会津会談

◇◇


 坂本龍馬が松平容保との壮絶な駆け引きをしているその頃――

 

 

「くっ……! もう弾薬を使い果たしたっちゅうのか!」



 今市を破り、疾風怒濤の勢いで北上を続けていた板垣退助であったが、前線からの報告を受けて顔をしかめた。

 ……と、その時だった。

 

 

「おっと、正午だ! 『密林商会』の出番だぜ!」



 と、やたら派手な緑色のハッピを着た長岡謙吉が彼の前に現れたのである。

 わざとらしい作り笑いを浮かべている彼に対して、板垣退助は訝しい顔つきで口を尖らせた。

 

 

「おい、謙吉。おまん、ちっくと調子に乗りすぎやないか?」


「調子? そりゃあ、絶好調に乗っちゅーよ! はははっ! さあ、さっさと注文するぜよ!」



 苦言をあっさりと受け流した長岡謙吉に、ぐいっと『注文用紙』を押し付けられる。

 渋々それを受け取った板垣退助は、『弾薬』『食料』『水』の欄に数字を書き込んでいった。

 そして一通り書き終えたところで、長岡謙吉に突き返したのだった。

 

――パチッ! パチッ!


 『注文用紙』を見ながら、その場で楽しそうにそろばんを弾く長岡謙吉。

 しばらくして、計算し終えた彼は満面の笑みで言った。


 

「しめて三千両なり! 今までの分と会わせるとちょうど一万両っちゅうことじゃな!」


「ふむ……。しかし、本当に大丈夫なんじゃろな?」



 普段は自信に満ち溢れた精悍な顔つきの板垣退助が、心配そうな顔つきで長岡謙吉を覗き込む。

 すると長岡謙吉はポンと胸を叩いて大笑いした。

 

 

「大丈夫じゃってぇ! なーんも心配いらん!」


「本当か?」


「ああ、龍馬の言葉を信じろ!」


「むむぅ……。その坂本の言葉っちゅうのが、どうも信用ならんから、こうして尋ねっちゅうが……」



 実は、史実と大きく異なる板垣退助隊の快進撃は、『密林商会』によって支えられていたのだ。

 もちろん『有償』で……。

 そしてその請求先は、板垣退助自身ではなく、土佐藩の元藩主。つまり『山内容堂』であった。

 戦が終わってから、まとめて請求書を届けることになっているが、そのことを山内容堂は知らない。


 だが坂本龍馬は長岡謙吉に対して、こう言ったらしい。

 

――山内容堂公は今、めちゃくちゃ銭を持ってる! 一万両や二万両くらいなら、ぽんと懐から出すぜ!



 と……。

 板垣退助はその言葉を信じて、弾薬を湯水のように使っては密林商会に注文するという行為を繰り返していたのだった。

 

 

「へいっ! 毎度ありっ! じゃあ、早速注文の品を手配するぜ!」



 そう念押しをした後、長岡謙吉は腰に差していた『真っ赤な旗』を二本取り出す。

 そして……。


――バッ! ババッ!


 と、上下左右に振り始めた。

 その後、すぐさま双眼鏡を覗き込んで大声を上げたのだった。

 

 

「よぉし! 注文完了!! 無事に伝わったぁ!!」



 それは『旗振り通信』と呼ばれるものだ。

 元は大坂の米相場を江戸にいち早く伝えるために考案された通信手段だが、未だ電信が使えぬため、密林商会の注文内容の伝達方法として採用されたのである。

 これなら今彼らのいる白河から物資のある新潟港までの伝達速度はかなり短縮できるわけだ。

 だがそれでも注文した物資が届くまでは、それなりに時間はかかるのは言うまでもない。

 

「五日だな。物が届くまで、ここらでちっくと休むぜよ」



 そう軽い調子で告げた長岡謙吉は、まるで戦争中とは思えないほどに、屈託のない笑顔を板垣退助に向けたのだった――

 

 

◇◇


 一方、鶴ケ城――

 

 俺、坂本龍馬と松平容保の会談は、半刻(約一時間)が経過しても、なお平行線のままだった。

 つまり俺が「新政府に降参せよ」と勧告すれば、相手は「物資を提供しろ」と譲らない。

 

 そもそも、倒幕の先鋒とも言える坂本龍馬と、旧幕府の重鎮である松平容保は、さながら水と油のような関係であり、決して混じり合うはずがない。


 それでも、松平容保の命令で、いきり立った会津藩士たちが部屋の外へ出されたのは、前進と言えば前進と言える。

 

 恐らくとっくに気付いているはずなんだ。

 もう会津は新政府にひざまずくより他に道は残されていない……と。

 それでも『武士の一分』によって、頑として戦い抜くつもりでいるのだろう。

 

――ならば何時間でもかけてやる……。

 

 俺は不退転の覚悟をもって、彼と対峙し続けた。

 いつの間にか外は真っ黒い雲に覆われ、雨が激しく地面を打っている。

 ところどころから聞こえる雷鳴が、余計に場の空気に緊張感をもたらしていた。

 

 松平容保もまた長くかかりそうだと判断したのだろうか。

 そばにいた小姓に穏やかな声で指示をした。

 

 

「みなに各々の持ち場に戻るように命じよ」


「はっ」



 小姓が部屋から出ていく様子に気を取られることもなく、俺と松平容保の二人は微動だにせずに視線を交差し続けた。

 

 とてつもなく重い沈黙が場を支配する……。

 だが、その空気は、部屋の外から会津藩士たちの気配が消えた瞬間に大きく変わった――

 

――ススッ……。


 松平容保が静かに俺の側までやってくると、耳元でそっとささやいたのだが、その内容は実に驚くべきものだった。

 

 

「われだって本当は『降参』したいのだ!」


「えっ!?」



 思わず大きな声が出そうになったところで、松平容保は俺の口を強引に塞ぐと、なおも小声で続けた。

 

 

「大きな声を出すな! 誰かに聞かれたら大変なことになる!」



 気迫に圧されて、何度か首を縦に振る。

 すると彼は俺の口から手を放して言った。

 


「お主は知らんかもしれんが、われは何度も何度も薩摩や天子様に対して『降参の嘆願書』を家臣に送らせているのだ。しかし、ただの一度も返事がきたことはない」


「そんな馬鹿な……」


「嘘ではない! 本当のことだ!」



 会津は最後まで薩長に抵抗し続けていたとばかり思っていたが、目の前でしょんぼりとした顔の松平容保は、降参を願っていると言うではないか。

 にわかに信じられず、言葉を失っていると、彼は早口に続けたのだった。

 

 

「だから、仙台の伊達殿や米沢の上杉殿に仲介を頼んだのだが、あろうことか仙台も米沢も薩長と事を構えるって言うじゃないか! 『俺たちが会津を助ける!』って息巻いているらしいが、われにしてみれば大きなお世話だ!」


「おいおい……。まじか……」


「なんだ? その『まじ』というのは? まあ、今はどうでもよい。とにかく今すぐにでも降伏せぬと、我が藩士や民が仰山傷つく。それだけは何としても避けたいのだ!」


「ちょっと待ってくれ! じゃあ、なんで民に重税を課してまで、軍備を整えているのだ!?」


「それは藩士たちが民をしっかりと守れるようにするためだ! そうするのがよい、と本間やヘンリー・スネルが言うので、それを取り入れたのだ」


「な……なにぃ!? 本間とヘンリーって……。二人とも金儲けしか頭にない、武器商人じゃねえか! 奴らの言葉をうのみにしたってことか!?」


「われは人を疑うのが嫌いなのだ! しかし藩士に武器を持たせたら、余計に薩長に目をつけられてしまうわ、民からは不満が出るわ……。もうどうしたらいいのか、全く分からんのだ!」


「ちょっと待ってくれ! じゃあ、民を守るために民を苦しめているというのか!?」


「しっ! 声が大きい! われは民に『苦しめ』と言った覚えはない! 『会津のためなら民は我慢してくれるはずだ』と家臣たちが言うから、それに従って税をちょっとだけ重くしただけだ!」



 驚きのあまりに一瞬だけ言葉を失ってしまった。

 しかし彼の目は、決して嘘を言っているようには思えない。

 俺は気を取り直して、ぐっと眼光を強めながら問いかけた。

 

 

「つまり、会津の人々を守りたい一心で、いろいろと動いているのが、全部『裏目』に出てしまっている……。そういうことなんだな?」



 松平容保は苦悶の表情で大きくうなずくと、俺の手を取って懇願してきた。

 

 

「頼む! 坂本! お主の力でこの戦をどうにか止めてもらえぬか!? お主なら薩長にも顔がきくであろう! 頼む! この通りだ!」



 必死に頭を下げる容保。

 他国の下級藩士に対して、名家出身の彼が頭を低くするのが、どれほどの屈辱であるか。

 この時代の人間でなくとも、そんなことは火を見るより明らかだ。

 だから容保は、藩士たちがはけたのを待ってこの話を切り出してきたに違いない。

 もし藩主のこんな姿を、血の気の多い彼らが見たら、それこそ自ら腹を切って藩主を諌める者が出てもおかしくないのだから。

 

 そう……。

 松平容保はずっと『救世主』を渇望していた。

 そこに現れたかつての敵、坂本龍馬。だが、本心では泣くほど喜んでいたのだろう。

 そして会見当初から助力を求めるつもりだったのだ。

 

 すべては会津の民と未来のために――

 

 だが……。

 

 

「そんなのは詭弁だ……」

 


 俺がぼそりとつぶやくと、松平容保はさっと顔を上げて目を見開いた。

 必死に同情を求めるような切ない表情の彼を見て、俺の心はますます燃え上がってきた。

 

 なぜなら松平容保がどのような心境であったにしても、史実では会津は悲劇にみまわれるからだ。

 多くの兵が死に、婦女は集団自決をし、少年兵たちが戦場の華となって散る。

 

――その悲劇は誰によってもたらされたのか……?

