気持ちを受け止める

◇◇


 俺、坂本龍馬は今、京から遠く離れた江戸で美女に剣術勝負を挑まれていた。

 ちなみに剣術の「け」の字も知らない俺が、北辰一刀流の使い手である千葉さな子にかなうはずもない。

 しかし彼女が不退転の決意で俺に挑んでいる以上、俺も引くわけにはいかなかった。


「えええええええいっ!!」


 彼女が気合の咆哮を上げると、稽古場の空気が震える。

 ビリビリとした彼女の気迫が俺の全身を固くさせた。

 そしてその一瞬の隙を彼女は見逃さなかった。


――ダンッ!!


 と、力強く床を蹴ると、彼女は一直線に俺に向かって飛び込んできた。

 そして音速のごとき剣を振り下ろしてきたのだった。

 まさに目にも止まらぬ攻撃に手も足もでない俺。

 もはや何も考える暇もなく、次の瞬間には昨日と同じように意識を彼方へ飛ばしてしまっているだろう。

 でもそれが俺が取れる罪滅ぼしになるのなら……。

 彼女の気持ちが少しでも晴れるのなら……。

 俺はそのように覚悟を決めて、高速で振り下ろされる竹刀をじっと睨みつけていた。

 

 ……と、その時だった。

 

――受け止めてやってくれんかね。さな子さんの気持ちを……。


 と、頭に直接声が響いてきたのである。

 そして俺の手がひとりでに動きだしたかと思うと、彼女の竹刀を自分の竹刀にぶつけたのだった。

 

――バシィィィィッ!!


 竹刀と竹刀のぶつかる乾いた音がこだまする。

 俺が彼女の剣を受け止められたのが、意外だったのだろうか。

 すぐ目の前に迫ったさな子の顔が、驚愕の色を映したが、それも束の間、すぐに二撃目が俺のガラ空きとなったわき腹に飛んできた。

 しかし流れるようなその一撃ですら、俺の竹刀はしっかりと受け止めた。

 

――バシィィィィッ!!


 竹刀とはいえ、まるで鈍器で殴りつけられたかのような重い一撃に、竹刀を持つ手が痺れる。

 彼女の手にも同じような衝撃が走っているはずだが、彼女は鬼気迫る表情を変えないまま、俺から少し距離を取った。

 

「剣を忘れたなんて、うそね。でなければ今の一撃は受けられないもの」

「いや、体が勝手に動いただけだ」

「勝手に動いた? そんなのあるわけないでしょう」

「信じてくれなくてもいい。でも、俺は今自分ができることを本気でやりたい、それだけだ」

「今自分ができること……? なによそれ?」


 彼女が怪訝そうに問いかけてくると、俺はまだ痺れたままの手で竹刀を強く握りしめて、さな子を強い瞳で見つめた。

 そして自分でも驚くほどの、大きな声で部屋中を揺らしたのだった。

 

 

「君の気持ちを受け止める!! ただそれだけだ! こいっ!!」



 一瞬だけ目を大きく見開いたさな子。しかし「いい加減なことを言って……」とぼそりと呟くと、元通りの鬼のような形相に戻して、地響きするような咆哮をあげた。

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」


――ダダンッ!! バシンッ!!


 今度は踏み込みと同時に竹刀が飛んでくると、俺の竹刀は辛うじて反応した。

 先ほどよりもさらに剣の速度はあがっている。

 ぐらりと体勢を崩した俺に対して、さな子は容赦なく剣撃を浴びせてきた。

 

――バシンッ! バシンッ! バシンッ!


 二度、三度と息もつかせぬ連続攻撃に、もはや両目の機能は全くと言ってよいほど役に立たなくなっていった。

 その代わりに彼女の剣を受け止める感覚が研ぎ澄まされていく。

 

 するといつの間にか、さな子との息がぴたりと重なり合うような、そんな不思議な感覚に陥ってきたのだ。

 何も口に出さずとも、彼女が繰り出す剣の方向や角度が、すっと体の中へ入ってくると、自然と自分の剣を動かす場所が定まっていく。

 そこに吸い込まれるようにして彼女の一撃が収まっていくと、気持ちの良い音となって辺りを響かせた。

 最初は彼女の一方的な攻撃が、いつしか二人の共同作業へと変化していく。

 そして同時に彼女の『想い』が少しずつ俺の心にも伝わってくるようになっていったのだった。

 

――龍馬は大きな夢をかなえるんじゃなかったの!? どうして戻ってきたの!?

――私はあなたを忘れようと必死だった。それなのに、どうして戻ってきたの!?

――あなたのことを風の噂で聞くたびに、私は心を痛めてきたの! なのになんであなたは平気な顔をして戻ってきたの!?


 何度も繰り返される、坂本龍馬への強い想いと疑問。

 いつしか憎しみの裏に隠されていた愛情だけが、表に現れるようになってくると、彼女の鬼の表情は、菩薩のように柔らかいものへと変わっていた。

 

 彼女の剣が乱れ、一撃に込められた力も衰えていく。

 それでも彼女は自分の中で壊れていくなにかを必死に抑えようと、歯を食いしばって、両手をしぼった。

 

 そしてついに全身全霊をこめた最後の一撃を繰り出さんと、大きく振りかぶった。

 

「りょうまぁぁぁぁ!! 私は……私はぁぁぁぁ!!」


 まるで断末魔の叫び声のような彼女の雄たけびは、鼓膜を破壊せんばかりの衝撃波となって襲いかかってきたが、彼女の全てを受け止める覚悟を決めた俺は、怯むことなく立ち向かっていった。

 

 そして……。

 

――バチィィィィン!!


