京に集う幕末の英雄たち②

◇◇


 維新の志士たちが薩摩藩邸で『王政復古』について話し合っていた頃。

 京にもう一人の偉人が颯爽と姿を現した。

 黒の軍服に、大きなマント。腰にはすらりと長い軍刀をさした彼は、若さと情熱溢れる瞳を爛々と輝かせながら、大股で二条城の門前へと歩いてきたのだった。

 

 しかし城門を素通りしようとした時だった。

 薄い藍色のダンダラ模様の入った羽織を着た数人の男たちが、一斉に彼の周囲を囲った。

 ぎらぎらと燃えるような瞳で彼を睨みつける面々。

 彼らは『新撰組』と呼ばれる京都守護職直属の武力組織だ。

 いずれも相当な剣の使い手であり、数々の修羅場をくぐり抜けてきたつわものなのは、誰の目から見ても明らかで、そんな彼らにぐるりと囲まれたら、常人であれば顔を青くしておびえてしまうだろう。

 しかし男はそんな素振りは微塵も見せず、余裕の笑みを口元に浮かべながら、大きな声で言った。

 

「我が名は榎本武揚(えのもとたけあき)である! 上様の御用命に応じて参上した。ここを通せ!」


 彼こそが『幕府最後の英雄』榎本武揚。

 彼は、長年オランダへ留学し、幕府が誇る最新鋭の軍艦『開陽丸』と共に帰国すると、瞬く間に幕府に重用されるようになった。

 そして帰国してからわずか半年のうちに、幕府海軍の指揮官にまで登りつめた、いわば『最後の新星』とも言える存在であった。

 

 背筋を伸ばしたまま、冷やかな目を向ける榎本に対して、彼を囲う者たちは今にも襲いかからんと野獣のような飢えた目をしている。


 そんな一触即発の雰囲気の中、突き抜けるような声が響き渡ってきた。

 

「やめよ! 囲みを解け!」


 周囲にいた人々は、弾かれるようにして武揚のもとを離れた。

 すると彼の前方の視界が広がる。そこに現れたのは、二人の男だった。

 二人とも偉丈夫であることには変わりないが、そのうちの一人はいかにも好青年であることを示すようなよく日焼けした顔に白い歯を覗かせて笑顔を作っている。

 しかしもう一方は、無表情で灰色の瞳を持つ、全身から冷酷さを感じさせる男であった。

 このうち好青年の方が、武揚へ話しかけた。


「お主が榎本武揚殿かぁ。思っていたより随分とお若い方なんだなぁ。でっかい軍艦を自在に操るお方って聞いていたから、百戦錬磨のご老体かと思っていたけど……」


 なおこの時、武揚は三一歳。坂本龍馬と生まれ年は同じだ。

 武揚は爽やかな顔つきのまま、さらりと言った。


「では、お通しいただこうか」


 再び城門をくぐろうとする武揚。

 ……と、その時だった。


――スッ……。


 と、彼の顔まであと一寸という場所に、白い刃が現れたのである。

 さすがの武揚も目を丸くしたが、それでも動じる様子を見せないのは、彼の器量の大きさを如実に表している。

 そして寸分違わずに剣をピタリと止めた男も、たいがいなものだ。

 それは冷酷な目をした男の方だった。


「……その服装のまま上様に謁見するつもりか」


 まったく温度を感じさせない口調で淡々と問いかける男。

 武揚は目を細めると、口元を緩めながら答えた。


「だったらなんだと言うのだ? お主には関係ないことだ」

「……出直していただこうか。上様を辱めることは、武士を侮辱するも同じだ」

「辱めるだぁ? 今は薩長との戦時中。いかなる火急の時でも指揮がとれるようなかっこうをするのが、武士のたしなみというものだろう」


 一歩も引かぬ武揚と冷酷な男。

 先程まで屈託のない笑顔を見せていた好青年も固唾を飲んで二人の様子を見つめていた。

 

 じりじりとした睨みあいがしばらく続く。

 そしてそんな彼らの決着をつけたのは、外野からの声だった。


「おい! 土方!! 何をやってるかぁ! その御方は上様が直々にお呼び立てしたのだぞ! もっと丁重に扱え!」


 武揚は声のした方へ、目だけ向ける。するとがたいが良く、四角い顔をした男が汗をふきながらやってくるのが、目に入ってきた。

 彼が近づいてくるのを見て土方と呼ばれた冷酷な目をした男は、ようやく刀をおろした。


「榎本殿! あいすまなかった! それがしは近藤勇と申す! 新撰組の局長をやっておる者でございます! どうぞ以後お見知りおきを!」

「おい、おい! 局長さんだけしっかりした挨拶をするのはずるいぜ! 俺は永倉新八! みんなからは『がむしゃらな新八』ってことで『がむしん』って呼ばれてるんだ! よろしくな!」