 

 考えるまでもない。

 世の中を動かしていた者たちだ。

 大久保利通や西郷隆盛をはじめとする新たな指導者たち。

 そして、会津や奥羽越列藩同盟の藩主たち。

 

 その者たちの思惑や意地によって、何の罪もない貴い命の火が無念のうちに消されてしまうのだ。

 

 もし、あの時。歴史の表舞台にいる主役の一人が、己の非を認めて振り上げた拳を下ろしていたならば、悲劇は防げたかもしれない。

 

 だが、この人は何も分かっちゃいない。

 本当に自分がせねばならないことに……。

 俺はそれをはっきりと告げたのだった。

 

 

「あんた、このままずっと逃げてばかりでは何も変わらねえぞ!」



 松平容保は、俺の突き放すような口調に、言葉を失ってしまったようだ。

 しかし俺は容赦なく冷たい視線を浴びせたまま続けた。

 

 

「さっきから話を聞いていれば、あんた自身は何一つしてねえじゃねえか。肝心要(かんじんかなめ)な部分は他人任せ。その上、自分の民に対しても家臣や商人任せ……」


「そ、そ、そんなの仕方なかろう! われはみなの力を信じて……」


「それが逃げてるって言ってんだ!!」



 俺はついに感情を爆発させると、ダンっと床に強く手を着いて叫んだ。

 すると彼もまた顔を真っ赤にさせて叫び返してきた。

 

 

「大人しく頭を下げてみれば、頭に乗りおってぇぇ!! 京都守護職に任命され、天子様にも公方様にも信頼されていたのだぞ!! 貴様のような下賤な商人かぶれの武士とは、格が違うのだ!! それを知ったふうな大口を叩くな! 無礼者めが!!」


「無礼なのはそっちだろ!! 罪もない民を苦しめ、何も知らぬ兵たちの命を散らしてもなお、厚かましく他人の力を借りようとしている……。万民に対しての礼儀を知らぬのは、あんたの方だ!」


「藩主でもない貴様に何が分かるというのだ!!」


「なんにも分かってないのは、あんたの方じゃねえか!! このままあんたが逃げたままで、全部が丸く収まるとでも本気で思っているのか!? これだから良いところのお坊ちゃんは、世間知らずでなんねえ!!」


「なんだとぉぉぉ!!」



 大勢の気配が外から消えたとは言え、数人の小姓たちはまだ待機していたようだ。

 当主の剣幕が一変した途端に部屋の中へなだれ込み、俺を取り囲む。

 再び俺の命の危機が間近まで迫ったが、一切退くつもりはない。

 なぜなら俺は知っているからだ。

 最後の最後まで降伏しなかった会津藩がたどる悲劇を。

 そして彼が変わらねば、例え坂本龍馬が新政府に働きかけたとしても戦争が終わることはない、ということを――

 俺は松平容保だけを見つめて続けた。

 


「あんたは何も分かっちゃいねえ!! あんたを慕う多くの藩士は、会津の盾となってこれからも命を落とし続けることも! 会津を想う姫や侍女たちが、足でまといになってはならないと自決も辞さない覚悟であることも! 地獄の苦しみの中にある民があんたを忌み嫌っていることも!」


「なに……?」



 松平容保の顔がさっと青ざめる。

 俺はここが勝負どころと踏んで、彼の胸ぐらをつかんだ。

 

 

「今しかねえんだ!! あんたの胸の中にある会津を想う気持ちを形にするのは、今しかないんだよ!!」


「会津を想う気持ちを形にする……だと……?」



 俺はぐっと彼を引き寄せると、額同士を合わせて告げた。

 

 

「今すぐ江戸へ」


「江戸……?」



 そう。江戸にはこの戦争における新政府側の実質的な『総大将』がいる。

 その男に松平容保が直接『降伏』を伝えたなら、確実に状況は変わるはずだ。

 俺はそう確信していた。

 

 

「いったい何をしに行くつもりなのだ……?」



 松平容保がかすれた声で尋ねてきた。

 俺は大きく息を吸い込むと、眼光をさらに鋭くして、一人の男の名を告げたのだった。

 

 

「東征大総督府(とうせいだいそうとくふ)の下参謀、西郷吉之助に会いに行くぜよ」



 と……。

 

 こうして俺、坂本龍馬と西郷隆盛による『江戸会談』が始まろうとしていた。

 そしてこの会談こそが、坂本龍馬にとって本当の『戦い』のはじまりとなるのである――

 

 

 

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