート並みの身体能力はあるわ」
「そんなに違うのか……。俺は今さら
「人殺しはしない。ヴィクターと修一のしてきたことを事実のまま公表するだけよ。そうなったら先進国に修一の居場所はなくなる。犯罪組織や独裁国家の専属魔法使いになるしかない」
「専属魔法使いなんて、結局首輪をつけられているのと変わらないじゃないか! 俺はずっとヴィクターの命じるままに人を殺してきた。復讐のためだと自分に言い聞かせながら。俺はもう誰かの犬にはならない!」
「修一は私のかたきを討つために、血塗られた道を歩んできたのよね? そこまで母親の私を想ってくれていたのは嬉しい。だけど復讐なんかして欲しくなかった」
「そんな、俺は――」
「自分の子供に人殺しさせて喜ぶ親なんていないわ。なんでそんなことも想像できなかったのよ、バカ!」
アメリアはそう叫ぶと修一の頬を平手で打とうと振りかぶる。だがその勢いはなくなり、手のひらを息子の頬にそっと置いた。
「修一、お願い、
「俺はこの力で人を
「ごめんなさい。一族を危険にさらすわけにはいかない。ヴィクターのことでずいぶん無理をしてきた。これ以上は……」
「母親は息子を信じてくれるもんだろ?」
修一は必死になって懇願する。
「母親だからあなたの帰る場所を用意したのよ」
母親の答えに修一はうなだれる。しばらく下を向いていたが、手にしている首輪を両手で握って力を込め始めた。首輪は金属製で、通常人の力ではたやすく壊せない。だが、やがてバキリと首輪が折れた。
マナが復活して修一の身体に力がみなぎっていく。修一の目にも生気が宿っている。
「もういいよ。母さんが信じてくれなくても、俺は自分を信じる。選択肢がもう一つある」
修一は青白く輝いている転移魔法陣に視線を移す。つられてアメリアも魔法陣を見て理解した。
修一は転移魔法陣に向かう。覚悟を決めた修一の足取りは力強い。やがて魔法陣に足を乗せると、青白い魔法陣がマナを吸収して強い緑色に輝く。光量がさらに増して数瞬後、突如光は消えた。
(ありがとう、さようなら母さん)
アメリアには修一の呟きが聞こえた気がした。今や魔法陣は跡形もなく、修一もいない。世界間転移できる魔法使いは、オルトゥスにも地球にも、もういない。
眩しいのは嫌いだわ、そうアメリアは呟くと、涙もふかずにサングラスをかけて踵を返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます