母をひき殺した男

 日本での特殊部隊との戦いから半年。銃器訓練を受けているマナ覚醒者は、もういない。彼らを全て倒した修一は、今や上級魔法使い一歩手前のレベルに達している。基本的な精神魔法も修得した修一は、賢者とともに、漏れなく警察、軍組織の幹部を掌握した。



 深夜、修一は独居房のドアを開いて、中にいる男に視線を向けた。収監されている男は野田重信、六十歳。三年前、飲酒運転により、七人の男女をひき殺した。


「何だ? こんな時間に弁護士先生? じゃねえな。アンタ誰だ?」


 野田が寝具から半身を起こしていぶかしげに問いかける。


「お前に母親をひき殺された男だ。やっと二人だけで会えたな」


 修一が部屋に足を踏み入れる。魔法杖を野田に向けて小声で魔法を呟いた。


「な、何だよ。一般人がこんなトコに入ってこれるのかよ!」


 野田は異常な状況に、怯えた声をだす。


「お前と会うためにレベルを上げて、精神操作魔法を覚えた。俺は魔法使いだよ」


 修一はゆっくりと野田に向かう。


「ふ、復讐か、お、俺を殺すのか」


「あたり前だろう」


 修一は野田の前に立つと、野田の肩に手を置いた。修一の静かな迫力に野田は身体がすくんで動けない。


「や、やめてくれ。オレは罪を認めた。この先何年もここの牢屋で過ごすんだ、ちゃんと罰は受けてるだろ?」


「確かにひき殺したのは認めた。だけど飲酒運転は否定したな。それは反省してないってことだ」


「裁判で言ったとおりだって! アイツらが襲ってきたんだ。らなきゃ殺られる。だからひき殺した。その後で落ち着くために水を飲んだつもりだった。だけど酒のペットボトルだった」


「被害妄想にかかった精神病者のフリはやめろ。精神病歴もないし精神鑑定でも否定されているだろ。監視カメラにも歩行者が襲った様子は映ってない」


「分かってる。精神病のつもりはねえ。ただあの時はホントに見たんだよ、襲ってきたんだ」


「俺の目を見ろ。ゆっくりと息を吐け」


 おびえて呼吸が荒くなっていた野田が次第に落ち着く。


「正直に答えるんだ」


 野田が頷くの見て修一が続ける。


「酒を飲んだのはいつだ?」


「アイツらをひき殺して車を止めた後だよ」


「酒はいつも車に置いてあるのか?」


「あの日だけだ。気がついたら助手席に置いてあったんだ」


(自白効果のある魔法をかけているから嘘はつけないはずだ。妄想は酒のせいじゃない。そして酒はどこで手に入れた?)


「目を閉じろ」


 目を閉じた野田に向けて、修一はまた魔法を呟いた。野田を催眠状態にする。


「六月三日、朝八時十五分、運転中のお前は桜記念病院前で信号待ちをしている。助手席に何が見える?」


 修一の母は病院の事務職、他の六人の犠牲者も病院勤務者、そして野田は出入りの業者だった。


「うぅ、ペットボトルの……」


 野田はどこのスーパーでも買える焼酎の商品名を挙げた。


「その酒を飲んでから運転しているのか?」


「ま、まだ飲んでいない。怪物退治をした後に飲めと言われた。心の汚れがとれる聖水なんだ」


(怪物退治? そんなことは裁判で話してない)


「怪物退治をするのか?」


「そうだ。八時二十分、職員通用口に怪物達がやってくるんだ。もうすぐだ、行かなきゃ」


 野田は催眠状態のまま、手足を動かして車の操作をしている。


「誰が酒をくれた?」


「男、親切な男だよ。聖水をくれたんだ」


「どんな男だ? 服装は? ローブを着ていたか?」


 野田はハンドルの操作をしている。彼の中ではもうすぐ通用口が見える。


「あぁ! ヤツらがいやがった! 来るな! クソッ」


「おい! どんな男からもらったんだ? その男は杖は持っていたか?」


「あぁ、ああ! 来いよ! やってやる! やってやる!」


 野田は叫び声を上げて、その場で興奮しながら手足を動かしている。


(クソッ、いったん催眠を解いてやり直すか)


「ガハァ」


 突然、野田が泡を吹いて倒れた。身体が痙攣している。


「毒魔法……」


 野田の症状を見て修一が呟く。初級水魔法。マナ覚醒者なら体調を半日悪くする程度の軽い毒だ。射程も短い。ただし魔法抵抗のない通常人ノーマルには致命症となる。


 この魔法を使えるのは修一以外に一人しかいない。修一が扉をふり返ると、賢者が立っていた。


「撤収の時間だ。私が毒魔法をかけたが、自分の手で親のかたきを討ちたかったかね? 解毒魔法をかけてやり直すかね?」


「……いえ、もういいです」


 師弟は痙攣している野田に視線を移す。オルトゥスでは慣例的に毒魔法と分類しているが、実際には神経毒に似た効果をもたらす攻撃魔法だ。数分後には心停止するだろう。


「君の母親についてはこれで決着だな」


「母は俺がマナ講習を受けることに反対していました」


 師弟は野口の断末魔だんまつまを見ながら会話している。


「君の母親と会った時に、ごく僅かだがマナ揺動を感じた。彼女は生まれついてのマナ覚醒者だったな」


「母は昔から勘が良かったです」


「生まれついてのマナ覚醒者はオルトゥスでは歴史上の英雄しかいない。修一以上の稀有けうな才能だ。訓練を勧めたが断られた。マナ覚醒者はトラブルを招くだけだと強い懸念を抱いてたよ。『説得』も全く効かなかったな」


