物資の行方
◇◇
戊辰戦争――
明治元年の干支が『戊辰』であることから、そう名付けられた日本全土を巻き込んだ内戦は、明治維新の始まりを告げるものだった。
江戸無血開城によって幕府が倒れても、新政府に従うを「良し」としない勢力は以前として多くいた。
彼らは「幕府軍」から「旧幕府軍」と名を変えて、江戸を離れ北を目指す。
折しも仙台藩を中心とした東北列藩が同盟を組んで、新政府軍との対立を明らかとすると、旧幕府軍は彼らと合流した。
一方の新政府は会津藩と庄内藩の二藩を『朝敵』として、武力による制圧を目指す。
こうして東北戦争が幕を開けた――
まず攻勢にでたのは旧幕府軍であった。
新政府軍と比べて装備は貧弱であったが、奥羽列藩同盟、会津藩、そして旧幕府を合わせれば、兵の数の上では圧倒的だったからだ。
まずは、交通の要衝にある白河城を奪取。
そして庄内藩が薩摩の大山綱良率いる奥羽鎮撫隊を散々翻弄したのだ。
それでも大山綱良は、四面楚歌の状況において、東北の中でも随一の強さを誇る庄内藩を釘付けにしていたのだから、これはこれで戦果と言えるのかもしれない。
そこで新政府は、西郷吉之助を参謀にすえて本格的な『会津藩』への侵攻を開始する。
まず彼らがとった行動は、『東北道』『北陸』『平潟』の三つに軍勢を分けることだった。
そして最も多く派兵した『東北道』の軍勢が、明治元年(一八六八年)五月一日に白河城の奪還に成功すると、残りの二手の軍勢も、白河城を目指して各地で激戦を繰り広げていったのである。
一方の旧幕府軍は、徳川を象徴する日光、そして最終的には江戸の制圧を目論んで、南下を計画。そのためには交通の要衝の制圧が必須だった。
彼らが目をつけたのは、『今市』と『白河』。両方とも東北道沿いにある。
大鳥圭介率いる旧幕府軍は今市で戦い、会津藩は家老の西郷頼母(さいごうたのも)を中心とした大軍を送ると、白河口という場所に本陣を張って、北上してこようとする新政府軍を迎え撃ったのだった。
【参考図】
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そうした戦況の中、明治元年(一八六八年)五月三日――
「おいおいおい! こんな強えなんて聞いてねえぜ! いったいどうなってるんだ!?」
白河口の最前線で指揮をとっていた新撰組二番隊組長の永倉新八は、顔を真っ赤にして本陣に入ってきた。
それもそうだろう。
新政府軍の精鋭に押され気味であったものの、彼らは正しく新政府軍の強さを推し量っていたからだ。
そのため史実においては、白河口を巡る攻防は百日を越す長期戦となる。
特に序盤は、兵力に勝る会津藩と、装備に勝る新政府軍の実力は拮抗しており、一進一退の攻防となるはずであった。
しかし、戦況は史実とは大きく異なっていた。
つまり予想に反して新政府軍は強かったのである。
最前線で良く戦っていた永倉新八であったが、作戦の変更を求めに、たまらず本陣に戻ってきたのだった。
そこには会津藩の家老、西郷頼母(さいごうたのも)と、彼の参謀役である新選組の斉藤一(さいとうはじめ)が、付近の地図の前で難しい顔をしていた。
「増援ですか」
西郷頼母が自信なさそうにつぶやくと、斉藤一が眉をひそめて、彼の意見を否定した。
「待て。宇都宮の時すら、増援はこなかったのだ。そこからさらに離れた白河に増援などあるものか。いったいどういうことなのだ!?」
斉藤一が問いかける方へ回ると、永倉新八が口を尖らせた。
「そんなの大将たちが分からねえなら、俺に分かるはずもないだろ! ただ一つ言えるのは、兵が増えたって感じはしねえってことだよ」
「どういうことだ?」
「武器は新しくなっているし、弾薬は湯水のように使ってきやがる」
「つまり『物資』が敵方に回った……そういうことか?」
斉藤一が顎に手を当てて考え込む。
「メリケンもイタリーもこっちが抑えてある。エゲレスはグラバーの商売が上手くいってないとのことで及び腰。フランスが薩摩や長州に武器を売るとは考えにくい。そもそも官軍に金はあるのか……。ならばいったいどこの誰が……」
言うまでもなく、戊辰戦争における兵の装備は火器、つまり銃が中心であった。
そして最新式の銃や弾薬は、諸外国からの買い付けに頼らざるを得ないのが実情で、じゅうぶんに最前線に届いているとは言いづらい状況であった。
しかし永倉新八の話が真実だとすれば、『諸外国以外の何者か』が物資を新政府へ提供しているとしか考えられない。
「いったい何者なのだ……。いや、そもそもそんな者がいるはずもない……」
斉藤一は、自分の考えうるあらゆる可能性を頭に浮かべた。
しかし、戦況は彼に熟考する猶予を与えなかった。
――今市にてお味方が敗れました!! 敵方、板垣退助率いる迅衝隊(じんしょうたい)が間もなくこちらへ攻め込んできます! 急ぎ、本陣の移動を!!
