暴露

◇◇


 慶応四年(一八六八年)二月一〇日 京、土佐藩邸――


「……して、海援隊は岩崎とともに長崎に向かったと……?」


 難しい顔をした後藤象二郎が、佐々木高行に問いかけた。

 高行は頭を深く下げたまま答えた。


「さようでございます。なんでも長崎に残った陸奥殿らを迎え入れてから、坂本がいる箱館へ向かうとのことでございます」


 その言葉を最後にしばらく沈黙が続く。

 もちろん沈黙の中心に鎮座しているのは、土佐藩主、山内容堂であるのは言うまでもないだろう。

 彼は酒をちびちびとすすりながら、盃が空になったところで重い口を開いた。


「佐々木。おんしは行かんでよかったんか?」

「どういう意味でございましょう?」


 高行が顔を上げると、いつの間にかすぐそばまで近づいていた容堂が、彼の顔に向けて、大きく息を吐きかけた。

 酒の臭いが鼻をつくが、高行は顔色一つ変えずに容堂を見つめ続けた。


「おんしは坂本に毒されていないか、と訊いちょる」

「それがしは土佐藩士であれば、ただ土佐の為に忠誠を誓っております」

「ほう……その言葉……確かであることを示してみよ」


 高行は再び深々と頭を下げた。

 すると一通の書状が彼の前に置かれたのだった。


「中をあらためてみよ」

「では、失礼いたします」


 容堂の言われるがままに書状の中を確認すると、みるみるうちに高行の顔色が青くなっていった。


「これは……」

「これを箱館奉行の……名はなんと言っちょったかのう……」

「杉浦殿にございます」

「そうそう、その杉浦っちゅうもんに、渡してくれ」

「御意……」

「おんし自ら行くのじゃぞ。そして次にわしの前に姿を現す時は……」


 そこで容堂が言葉を切ったのは、その先を高行の口から言わせるためだった。


「殿の御前に坂本を連れてまいりましょう」


 容堂の顔が喜色に染まる。

 それを頃合いとみた高行は、静かに部屋を後にしたのだった――


◇◇


 新政府軍による進軍がいよいよ本格化した慶応四年二月。


 長崎から遠く離れた箱館もようやく寒さが少しやわらいできた。

 そこで俺、坂本龍馬は与太郎をともなって、街に繰り出すことが多くなった。

 見るもの、聞くものが新鮮でならず、そこらじゅうで話しかけた。

 すると街の人々は、すごく親切で、よく話をしてくれたのだった。


――近藤殿はよく話を聞いていただけるお侍様じゃ!

――近藤様! 次はわたしの話を聞いてくださいな!


 自分でも驚くほどに社交的だったと思うのは、人々が皆気さくだからだろうか。

 それとも俺が『人たらし』だった『坂本龍馬』だからだろうか……。

 それはよく分からないが、とにかく日がのぼってから暮れるまで、俺の周辺では笑いが絶えなくなっていった。


 そして、時には困っている者の手助けもした。

 雪かき、お使い、子守り……。

 数えきれないほど色々な仕事を俺はこなした。

 だが、そんなことは見ず知らずの俺に対して親切にしてくれている人々への、ほんの恩返しのつもりだったのだ。


ーー近藤さん、助かりました! ありがとうございます!

ーー近藤様のおかげでございます! ありがたや!


 こうして自然と人々との距離は縮まっていき、半月もすれば俺はすっかり街に馴染んでいたのだった。



 一方、長崎に到着した岩崎弥太郎と長岡謙吉率いる海援隊。

 しかし彼らは思わぬ事件に巻き込まれてしまう。

 それは長崎に残っていた隊員の沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)が、長崎の警備にあたっていた薩摩藩士を誤射で殺害してしまったのだ。

 未だに一部の海援隊員は薩摩に対して不信感を抱いており、このままでは海援隊の立場が危うくなると悟った惣之丞は自決した。また、長崎の守備にあたっていた薩摩藩士たちもまた、余計ないざこざを避けるために薩摩へと戻っていったのだった。

 これにより海援隊は、事件の後処理として、長崎の治安維持を行わねばならなくなった。

 つまり旧幕府と新政府の争いが落ち着くまでは、長崎から離れることがかなわなくなってしまったのだった。


 一方の山内容堂の密書を携えた佐々木高行は、大きな障害もなく箱館へと入った。

 そして奉行である杉浦誠へ容堂からの書状を手渡したのだった。


◇◇


 慶応四年(一八六八年)二月二五日 五稜郭内箱館奉行所――


 俺、坂本龍馬は、箱館奉行の杉浦誠に呼び出されて、彼の部屋に入った。

 そこには彼の息子の正一郎と、見知らぬ男が一人いた。

 そして俺が部屋に入るなり、その男が声をかけてきたのだった。


「久しぶりだな、坂本」


 箱館では『近藤太一』という名で通しており、『坂本龍馬』であることは隠してあるはずだ。

 その名で呼ばれた瞬間に、体温が一気に上昇し、胸ははちきれんばかりに高鳴った。

 しかし幸いなことに、相手の顔に見覚えはない。

 俺は自然な調子で言った。


「はて? 人違いではないか? それがしはお主のことを知らぬのだが……」


 すると男は口元をふっと緩めて言った。


「とぼけりなさんな。『海援隊』で同じ釜の飯を食うた仲じゃないか」

「海援隊だと……? すまぬ。本当にお主の顔に覚えがないのだ」

「では、佐々木高行という名にも覚えがないっちゅうか?」

「佐々木高行……」


 知っているぞ……。前の時代に本で読んだことがあるのだから……。

 佐々木高行と言えば、確かに『海援隊』を通じて坂本龍馬とも面識はあるはずだ。

 しかしなぜ彼がここにやってきたのだろうか?

