5:64「怒り」

「え……あれ、誰?」

「誰って、オークじゃろう」

「は?」


 何言ってるんだこのロリババアは。

 見た目に反してついにぼけてしまったか?


「なんじゃ、その哀れむような目は。おんし記憶が飛んだか? 目の前で変化しておったろうに」

「え……そうだっけ? 傷に夢中で」


 エィネ曰く、こちらに向けて結晶柱を飛ばしてきたすぐ後。ダイヤモンドオークはその巨体を地面に叩きつけられる直前、いきなり少年の姿に変化したのだと言う。

 そして何事もなかったかのように着地すると、そのまま片足で地を蹴り、再度ファルに襲い掛かったのだ。


 依然二人は激しい攻防を続けているが、ファルの方は表情がやや険しくなっているように思えた。

 ダイヤモンドオーク――今は少年の方がいいだろうか。少年は130センチほどにまで身長を縮め、見た目の通りかなりすばしっこくなっている。本当に面影などかけらも残っていない。強いて言うなら、時折見せる犬歯が普通の人間よりとがっているくらいだろうか。

 棍棒のような武器の類は手にしていないようだが、繰り出す拳や蹴りはかなり強力なのか、ファルは攻撃を防ごうと剣を構えるたびにかなり腰に力を入れているように見える。

 流石に元の姿よりは力が劣ってはいるものの、それでも拳ひとつで内蔵の一つや二つはつぶされそうな気迫を感じた。

 そして。


「しまっ――ぐっあアぁああァ!」

「ファル!!」


 余裕がなくなって来たところを狙ってきたのか。

 少年は勢いの乗った拳を、構えられた剣の前でカクンと落とし、雪が積もった地面を殴った。

 それから一瞬の内に手を180度回転させ、前に向けて大きく雪をかき上げる。これがファルの目を直撃し、次に来た回し蹴りをわき腹へモロに喰らってしまった。


 ファルの体はそのまま俺たちに向けて吹き飛ばされ、激突……する少し前のところで、見えない壁のような物に叩きつけられた。


「ガっ……!?」

「なっ!」

「なんと……」

「ファル!! 大丈夫!? ファル!!!」


 よろめきながらもどうにか体を起こすファル。

 その最中、ちらりと俺の方へ視線を向け、優しく微笑んでいた。大丈夫ですと言わんばかりに。

 しかしその実、わき腹を押さえながら立ち上がろうとする姿は苦しそうで、少なくともあばらは何本かいってしまっているように見える。

 俺は居てもたってもいられず、目の前の見えない壁を両手ドンドンとで殴りつけた。


「どう見ても大丈夫じゃないでしょ!! ねえ! 逃げて!! ファル!!!」


 まだ完全にはふさがっていない右肩から血が出てくるが、そんなことは気にしていられない。

 彼の立場を知っていればこそ、これ以上彼を戦わせたくないと思ってしまった。

 俺と同じだから。婿入り前――それも一国のお姫様との結婚が控えている彼を、ここで死なせるわけにはいかない。

 それを分かっていて、彼は今立っている。そんなことは百も承知だ。

 でもだからと言って死なせていい理由にはならない。


「ファル!!!!」

「大丈夫、です。まだこのくらいじゃ、ゴフッ……死にませんよ」

「ダメだって!! 血吐いてるじゃないか!」

「エルナ落ち着かんか! おんしもまだ治療中じゃろう!!」

「だって!」


 すぐ手の届く距離にいるのに、どうしても手が届かない。

 これほどもどかしいことがあるだろうか。

 こんな時のためにエィネがいると言うのに。


「いやー、滑稽っすね。おい好きっすよ、そういう悔しそーな顔する女性」

「「!!」」


 人を小ばかにするような若い声が聞こえた。

 声の主は言わずもがな、ゆっくりとこちらに歩いてきている少年だ。

 まさか人の言葉を理解して、あまつさえ自身も喋られるようになっているとは。

 この先ほどの堅物からは考えられないような、著しい知能の変化。これはもはや進化と言っても過言ではないのかもしれない。

 少年はじりじりとファルの元まで歩み寄り、剣を握る腕をつかんだ。


「ぐっ……」

「動かねえっすよね。こっちでも力にはそこそこ自信あるんっすよ。色々考えられちゃうっすからあんま好きじゃないんっすけどね。あのまんまじゃやられそうだったっすからしょうがないんっす。アンタらが悪いんすよ? でもま、所詮は力で劣る種族。おかげで一矢報いれそうで安心っす」

