招かれざる仲間がもたらしたもの
◇◇
俺、坂本龍馬が会津鶴ケ城へ、強引に乗り込んだのには深い訳がある。
それを知るために、少しだけ時間を戻そう。
明治元年(一八六八年)閏四月下旬――
潤沢な資金を得た海援隊あらため、密林商会は、続々と物資を函館港に集め始めていた。
同時に小栗忠順(おぐりただまさ)の指示により、新潟、仙台、江戸などの各港に密林商会専用の倉庫を調達。集めた物資を配備するだけでなく、いつでも戦争の最前線に送ることができるように、それらに輸送隊となる人材も送りこんだのだった。
通信販売の基本である、『在庫管理』と『輸送手段の確保』。
これらを早急に整備した格好だ。
そしてその頃に俺と小栗忠順が立てた作戦はこうだ。
――新政府軍と旧幕府軍の両方に物資を売り込むことで、両軍の戦力を拮抗させる。そうすれば両軍ともにうかつに攻め込められなくなり、自然と『和睦』へ舵が切られるのではないか。
というものだった。
史実においても、庄内藩と新政府軍は実力が拮抗していたためか、奥羽列藩同盟が降伏するまで大きな衝突なく、終戦を迎えている。
つまり、戦争とは『実力がアンバランスである』からこそ勃発するものだという推測のもと、実力のバランスを保つように調整をしてやろうと考えたのである。
しかし、その作戦はとある人物からもたらされた情報によって、あっさりと瓦解してしまうのであった――
それは箱館の独房に、突然もう一人『仲間』が増えたことが発端であった。
「アハハ! 龍馬サン! お久しぶりでゴザイマース!」
豊かな髭をたくわえ、片言の日本語で大きな声を上げたのは……。
「OH! そうデシタ! 龍馬サンは『記憶そうしちゅ』デシタ! ワタシ、Thomas Blake Gloverイイマース!」
「すまん……最後のトーマ……なんとかが聞きとれんかった」
「OH! スミマセーン! 『トム』デス! トーマス・グラバー、略して『トム』イイマース!」
この陽気な西洋人は、トーマス・グラバー。
『グラバー商会』なる貿易会社を営むイギリス人だ。
「なぜグラバーさんがこんなところにいるのかね?」
俺はなんのひねりもない、素直な疑問をぶつけた。
すると彼は今にも泣き出しそうな顔で言った。
「夜逃げデース! もう借金に首が回らなくなってしまいましたのデース!」
「はあぁぁぁ!? 夜逃げ!?」
俺は驚愕のあまりに大声をあげてしまった。
「グラバー商会と言えば、土佐や長州相手にずいぶんと儲かっていたと聞いていたが……」
開いた口が塞がらない俺に代わって小栗忠順がグラバーに問いかけると、彼はぽつりぽつりとここへやってきた理由を話し始めたのだった。
これより数年前。
江戸幕府による長州征伐に備えて、長州藩は亀山社中(後の海援隊)から武器を調達した。
その武器は、亀山社中がグラバー商会から買い付けたものだったのである。
もともとは武器の交易を行っていなかったグラバーであったが、亀山社中との取引によって大きな利益を得た。
それに気を良くした彼は、長州だけでなく佐賀などの多くの藩に直接武器を売り込んだのだ。
ところが日本の藩との商売の勝手を知らぬ彼は、武器を現金ではなく手形で卸してしまったのが失敗の始まりだった。
幕末に入って各藩が困窮を極めていくと、それらの手形はことごとく不渡りを起こしてしまったのだから、グラバーが大いに焦ったのは想像に難くない。
そうして史実では、明治初頭にグラバー商会は倒産してしまうことになるのだ。
彼は手元に残されたわずかな資金で、とある炭鉱を購入したが、それが軌道に乗る前に、彼の借金は膨れ上がり、逃げるようにここへ転がり込んできたらしい。
どうやら力になって欲しいようだが、俺はきっぱりと断った。
「借りたもんは返さなくてはならんだろ。お金を無心にきたなら他をあたってくれ」
「OH……。むかしの龍馬さんなら『そういうことなら俺に任せとけ!』と胸を叩いたものデス。今の龍馬さんは、血も涙もないデス……」
俺をチラチラと見ながら口を尖らせるグラバー。
だが、いい歳したおっさんに可愛い仕草をされても、俺の気持ちがぐらつくことはない。
「ダメだ! ちゃんと借金を返してから牢獄に入りなさい!」
と、俺は彼を叱りつけた。
「OH……。ちゅれないデス。そもそも『prison』は、悪いことをした人のためにあるのではないのデスカ?」
「なにを言ってもダメなものはダメだ! そもそもその『プリなんとか』が分からん! 時折、聞き取れない英語を使って、日本人をたぶらかそうっちゅう魂胆は、俺には通じないからな!」