 というこれまでにない激しい音が耳をつんざいた。

 べりべりと竹刀が根もとから裂ける音がしてきたが、俺の体は今までとは全く違う動きをしていく。

 それは『守り』ではなく『攻め』……。

 つまり、渾身の一撃を放ったことで隙だらけとなった彼女の胴に、剣を光の筋のように走らせたのだった――

 

――パアアアアアン!!


 甲高い音が彼女の腹から響くと、彼女はその衝撃によってゆっくりと仰向けになって倒れていく。

 一方の俺は剣を振り抜いた後の残心の姿勢を取った。

 

――ドォン……。


 さな子はついに床の上に大の字になって倒れた。

 

 しばらくの間、静寂が稽古場を包んだ。

 俺はゆっくりと竹刀を下ろすと、彼女の方へ振り返る。

 そして茫然としたまま天井を見つめている彼女に対して、そっと手を差し出した。

 

「立てるかい?」

 

 その時だった……。

 

「ううっ……うわあぁぁぁぁん!!」


 と、彼女はまるで赤子のように大声で泣き始めたのだ。

 突然のことに、どうしたらよいか分からず戸惑う俺をよそに、彼女はわんわんと大泣きを続けている。

 

「龍馬に……龍馬に負けたぁぁぁ! 悔しいよぉ! うわああん!!」


 綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる彼女に対して、俺は彼女が泣きやむまで背を向けようと差し出した手を引っ込める。

 しかし……。

 

――ガシッ!


 と、彼女は仰向けのまま、俺の手を強くつかんだのだった。

 

「さ、さな子!?」

「いかないでよぉ! もうどこにもいかないでよぉ! うわあああん!」


 あまりにストレートな彼女の気持ちに、胸が思わず高鳴った。

 彼女につまれた手が急に熱くなって、じんわりと汗がにじみでる。

 すると彼女にも俺のとまどいが通じたのか、彼女は泣きながら言った。

 

「受け止めてくれるんでしょ! わたしの気持ち! だったらこのまま一緒にいてよぉ! うわあああん!」

「分かった! 分かったから、もう泣かないでくれよ!」


 俺は必死になって彼女をなだめると、彼女はようやく泣きやみ始めた。

 そして上目遣いとなって、涙で濡れた瞳を俺に向けてきたのだった。

 

「ぐすっ……ほんとに? ほんとに一緒にいてくれるの?」

「え……いや、それは……その……」


 この場合、なんて答えるのが正解なのだろうか。

 もし彼女が『あの少女のママ』だと分かっているなら、迷わずに『うん』とうなずくべきだろう。

 しかし、逆に違っていたなら、再び彼女を傷つけることになってしまうのではないか、ここは慎重に答えるべきだ。

 

 ところが彼女は俺に考えさせる余裕を与えなかった。

 急に立ち上がった彼女はぐいっと俺を引き寄せると……。

 

――チュッ!!


 と、強引に唇を合わせてきたのだった。

 

 彼女の薄くて柔らかい唇の感触が、余計な思考を削っていく。

 そして彼女が静かに離れた時には、俺の答えはただ一つしか残されていなかった。

 

「分かった……迷惑でなければ、ずっとここにいてもいいかな?」


 彼女は真っ赤になりながら、小さく一つうなずいた。

 その仕草があまりにも可愛らしく、胸がはち切れんばかりに高鳴る。

 すると彼女も同じだったのか、苦しそうに俺を見つめてきた。

 

「龍馬……」

「さな子……」


 真冬にも関わらず、夏場のように汗が額から止まらない。

 一度離れた二人の距離が、またゆっくりと縮まっていった。

 そして再び一つになる……その時だった――

 

――ピシャッ!!


 と、突然引き戸が荒々しく開けられたかと思うと、必死な顔つきの弥太郎が転がりこんできたのである。

 

「た、た、大変じゃぁぁぁ!!」

「のわあぁぁぁ!!」


 驚きのあまりに大声を上げた瞬間に、俺とさな子はさっと距離を取る。

 するとその様子を見た弥太郎が、怪しい目つきで俺たちを交互に見比べた。

 

「あやしいのう。神聖なる稽古場でおまんらは何をしとったのかのう」


 あやしむ彼に対して、俺は話題をそらそうと必死になる。

 

「そ、そんなことより、どうした!? なにかあったのか!?」


 弥太郎は、はぁと大きく息を吐くと、眉間にしわを寄せて言った。

 

「幕府の役人らが屋敷をあらため始めちょる。なんでも薩摩のやつらを中心に、江戸で狼藉を働いちょる者らがおるようでのう」


 俺は目を丸くしてさな子と顔を合わせた。

 そして弥太郎は俺たちが何か口に出す前に続けたのだった。

 

「この屋敷があらためられるのも時間の問題じゃ。もしおまんの正体があきらかになれば、おまんだけじゃなく、千葉道場も何らかの咎(とが)を受けることになろう!」

「弥太郎! それはまずい! どうしたらいいんだ!?」

「逃げるしかないぜよ!」

「しかし……もはやどこへ逃げたらよいか……」


 俺が困った声をあげると、弥太郎の背後から重太郎がやってきて、大きな声で一つの提案をしてきた。

 

「勝殿! 幕府のことなら、勝海舟殿に相談すればどうにかしてくれるかもしれん!」


 と――



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