「お前……!」


 歪んだ笑顔を見せる少年に、俺は腹が立って仕方がなかった。

 ファルがやられてしまいそうなのもあるかもしれない。

 でもそれだけじゃない。グレィの面影がある顔で下種な笑みを浮かべ、ヒトを貶めるような言葉を吐いていることが許せなかった。

 目の前のどうしようもなく分厚い壁が、更に怒りを助長させてくる。


「いい顔するっすねー。怒りに歪んだ顔、おい大好きっす。このままこのオスを殺したら……どんな顔になるっすか――ねぇ!」

「ッ――――!!」


 ボキリと、明らかに骨が折れたであろう音がした。

 次の瞬間にファルの手が力を失い、剣が雪の中に落とされる。

 抵抗しようとするが、それよりも早く次の攻撃が命中する。


「やめろ! やめろ!! やめろおオオぉォぉ!!!」


 壁を殴り、叫んでも、少年が聞き入れる様子はみじんもない。

 ついさっき俺たちが少年に向けたやったように、ファルの手足が順番にへし折られていった。

 四肢があらぬ方向に曲がり、為す術もなく地に倒れようとするが、少年は未だ許さない。

 動けなくなったファルの髪を掴み、これ見よがしに見せつけてきた。


「ねえねえ。今、どんな気持ちっすか?」

「ッッッッまええええええええええ!!!!」

「エルナよ、落ち着けと言うておろう! 敵の思うつぼじゃぞ!」

「っるさい!!!」


 肩をつかみ諭そうとてくるエィネに、俺は容赦なく怒鳴りつけた。

 言われなくてもそんなことはわかっている。

 でも仕方ないじゃないか。

 ファルは兄弟で、友人で、恩人だ。彼がいなければ、今頃俺はこの道エルナを選んでいなかった。

 俺に大事なことを気づかせてくれた、生涯の恩人だ。

 その彼がこんなことになっていて見過ごせるわけがないじゃないか。

 なのに……それなのに……!!


「そーそー、いーぃ顔っすよ。アンタのその顔が拝みたかったっすよー、アンタにだけは、特別個人的な恨みもあるっすから」


 大方コロセウムの時に俺にやられたことを根に持っているのだろうが、そうだとしてもここまでやる必要はないだろう。

 個人的な恨みだ?

 知ったことか。

 こんな下種なやり方、許されるわけがない。

 こいつは絶対に許せない。


 血がにじむほどに拳を握りしめ、かつてないほどの怒りを壁の向こうの少年に向ける。

 すると少年は、その笑顔を崩すことなく、ファルをこちらへ投げつけてきた。

 彼の体は壁をすり抜け、エィネのもとへと倒れていく。


「なんのつもりじゃ」

「返すっす。このまま殺してもいいっすけど、それじゃエルナさん……だっけ? アンタ壊れちゃいそうっすし。主にも殺せとまでは言われてないっす。その代わり――」

「!!!」


 少年が正面に手を伸ばし、デコピンのような手の動きをさせてみせると、隣にいたはずのエィネとファルが、何かに押されるかのように数メートル後ろへと下がっていた。

 止まったところでエィネが前に出ようとすると、先ほどのように見えない壁にぶつかっている。


「二人とも!」

「さっきと一緒っす。アンタもこれを望んでるっしょ? お互い一対一で殺し合う……なんて、熱い展開じゃないっすか? ね、りましょうっす」


 パンっと、いい子と思いついたと言いたげに胸の前で手を合わせ、少年は歪んだ笑顔を更に歪ませて言った。

 最初からこれが狙いだったのだろう。

 俺を怒らせ、一対一で仕返しする。そのためにファルは利用されたのだ。


「…………上等だ」


 ああ、許せない。

 俺に仕返ししたければ、まっすぐに俺を狙えばいいじゃないか。

 こんな回りくどくて下劣なやり方、俺は絶対認めない。

 やってやるさ。

 真っ向からやりあって、こいつの全部を燃やしてやる。


「もう一度、跡形もなく消し飛ばす!!」

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