腕を組んで、ぷいっと横を向く俺に対して、グラバーは上目遣いでじっと俺を見つめている。
だが俺はこれ以上は彼と会話をしようとはせずに視線をそらし続けた。
すると彼は諦めたように、はぁと大きなため息をついた。
そして彼はぼそりと呟いたのだった。
「Even though I wanted to tell you the crisis in Japan. No one will listen to my words now……」
すらすらと流れる英単語の羅列。
どうせ俺が分からないのをいいことに、恨み節を漏らしているに違いない。
そんな風に俺は聞き流していた。
しかし、目の前の小栗忠順は違った。
それまで穏やかな表情で俺たちのやり取りを傍観していた彼だったが、グラバーの言葉を耳にした瞬間に、みるみるうちに険しい顔つきに変えたのである。
「なんだと……? グラバー殿。どういうことかお聞かせ願いだろうか」
グラバーが顔を伏せたまま、ちらりと小栗忠順の方へ視線を向ける。
俺は雰囲気が一変した小栗忠順に問いかけた。
「どうしたのだ、小栗殿」
「この者はこう言ったのです。『わたしは日本の危機について話したかった。しかし誰も私の言葉に耳を貸そうとしない』と」
「日本の危機だって?」
俺が目を丸くしてグラバーの顔を覗き込むと、彼は俺たちの視線を交互に見比べ始める。
そして、口元をニタリと不敵な笑みで歪めると、右手の親指と人差し指で小さな円を作ったのだった――
◇◇
「なんと……。それが『真実』だとしたら急がねばなりません」
グラバーの話を聞いた小栗忠順が、真っ青な顔でつぶやく一方で、俺はあまりのことに言葉すら失って、口をただぽかんと開いていた。
「残念ながら、全て『真実』デス。早くしないと日本は食い荒らされてしまいマース」
そうしんみりと言ったグラバー。
もし彼が「借金の肩代わり」と引き換えに話してくれたことが真実なら、『日本が食い荒らされる』という表現は誇張でもなんでもなく事実と言えた。
では彼の話した驚愕の事実とはなにか。
それは要約すれば、『会津藩と庄内藩は、自らを守るために外国へ日本を売った』というものだった……。
◇◇
明治元年(一八六八年)五月七日 鶴ケ城――
俺、坂本龍馬と松平容保は会見に臨んだ。
そこで俺は本題に入る前に、トーマス・グラバーがもたらした情報が『真実』なのかの確認から行うことにしたのだった。
「会津藩と庄内藩は、蝦夷の割譲を条件に、プロシアに援軍を要請したっちゅうのは、本当でしょうか?」
先制攻撃とばかりの突き刺すような問いかけに、松平容保の表情にわずかな狼狽が浮かんだ。
俺は彼の様子を見て確信した。
――やはり『真実』であったか……。となると、作戦変更は正解だったな。
そう……。
トーマス・グラバーからもたらされて驚愕の真実とは、会津藩と庄内藩がプロシアに対して、蝦夷の一部を与えることを条件に援軍の要請をしていたというものだった。
そしてそれが『真実』であれば、日本国内が『地獄』と化するのは言うまでもない。
なぜなら日本の内戦に、外国の軍勢が介入するきっかけとなるからだ。
この頃のプロシア……つまりプロイセン王国は、宰相ビスマルクの『鉄血政策』により、急速な工業化と軍事力強化に踏み切ったところである。
そして圧倒的な軍事力と、ビスマルクによる巧みな外交戦略によって領土をじわじわと広げている最中であった。
もし、彼らが会津と庄内に味方して軍隊を送り込んでくれば、形成は一気に逆転するだろう。
よって新政府側がプロイセン以外の外国の軍事力に頼らざるを得なくなってしまう事態を招くことは目に見えているのだ。
つまり日本国内が列強国による代理戦争の様相を呈する可能性を大いに秘めており、同時に終戦後に『日本の保護』を名目とした植民地支配へとつながる恐れがあったのである。
それは俺が『教科書』で習ったこともない史実であった。
もしプロイセンの軍勢が日本に到着する前に、東北戦争が決着しなかったら……。
考えただけでもゾッとする。
もはや箱館の民のことだけの問題ではない。
日本全土の『未来』がかかった大一番だったのだ。
言葉を失っている松平容保に対して、俺はさらに問い詰めた。
「もしそれが真実であれば、会津と庄内は『朝敵』どころか『国賊』のそしりを受けても仕方あるまい。さあ、お答えいただこうか! 松平容保殿! 貴殿は日本を外国に売ったのか!?」
ぴりぴりと張り詰めていた空気を震わせる俺の一喝。
――ガタッ!!