 他の『海援隊』のメンバーも箱館にやってきたのか?

 もしそうなら、なぜ彼だけがここにいるのだろうか……。

 

 ここはもう少し様子を見る方がよさそうだ。

 そう考えた俺は、正直にとあることを話した。


「いや、これは失礼いたした。実はそれがしは『記憶』を失っておりましてな。今まで出会ったことのある人を全く覚えていないのです。しかし、はっきりしているのは、今のそれがしは『近藤太一』という名であるということです」


 その言葉を受けて、高行の目が細く、そして鋭くなる。

 到底納得していないのは、彼の険しい表情を見ればあきらかであった。

 そして彼は決定的なことを告げたのだった。


「では岩崎弥太郎は覚えているな。お主が江戸にいた頃に行動をともにしていたのだから」

「あ、ああ……」

「彼が申しておったのだ。『坂本は今、箱館にいる』と。これでも何か申し開きができると申すか?」


 そう問いかけてきた高行の目を見て、俺はもう言い逃れはできないと確信した。

 ちらりと高行の隣に座っている杉浦誠の顔を見ると、彼はいつもと変わらぬ生真面目な表情で、ただ俺を見つめている。

 今はまだ二月だ。旧幕府が完全に瓦解していないのは確かである。

 その状況で、幕府の『仇敵』である坂本龍馬が目の前にいるのだ。

 幕臣としてすべきことはただ一つだろう……。


――ひっ捕らえて投獄する……。


 いや、もしかしたらこの場ですぐに『打ち首』なんてことも考えられる。


――どうする? どうすればこの危機を乗り越えられる!?


 わずかな沈黙が流れる中で、俺は頭をフル回転させて考えた。

 ……とその時、一つの考えが浮かんだ。


――佐々木高行を味方につければいいじゃないか!


 佐々木高行は『土佐藩士』であり『海援隊』でもある。

 もしかしたら彼は本当に俺を迎えにきただけかもしれない。

 俺はその可能性にかけることに決めた。


 しかし……。

 次の瞬間には、その考えは『不可能』であると分かった。

 いや……。

 もっと言えば彼は『敵』であった――


 それは杉浦誠の言葉から始まった。


「ここに山内容堂公より書状をお預かりしておる。正一郎、声に出して読め」

「はっ! では僭越ながら、読み上げさせていただきます!」


 杉浦正一郎は、恭しく書状を広げると大きな声で読み始めたのだった。


「坂本直陰(さかもとなおかげ)(坂本龍馬のこと)に、容堂より申し渡す。藩の断りもなく、職務を投げ打ち箱館へ入ったことは『脱藩』とみなす。ついてはお主の身柄を京へ移し、しかるべき処罰を受けさせることとする。以上」

「脱藩だと……?」


 俺は思いがけぬ内容にあ然として固まってしまった。

 『脱藩』とは、藩士が自らの意志で藩を抜けることで、江戸時代では『罪』とされることが多かった。

 もっとも黙認されることも少なくはなかったが、それでも『罪』と認められて捕縛されれば、下手をすれば『死刑』を言い渡される場合もあった。

 つまり佐々木高行は、『罪人、坂本龍馬』を捕縛しに、わざわざ箱館までやって来たということだった。


――まずいっ! このまま捕まってしまっては、俺の身が危ない!


 しかしそう気付いた時はもう遅かった。

 書状を素早くたたんだ正一郎が、俺を腕を荒々しく掴んだのだ。


「いててっ! な、何をするんだ!?」

「黙れ! 今まで偽名を使ってわれらをたぶらかしおって!! 大人しく縄にかかりやがれ!」

「ちょっと待ってくれ! 脱藩だなんて、そんなつもりはない!」


 必死に言い逃れしようとするが、高行も正一郎も聞く耳を持つ気はなさそうだ。

 もしこのまま京に身柄を移されてしまったら、俺はどうなってしまうのだろうか……。

 山内容堂が『脱藩』と認めてしまった以上、もはや『罪人』の扱いをされるのは間違いない。

 もうあと数ヶ月で『版籍奉還』がなされるはずで、そうなれば『脱藩』などという罪はなくなるはずなのに……。


――もうだめだ……!


 そう諦めかけた瞬間だった。


「正一郎! 待て!」


 という声が部屋中に響き渡ったのである。

 全員の視線がその声の持ち主に集まる。

 

 そこには、まるで鬼のような形相をした杉浦誠が仁王立ちしている姿があったのだった――






 

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