 顔の四角い男と好青年がそろって武揚に挨拶をすると、彼は爽やかな笑顔で「榎本武揚だ。よろしく」と一言だけ言って小さく頭を下げた。

 そして未だに抜き身の刀をもったままの土方へ目を向ける。

 その視線に気付いた近藤が土方に向けて口を尖らせた。


「こらっ! 土方! お主も何か言わんか!」

「……土方歳三だ」


 自分の名前だけを言って、刀をしまうと、土方歳三はどこかへ去っていってしまった。

 その背中を目を細めながら見ていた武揚は、ふっと笑みを作った。


「面白え男じゃねえか」


 と、先程までとは異なる口調でつぶやいたかと思うと、再び顔を上げて城門を堂々とくぐっていったのだった――


◇◇


――売られた喧嘩は買ってやるが、こっちから売る必要はねえよ。


 硬直した議論に終止符を打ったのは、後からやってきた榎本武揚の一言だった。

 すなわち薩長を中心とした新政府の方から戦争をしかけてこない限りは、むやみに兵を動かさない方がいいというのが彼の意見だった。

 その理由も至って単純だった。


――ここは京の都。つまり陛下が暮らしてらっしゃる場だ。そんなところで兵を動かせば、いよいよ朝敵になっちまうぜ。


 『大政奉還』によって存続の危機にたたされた江戸将軍家。重臣たちの心には焦りが少なからず巣食っており、盲目的になっていた考えが、武揚の登場によってようやく解き放たれた格好となった。

 

「うむ! 榎本の意見を採用するとしよう!」


 と、ようやく慶喜は『決断』した。

 そして武揚はもう一つ慶喜に献策した。


「来たる一二月七日。兵庫港が上様の号令のもと、諸国に開かれます。これにより諸外国にも、上様が依然として日本の棟梁であると示せましょう。それを機に一気に主導権を握りなされ!」

「主導権を握る……」

「ええ、陛下への働きかけ、そして諸藩への上洛要請……。上様のお力で日本が動かせるのを内外にお示しになるのです!」

「そ、そんなことができるのかのう……」


 弱々しい表情でうつむき加減になる慶喜。

 その瞬間だった。


――ムズッ!


 なんと武揚が慶喜の顎を掴んで、強引に彼の顔を上げたのだ。

 

「榎本! 調子に乗るのもたいがいにせい!」

「この無礼者!」


 他の重臣たちが顔を真赤にして彼に詰め寄ったが、彼は鋭い眼光を彼らに向けて一喝した。


「ええい、うるせえぇぇ!! じじいどもは黙ってやがれ!」


 あまりの剣幕に彼に詰め寄った重臣たちは、ぴたりと動きを止めて言葉を失ってしまった。

 そして武揚はどすの利いた低い声で続けた。


「上様の『決断』一つで、徳川家の武士、八万の生活と命がかかってるんだ。それだけじゃねえぞ。幕府と運命をともにしようっていう忠義を尽くす大名たちと家来たちも同じだ。それだけの命の重荷を上様は背負ってるんだぜ。だから、ぜってえに逃げちゃなんねえ……。絶対だ!」


 武揚の情熱の炎が、瞳を通じて慶喜にも乗り移っていく。

 彼は興奮に頬を桃色に染めて、大きくうなずいた。

 慶喜の目が真実を語って武揚はニコリと微笑むと、ゆっくりと手を離した。

 そして深々と頭を下げた。


「上様に多大なる御無礼を働いたことをどうぞお許しくだされ!」

「頭を下げる必要などない! われは嬉しかったぞ! よしっ! 神君家康公以来の徳川の底力を見せてくれようぞ!」


――おおっ!!


 人々が一斉に気合いを声に出す。

 その様子を目を細めながら見た武揚は、静かに部屋を出た。

 そんな彼の背中から慶喜の側近、大久保忠寛が慌てて声をかけた。


「榎本殿! いったいどこへ行かれるというのでしょう!? もっと上様のお側で奉公してくだされ!」


 すると武揚は背中を見せたまま、首を横に振った。

 そして爽やかな声で告げたのだった。


「俺は海軍の指揮官でございます。部屋にこもってじじいどもの相手をしているよりも、『開陽丸』で部下たちの面倒を見ている方が性に合っておりますのでな。では!」


 ひらひらと手を振りながらその場をあとにする武揚を、忠寛はまぶしい目で見つめ続けたのだった――




 

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