外から伝令の大声が響き渡ると、斉藤一と永倉新八は小さく頷きあった。
「俺と永倉が行く。西郷殿は本陣を動かしてくだされ」
有無を言わせぬ斉藤一の雰囲気に、西郷頼母はゴクリと唾を飲み込んでうなずくと、直後には永倉新八と斉藤一は前線へと躍り出ていった。
残された西郷頼母は、護衛の兵たちとともに本陣をさらに会津の方へ動かし始める。
その間も彼は小首をかしげていたのだった。
「誰だ……? 誰かが官軍の裏で手引きしているとしか思えん」
と――
◇◇
同じ頃、会津の鶴ヶ城――
会津藩主、松平容保(まつだいらかたもり)のもとに家老の一人が平伏していた。
松平容保は、悔しさに目尻を小刻みに震わせている。
それでも声だけは平静を必死に保って、家老の報告を自分の言葉で繰り返したのだった。
「つまり本間は会津に武器、弾薬を渡せぬ、そう言っていたのだな?」
「……はい」
家老の声もまた無念に沈んでいる。
――ガタッ!!
松平容保は荒々しく席を立つと、城主の間を出ようとした。
「殿! お待ちくだされ!! どこへ行かれるおつもりでしょうか!?」
「ええい! 止めるな! 俺が本間と話をつけてくれよう!!」
「なりませぬ! 殿ほどの御方が、一介の商人にすぎぬ者のもとへ出向かれるなど……。そんなことが世に知れたら、会津は笑いものになりましょう!」
「綺麗事を言っている場合か!! もう敵軍はすぐそこまで迫っているのだぞ!!」
家老の制止にも関わらず、部屋から廊下へと出てきた松平容保は、大股で城外へと向かっていった。
彼が我を忘れるほどに怒りに身を任せていたのは、物資調達の当てが完全に外れてしまったからである。
――銭さえご用意いただければ、武器と弾薬はいくらでもご用意いたしましょう。
会津藩にそう持ちかけたのは、酒田の豪商、本間家だった。
松平容保は一にも二もなく話に飛びつくと、銭を調達するために城下の民に重税を課した。
当然のように民からは強い反感が噴出したものの、彼は民の声に耳を傾けることなく、特に城下の町民からは搾り取るだけ搾り取った。
しかしそれだけではない。
――装備が揃えば兵がいる! 戦える者はすなわち兵といたせ!
なんと少しでも健康な民を兵として戦争の前線に送りこんだのである。
だが藩主の強引な姿勢にも、会津の民たちはよく耐え忍んだ。
――お国のために歯を食いしばる時だ!
そんな健気な民の忠義と藩主の強硬策が、後の二本松少年隊や白虎隊の殉死などの悲劇へとつながるのは、想像に難くない。
ところがそうまでして銭と兵をかき集めたにも関わらず、本間家から「武器、弾薬を売ることができない」と聞かされたのだ。
彼が烈火のごとく怒ったのは仕方ないと言えよう。
「絶対に許さぬ!!」
彼はぶつぶつと呟きながら城門の方へ足早に歩いていく。
……と、その時だった。
「殿! 殿にお客様がこられております!! その者が、会津に物資の提供を申し出ているとか!」
と、大きな声が背中からかけられたのである。
彼はぴたり足を止めた。
そして訝しい顔を呼び止めた小姓へ向けたのであった。
「何者だ? そいつは」
小姓は駆け足で彼の足元まで寄ってくると、その場でひざまずいて答えた。
「はっ! なんでも土佐の藩士とのことでございます!」
「名は?」
「……それが、内密にしたいとのことで、告げてきませんでした」
「内密だと……!? はんっ!! 名も名乗らぬやつと、われが会うと思うか!」
そう彼が声を荒げた時だった。
「おやっ!? そこにおられるのが、会津藩藩主の松平容保様とお見受けいたしますが、いかに?」
と、よく通る大きな声が彼の背中から聞こえてきたのである。
「誰だ!!」
彼は急いで振り返って鋭い眼光を向けると、そこには背の高く縮れ毛の青年の姿が目に入ってきたのである。
その青年は口元に笑みを浮かべながら、彼の側にゆっくりと歩いてくる。
まるで「かっかなさるな」と言わんばかりに……。
そして彼のすぐ側まで来ると、膝をつく代わりに右手を差し出してきたのだ。
「なんの真似だ!?」
松平容保は青年の意外な行動に、一瞬だけ怒りを忘れて目を丸くした。
すると青年は彼の右手を強引にがしっと掴んだ。
「無礼者!!」
と、彼の周囲にいた小姓たちが一斉に刀に手をかける。
しかし青年は動じることなく口を開いた。
「俺は土佐藩士、坂本龍馬! 会津の民を救いにやってきた! 感謝してくれ! ははは!」
あまりに傍若無人な態度に、かえって殺気をそがれてしまった小姓たち。
そして松平容保もまた同じだった。
「会津の民を救うだと……?」
呆然として言葉を忘れている彼に対して、坂本龍馬はニタリと口角を上げて言ったのだった。
「さあ、ビジネスの話を始めるぜよ」
と――
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