 修一は賢者に応えず、しばらく黙っていたが、やがて言い難そうに質問をした。


「……俺に精神魔法をかけてますよね? マンション屋上で再会した時だけでなく、その前から」


「上級マナ講座の講義中に、生徒達に私への信頼感を植えつけた。学習効率を上げるためだ。レベルが上がって魔法抵抗力が増せば自然に解ける。もう解けかかっているだろう?」


 賢者は悪びれることもなく答える。


「先生は似ているんですよ、柿崎さんに。声質や雰囲気がとても」


「ふむ。君を陥れた元上司だったな」


「先生を信頼する気持ちが強いせいで、柿崎さんに裏切られたことが分かった後でも彼への信頼感が消えない。俺は彼を軽蔑する一方で、強く尊敬している」


「彼は、確か事故死したな」


「ええ。亡くなっても柿崎さんへの想いが消えないので、先月、奥さんに話を聞きに行きました」


「ふむ」


「柿崎さんは後悔していたそうです。俺に火魔法をかけられて恐怖したけれど、それで目が覚めた、今ではなぜ俺を憎んでしまったのか分からない、と」


 修一はここで言葉を止めて、野田から賢者に視線を移して、彼の表情をうかがう。


「ほう。興味深いな」


 賢者の応えは相変わらず冷静沈着だった。


「先生は――」


「アガッ、ガッ」


 野田は最後に大きくうめくと動かなくなった。


「死んだな。話は後だ。撤収しよう」


 師弟が野田の独居房に訪れた公式記録はない。野田の死因は心臓麻痺と記録された。


 この後、修一は、柿崎とともにセクハラを捏造ねつぞうしたもう一人、相沢亜希を訪ねようとした。だが、彼女は柿崎の死後、行方不明になっていた。賢者への信頼を植えつけられている修一の目からみても、ここまで状況証拠がそろっていれば、賢者の関与は明らかだった。



****

 東京郊外の霊園でアメリアと滝沢樹たきざわいつきが、柿崎春樹の墓前でたたずんでいる。滝沢樹の腹部が大きくなっている。


「柿崎さんが亡くなる前に会っているんですよね?」


「ええ。記憶と感情を操作されていたわ」


「治せなかったんですか?」


「修一の火魔法のショックで洗脳は解けかかっていたから、治すのは問題なかった。でも正気に戻った方が彼には辛かったでしょうね。ひどく狼狽していたわ。修一に連絡を取るのは危険だからやめろと説得するのが精一杯だったわね」


「柿崎さんは事故死に見せかけてヴィクターに殺されたんでしょうか?」


「そう思う。彼の洗脳が解けたことに気付いて、殺したんでしょう。こんなことなら治さないほうがよかった」


 アメリアが悔しそうに墓石を見つめて答えた。


「魔法使いのレベルはヴィクターが上でも、奇襲すれば殺せるのでは?」


 質問されたアメリアは、キッとした表情を滝沢樹に向ける。


「毎日、ヴィクターを殺す方法を考えている! でもそれはしない。私達のようなマナ覚醒者の組織は幾つもあった。だけど内紛や通常人との争いで潰れたわ。私達は、暴力には頼らない方法を考えることで生き残ってきた」


「そうでした。だからこそアメリアさんのグループに入れてもらって、子育てをしようと決心しました。修一にも全てを話して説得しないのですか?」


「野田さんの暴走以来、私達は後手後手になっている。もう手遅れよ。修一は、特殊部隊との戦闘以来、百人以上、マナ覚醒者を殺している。警備部を異動したあなたには情報がこなかったろうけど……」


「そんな……。でも親のかたきを討つためにレベルを上げたのでしょう? 決して悪人じゃない。ヴィクターに洗脳されている訳だし」


「いくらヴィクターでも、魔法抵抗力のある修一を洗脳できない。できるのは信頼感を植えつけるくらい。それに善悪の問題じゃないの。修一は暴力的過ぎる」


 アメリアは樹の肩に優しく手を置いた。


「修一が用済みになったら、ヴィクターは次にあなたの子供を狙うでしょう。この子だけは守らないと」


 そう言ってアメリアは墓石に視線を向ける。ごめんなさい、柿崎春樹と修一を守れなかったことを心中でびる。


「今日もまぶしいわね」


 そう呟いてアメリアはサングラスをかけた。

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