味方を見つけた

◇◇


 いつもと違う場所、いつもと違う枕……。

 それだけで寝付く事が出来ない俺。

 ましてや今日は命を狙われたのだ。

 当然眠れぬ夜を過ごすのだろう、そう思っていたのだが……。

 

 あっという間に夢の世界へと落ちていった。

 

 人間、心身共に疲れが限界を超えると、こうもあっさりと爆睡出来るのか、と感心してしまう程に、俺はぐっすりと寝入っていた。

 

 しかし……。

 

 自分の名前を叫ぶ大声は、強烈な目覚まし時計と同じくらいに凄まじい効果があろうとは――

 

「坂本ぉぉぉ!! 逃げろぉぉぉ!! うおぉぉぉ!!」


――ガバッ!


 隣の部屋から響いてきた中岡慎太郎の叫び声で飛び起きた俺。

「なんだ!? どうした!?」

 と、まず周囲を見回した。

 しかし部屋には誰もいない。

 あえて言えば食事の際に使った皿や盃が無造作に転がっているのが目に入ってくる。

 

 ところが次に響いてきた声は、どんなに鈍くさい俺であっても何が起こっているのかを理解させるに十分なものだった。

 

「ぐわぁぁぁぁぁ!! いてぇぇ! こいつ斬りやがった!」

「くそぉ、お前は中岡か!! 坂本はどこだ!?」


――キイィィィン!!


 叫び声と高い金属音。

 明らかに隣の部屋で壮絶な斬り合いが行われているではないか。

 そして俺は残念な事に、頭で考える前に口が勝手に反応してしまった。

 

「中岡さん!! 大丈夫か!?」


 なんと隣の部屋に向かって大きな声で呼びかけてしまったのである。

 すると叫び声が聞こえてきた。

 

「隣だ!! こいつら部屋を取り替えていやがった!!」

「いいから早く坂本を斬れ!!」


――ドタッ! ドタッ! ドタッ!


 人が走り回る音と共に、床が揺れる。

 

「待てぇぇ!! 敵に背を向けるなど、お主らそれでも武士か!!」

「ぐわっ! 貴様!! 背中から斬るとは、恥を知れ!」


――キィィン!!


 再び金属音が鳴り響く。

 一方の俺は完全にパニックに陥ってしまい、ようやく刀とピストルに手をかけたところだ。

 すると中岡慎太郎の声が響いてきた。

 

「何をしっちゅう!! はよ逃げろ!! 坂本!!」

「い、いや、靴が! 靴がどこにもねえ!」

「いいから裸足で逃げろ!! 靴と命どっちが大切なんか!!」


 俺は彼の声に弾けるように襖の方へと駆け寄る。

 しかし……。

 

――ドカァッ!


 と、大きな音と共に襖が蹴破られてきたではないか。

 

「いたぞ! 坂本だ!!」

「奴を斬れぇぇ!!」


 たちまち二人の男が俺目がけて斬りかかってきた。

 

「うわぁぁぁ!!」


 俺は今度は一目散に窓の方へと這いつくばりながら急ぐ。


――ブンッ!


 背後から刀が空を斬る音がしたかと思うと、背中に鋭い痛みが走った。

 

「痛てっ!」

「くっ! 浅かったか!!」

「次は俺だぁ!!」


 もう一人がさらに間合いをつめてこようとする。

 こんな時に肝心の窓がなかなか開かないのだ。

――ガラガラ!

 そしてようやく開いたが、すぐ背後から男が大きく刀を振りかぶっている様子が目に飛び込んできたのである。

 

「うわぁぁぁぁ!!」


 もうだめだ! そう目を瞑った瞬間だった。

 

――パァァァン!!


 と鋭い破裂音がこだましたかと思うと……。

 

――ドサッ……。


 と目の前の男が仰向けに倒れたのだった。

 

「えっ……」


 目の前の光景に思わず固まる俺。

 その右手にはS&Wモデル1……つまりピストルを手にしていたのだった。

 

「俺が撃ったのか……?」


 防衛本能というものは恐ろしいものだ。

 銃なんて撃った事ないのに、無意識のうちに撃鉄を下げ、引き金を引いたというのか……。

 

 部屋に入ってきたもう一人の男も俺と同じく驚きに固まっていたが、すぐに気を取り直すと、

「こ、こいつ!! よくも!!」

 と、怒り狂って再び俺に襲いかかろうとした。

 

 しかし彼が立ち上がる頃には、今度は俺の生存本能が体を勝手に動かしていた。

 

――バッ!


 窓から勢いよく外へと飛び出した俺は、転がるように夜の京都の街を駆けた。

 

 刀がかすめた背中が痛い。

 足の裏も痛い。

 そして屋敷に残してきた中岡慎太郎の行方が気になる。

 

 しかし俺の手足は止まらない。

 

 ただ『生きる』。それだけを目標として、右も左も分からない街を、今度は一直線に駆け抜けていったのだった――

 

◇◇

 

