京に集う幕末の英雄たち①

◇◇


 慶応三年(一八六七年)一一月二三日――


 京の街に三人の『志士の英雄』がついに到着した。

 いずれも薩摩の雄、西郷吉之助、大久保一蔵(後の大久保利通)、そして小松帯刀(こまつたてわき)だ。

 志士たちの熱烈な歓声を背に、吉之助を先頭に三人は薩摩藩邸へと入っていった。


「小松どんと一蔵は先に行きたもんせ」


 と、吉之助は背後の二人に声をかけた。

 有無を言わさぬ吉之助の雰囲気に、一蔵と帯刀の二人は目を合わせたが、何も言わずに屋敷の奥へと姿を消していった。

 

 そして二人の姿が完全に見えなくなったところで、彼は屋敷の留守を任されていた藩士を呼びつけた。

 口をへの字に結んで、険しい表情の吉之助に対して、藩士は腰を低くして彼を見上げている。


「西郷どん。そげんえじ顔してどげんいたしたと?」


 と、彼が問いかけた瞬間だった……。

 

――ドゴォォォォン!!


 なんと吉之助が彼を殴り飛ばしたのである。


「ぐっ!」


 と、短い唸り声をあげて尻もちをついた藩士は、吉之助を睨みつけると唾を飛ばした。

 

「西郷どん! なにをすっど!!」

「せからしか! おいが知らんとでも思うちょったんか!?」

「なにを!?」


 顔を真っ赤にして鬼のような形相をしている吉之助に、殴られた藩士は思わず尻ごみをした。

 そして吉之助は屋敷の奥まで聞こえるような大声を上げたのだった。

 

「わいらが坂本と中岡ん二人を襲うたんを知らんとでも思うたか!」


 その言葉を耳にした瞬間に、さっと顔を青くする藩士。彼だけではなく、周囲にいる人々もみな顔色を変えた。

 吉之助はぐるりと彼らを見回すと、さながら猛獣のような咆哮をあげた。

 

「策略は戦ですっことで、日常ですっことじゃなか。はかりごとをめぐらしてやったことは、あとから見っと、良うなかこっがはっきりしちょって! 必ず後悔すっもんや!」


 藩士たちは吉之助の真っ直ぐな言葉に、姿勢を正して彼にひざまずいた。

 正々堂々と武士の道を歩むことを幼い頃から叩き込まれてきた薩摩藩士たちの心に、吉之助の言葉が沁み渡っていく。

 そして彼らのうちの一人が大きな声で言った。

 

「おいたちが浅はかやった。許したもんせ。こん通りじゃ!」


 彼らが必死に頭を下げる様子を、まるで我が子を叱りつけるような目でじっと見つめていた吉之助。

 しばらくすると彼もまた腰を低くして、なおも頭を下げ続ける藩士たちに声をかけた。

 

「もう過ぎてしもたことを悔いてん仕方なか。おいも一緒に行ってやっで、明日にでも土佐藩邸に頭下げに行っど」


 先ほどまでとは打って変わって優しい口調に、はっと顔を上げた藩士たち。彼らの目に飛び込んできたのは、吉之助の穏やかな笑顔だった。

 

「すまん……すまん……ううっ……」

「わいらが日本と薩摩を想う気持ちは、おいにもよう分かっちょっ。ただ、道を踏み外したやいけんじゃ」

 

 最後にもう一度だけ『正道』を説いた吉之助は、目の前で涙を流す藩士の背中をそっと支えながら立たせた。

 

「あらためて礼を言わせてくれ。出迎え、あいがと。さあ小松どんや一蔵たちが待っちょっで、もう行こう」


 そう言い残した彼は、巨体を揺らしながら奥の方へと姿を消していったのだった――

 

◇◇


 西郷吉之助が屋敷の奥の一室に入ると、そこには小松帯刀や大久保一蔵だけではなく、土佐藩、安芸藩、尾張藩など倒幕を高らかと掲げた藩の重臣たちが顔を揃えていた。

 中には片腕に怪我を負った中岡慎太郎の姿もある。どうやら彼はいくつか刀傷を負ったものの、命に別条はなく、こうして重要な場には顔を出すことがかなったようだ。

 吉之助は彼に対して小さく頭を下げたが、彼はぎりっと彼を睨みつけて無言を貫いていた。

 