部屋の外からは血の気の多い会津藩士が今にも俺に飛びかかろうと動き出したのが分かる。
しかし俺は恐怖など微塵も感じなかった。
むしろここで言うべきことを言わずに後悔したまま一生を終えることの方が、遥かに怖かった。
「貴殿の目指す日本国の姿とはなんぞや!? 会津さえよければ、他の日本の民が泣いてもよいとお考えか!」
「ええい! 黙れ!! 下賤の身の貴様に何が分かるというのだ!!」
ついに逆上した松平容保。
――バンッ!!
一斉に襖が開けられ、主君の受けた屈辱を晴らさんと会津藩士たちが刀を抜いて俺に向けた。
無数の刃に周囲を囲まれても、俺は静かに座ったまま、松平容保だけを見つめ続けた。
「会津藩士の武士の一分とは、痛いところを突かれたら、それを『屈辱』とするっちゅうことかい?」
「会津を馬鹿にするな!」
俺を囲む武士の間から怒りの声があがる。
しかし俺は彼らのことなど眼中になかった。
俺の視界がとらえていたのは、松平容保ただ一人だったからだ。
「酒田の商人、本間殿はご存知ですな?」
なかなか核心を話そうとしない松平容保に対して、俺は話題を変えて揺さぶりをかけた。
「……知っていても、知らなくとも、貴様には関係ないことだ。もうごたくはよい。会津に物資を提供するつもりがないなら、ここから立ち去れ。ただし部屋を出た瞬間から、貴様の命の保証はないがな」
松平容保の声がわずかに上ずっている。
やはりここが勘所であったか……。
「ずいぶんと饒舌になられましたな。本間殿が会津に武器を渡さぬと変心したのを、いたく気にしておられるご様子で」
――ダンッ!!
ついに大きな足音を立てて立ち上がった松平容保。
彼は大股で俺の側まで近寄ると、腰をかがめて言った。
その顔は真っ赤に染まり、今にも噴火寸前といった様子だ。
俺は変わらぬ笑みを浮かべたまま彼を見つめた。
「貴様……。よほど命がいらぬらしいな。いいだろう、ならば冥土の土産に聞かせてやる。本間は会津に武器を渡す。われが本間を潰してでも武器を会津に送ってみせる!」
「ふふ、そうでもしなければ、民を苦しませた言い訳ができませんからな」
「きさまぁぁぁぁ!!」
松平容保が腰の刀に手を当てる。
さて、いよいよ潮時だな。
もしプロイセンが軍事介入をしてきたなら、蝦夷に……いや日本全体に、新たな脅威が生まれるのは確かだ。
絶対にそんなことをさせるものか!
俺は高らかと宣告したのだった。
「会津に武器がくることは絶対にない!! なぜなら本間家に渡る予定の武器は、すべて俺たち密林商会が買い占めたのだからな!!」
「な……なんだと……!?」
「俺を殺したければ殺すがいい! 武器がこないだけではなく、土佐をも本気で怒らせるつもりならな! よほど命がいらぬのはどちらかはっきりするだろう!!」
「き……貴様……!!」
「さあ、降参せよ! 降参すれば、民を飢餓や病気、怪我から救う物資を会津に支援しようではないか!! これが俺のビジネスだ!!」
と――
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