 慶応三年一一月一六日 朝――


 俺はまだ京都の街中にいた。

 いや、正確に言えばここが京都かどうかもよく分かっていない。

 とにかく真っ直ぐ行ったのはいいが、やはりどこにでも突き当りはあるものだ。

 突き当りを何度か右へ左へと曲がっていくうちに、夜が明けてしまったという訳である。


 まばらではあるが人が徐々に街に出てくる。

 俺は人目を避けるように、影から影へと移動していた。


 刀をぶら下げている人間が全員俺の事を追っているようにしか思えない。

 だってそうだろう……。

 俺は『佐幕派』からも『倒幕派』からも命を狙われている事が分かったのだから。


「くそぉ……もう死んだ方がましなんじゃないか……」


 孤独と恐怖が心を暗闇で覆うと、どんどん思考がマイナスの方向へと導かれていく。

 しかし完全に落ちなかったのは、中岡慎太郎の言葉が一筋の光となって照らしていたからだ。

――おまさんは『生きて』、貴い人でいてくれ……。

 彼は俺が部屋で寝ている間に襲われる事を、厠へ行った時に知ったのだろう。

 だから自分の命を投げ打ってまで部屋を交換してくれたに違いない。


 俺の命を助ける為に……。

 そんな彼の気持ちを無碍に出来ない。


「負けるもんか。絶対に生き延びてやる……」


 あらためて心に火を灯し、俺は再び周囲を警戒しながら歩き始めた。


 ……と、その時だった。

 俺は小汚い格好をした小さな男と、ばったり顔を合わせたのである。


 すると彼は、

「げっ!? 坂本!」

 と、あからさまに俺を見て嫌な顔をした。

 そして……。

――ダッ!

 と、一目散に逃げ出したのだ。


 俺を追いかけてくる者は山ほどいるが、逆に俺から逃げる人間なんているとは思わなかった。


――彼は一体誰なんだろう?


 単純な興味が湧く。

 そして一つだけ言えるのは、俺から逃げるということは、少なくとも俺の命を狙っている者ではないという事だ。

 俺は無意識のうちに全力疾走で彼を追いかけ始めた。


「ちょっ! おまん! こっち来んなぁぁ!」


 時折振り返りながら俺を追い返そうとしている。

 しかし人間不思議なもので、「こっちへ来るな」と言われれば、逆に寄りたくなってしまうものなのだ。

 俺は無言のまま彼の背中を追いかけ続けた。


 そしてついに、彼を背後からがっしりと抱え込んだのである。

 やはり彼の体重は相当軽い。

 俺はひょいっと彼を持ち上げたのだった。


「や、やめろ! 下ろせ!」

「いや、お前が何者か聞かせてくれたら下ろしてやる」

「はぁ!? おまん、わしを忘れっちゅうか!?」

「忘れたというよりも、知らんのだ!」

「くっ! ふざけやがって!! わしをからかって何が楽しい!? そんなにわしが憎いっちゅうか! ううっ……」


 そこまで言うと、驚くことに彼は泣き出してしまった。

 俺はどうしていいか分からず、取り敢えず彼を下ろした。

 しかしなおも泣き続ける彼はついに膝を地面につき嗚咽を始めたのである。


「うわああああ! 悔しいのう……! 悔しいのう!」

「ちょ、ちょっと! そんな所で大泣きされたんじゃ、目立って仕方ないだろ!」


 すると突然立ち上がった彼は真っ赤な目で俺を睨み付けながら唾を飛ばした。


「うるさいっ! この岩崎弥太郎が下賤の身だからといって、おまんに蔑まれねばならん理由なんてないんじゃ!」

「岩崎弥太郎……お前は岩崎弥太郎なのか!?」


 俺は思わず彼の肩を掴んだ。


 岩崎弥太郎……土佐の地下浪人(じげろうにん)という低い身分の出身だ。

 坂本龍馬よりも一つ年上ではあるが、龍馬の方が身分は高い。

 彼は類まれなる商才を持った努力家で、坂本龍馬亡き後の海援隊を活用し、海運事業へ乗り出すことになる。

 そしてついには三菱財閥を築く大実業家まで立身するのだ。

 

 史実では坂本龍馬と彼は一緒に酒を酌み交わす仲だったと記憶している。

 しかし同時に岩崎弥太郎が海援隊の経理を担当するようになってからは、龍馬の金遣いの粗さに憤慨していたとも何かで読んだ。


 仲が良いのか悪いのか、全く分からない。

 しかしこれだけは言える。


「弥太郎は俺の敵ではなかろう!!」

「はぁ!? わしがおまんの敵? んな訳なかろう! おまんのことは嫌いじゃが、敵ではない!」


 やっぱりそうだ!


 岩崎弥太郎は俺の『味方』なんだ!


「あはは! やった! 会えて嬉しい! 弥太郎!!」

「ちょっと、坂本! 離せ! 気持ち悪い!!」


 嬉しさのあまり抱きついた俺を引き離そうと必死にもがく弥太郎。

 しかし俺はますます抱きしめる力を強めた。


 ところがその時だった。


「いたぞ! 坂本だ!! 奴を斬れ!!」


 数人のガラの悪い侍たちが俺を指差して仲間に呼びかけたのだ。

 俺は真っ青な顔をして弥太郎に告げた。


「弥太郎! 逃げるぜよ!」

「ちょっと待て! なんで俺がおまんと逃げないかんちゃ!? のわっ!!」


 俺は口を尖らせる彼の手を引っ張りながら駆け出した。

 

 追われている状況は全く変わらない。

 絶望的な状況だって変わらない。

 それでも俺の心をつい先程まで覆っていた黒い雲は晴れ渡っていた。


――たった一人でも京都に自分の『味方』が見つかった!


 それだけで『希望』が生まれてきたように思えてならなかったのだから……。


「なんとしても『生きる』ぜよ!!」

「だからわしを巻き込むなぁぁ!! わしはおまんがだいっ嫌いなんじゃぁぁ!」




 

 


 


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