 そして最後に姿を現したのは烏帽子(えぼし)をかぶった小柄な貴族であった。

 

「みなのもの、揃っておるな。いやぁ、寺暮らしが長くてのう。まだ、この服装には慣れん」


 強面に似合わない甲高い声の持ち主だ。

 口元には不敵な笑みがよく似合うこの男の名は、岩倉具視(いわくらともみ)と言う。

 下級貴族出身の彼だが、朝廷内での政争に敗れて、わずか十日ほど前まで寺で蟄居の身だったのである。

 しかしその最中でも秘密裏に薩摩藩を巧みに利用して、倒幕の活動を裏で手引きをしていた中心人物だった。

 『大政奉還』の後にようやく赦免された彼は、再び政治の表舞台に立つと、新政府の体制作りを素早く固めていく。

 とにかく頭の回転がよく、弁もたつ彼は、こうして集まった志士たちを束ねる役回りを担っていたのであった。

 

 そんな彼が人々をぐるりと見回すと、一人の人物のところで目が止まった。

 それは土佐藩士、後藤象二郎だった。

 

「ほう……『幕府の犬』もここにおるとは聞いとらんのう」


 象二郎の眉がぴくりと動くと、横にいた中岡慎太郎が先に岩倉具視に噛みついた。

 

「犬とは失敬な。最近の貴族様は口の聞き方も知らないのか」

「くくく……これは失礼した。では、はっきり申そうか。ここには『幕府の間者』もいるとは聞いとらんのう! 後藤象二郎殿」

「おのれ! 無礼な!!」


――ガタッ!


 慎太郎が動く方の手を刀にかけたところで、象二郎が制した。

 

「やめよ! 慎太郎! 俺のことはなんと言われようが構わん」

「ほう……それは自分で自分のことを『幕府の犬』と認めたように聞こえるがそれでよいか?」

「なんとでもおっしゃるがよろしい。それがしはご当主の命令に従って行動したまでのこと。それはこれからも変わりません」

「ほう……あの『狸』の山内容堂の言う通りか。これはますます警戒せねばなりませんな」

「それがしのことはよい。しかし容堂公を悪く言うおつもりなら、それがしも黙ってはおられませんぞ」

「くくく……怖いのう。これだから血の気の多い田舎侍はいかんのじゃ」


 二人の間に見えぬ火花が散る。

 するとその場を切り裂く一喝が響いた。

 

「くだらん……早く話を進めよ」


 短い言葉であったが、低くて重いその一言に場が凍りついた。

 それは大久保一蔵だった。

 普段からあまり口を開かぬ寡黙な彼であったが、他を圧倒する雰囲気は、隣に座る西郷吉之助に負けずとも劣らないものがある。

 そんな彼から放たれた言葉は、その場の全員の肝を冷やした。

 そして冷水が浴びせられたように青い顔をしている人々に対し、今度は一蔵とは対照的に、小松帯刀の軽くて明るい声が響き渡ったのだった。

 

「まあまあ! みなのもの! ここは志を一つにする『仲間』が揃っているのだ! 仲良くやろうや! 仲良く! よしっ! では早速、これから話しあうことを岩倉様より口にしていただこうではないか! 岩倉様、よろしくお頼み申す!」


 小松帯刀がぺこりと岩倉具視に頭を下げると、彼の強張っていた表情が少し緩んだ。

 そしてあらためてその場の面々の顔を見回した岩倉は、高らかと告げた。

 

「これより『王政復古の策』について話し合うとしよう!」


 『王政復古』という聞き慣れない言葉に人々は顔を見合わせた。

 すると岩倉は満面の笑みを浮かべて声を張り上げたのだった――

 

「簡単に言えば、陛下を中心とした、徳川抜きの世の中を作るということじゃ! くくくっ!」




 

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