5:42「愛と聖女の子守唄」★

「あ……あが……が……」


 開いた口が塞がらない。

 顔は真っ赤だし、これからどうすればいいのかもわからない。

 何度グッズを見ようとも、模られ、描かれているのは間違いなく俺だ。

 こんな気味の悪い部屋の中で、何の躊躇もなく母さんは眠っている。

 俺デザインの抱き枕を抱えて!


「むにゃ……エルちゃぁん♡」

「ヒイィッッ!?」


 全身震えあがり、これを見ていてはいけないと判断した俺の本能が、バタンと大きな音を立て扉を閉めた。

 そのまま扉を背に寄りかかると、いつもの廊下が目に入ってきてホッとする。


「……えぇぇ」


 冷静になって、あらためてドン引きしてしまった。

 いくら子供のことを愛しているからと言っても、限度というモノがあるだろう。

 いやまぁ、今までもそんなことお構いなしだったわけなのだが……今回ばかりは流石に看過できん。

 ていうか親父はどうした!?

 この部屋には親父の面影なんて影も形も見当たらなかったが、もっと旦那のことも大事にしよう!?


 本当、何があったらこんなことになるんだ……。

 母さんを『表』に連れ戻すにしても、これじゃどうしたらいいのかさっぱりわからない。

 母さんの中の負の感情が、俺と関係していることは間違いないのだろうが。


「ふむ……」


 真剣に考えようと、組んだ手の片方を顎に持っていく。

 すると不意に、背中の壁――扉が開き、そこに重心を乗せていた体が大きく後ろに仰け反り、バランスを崩して転んでしまった。


「おわぁっ!!」

「あらぁ……?」


 どうやら目を覚ました母さんが、部屋の内側から扉を開けたらしい。

 仰向けに倒れた俺には、そんな彼女の豊満なボディと腑抜けた顔が嫌でも目に入ってくる。

 強いて安心した点があるとすれば、パジャマまで『エルちゃん柄』じゃなくてよかったということだ。

 ……が、それもつかの間。


「あ~、エルちゃんだぁ♡」

「ばッ! ちょっと待」

「むぎゅうぅ」


 咄嗟に上体を起こすも、時すでに遅し。

 本物の俺を見つけた母さんが、寝ぼけたまま俺に抱き着いてくる。

 むぎゅうじゃない。

 外に出ようとしてたんじゃないのか!

 ある意味ラメールより暑苦しいったらありゃしない。


「母さん暑い! 一回離れて! 目を覚ましてってば!」

「……や」

「え?」


 今、なんと?

 ね、寝ぼけてるような声じゃなかったが……え?


「か、母さん?」

「や!!」

「まだ何も言ってないよ!?」


 引きはがされないようにするためか、母さんの腕の力がぐっと強くなる。

 これではまるで、駄々をこねる子供のようだ。

 俺も昔、幼い頃に抱っこを要求して似たようなことをした記憶がある。

 ……それを思うと、このまま引きはがすのも可哀そうに感じてしまうな。


「もう……しょうがないなぁ」


 これではどっちが母親なんだか。

 母さんの背にそっと両手を回し、右手を彼女の頭の上に持っていく。

 俺の胸に飛び込むような形で抱き着いている母さんの頭を、俺はなだめるようにゆっくりと撫で始めた。


「ねえ母さん、何かあったの? つらいことがあったなら、俺でよければ相談にのるよ?」

「…………」


 ダンマリか。

 何かあったのは間違いないし、それは今の母さんを見ても明らかなんだけどなぁ。

 そんなにも俺が恋しいのか。

 はたまた恋しくなってしまうような事があったのか。

 どちらにせよいい迷惑だが、このままじゃ埒が明かない。

 どうにかして口を割ってもらわないと。


「話してくれなきゃわかんないよ。何か俺にできることはない?」

「――――――る?」

「え?」

「どこにもいかない……って、約束して、くれる……?」

「……もちろんだよ」


 母さんの行動と、今発した言葉。

 この二つはあの時の……グレィが竜仙水を作るために命を投げ打った時のことを思い出す。

 きっと今の母さんは、あの時の俺と同じ……それほどまでに、俺のことを離したくないのだろう。

 それならばと、頭を擦る手はそのままに、先ほどよりも少し母さんのことを抱き寄せ、次の言葉を待った。


「エルちゃん……あのね」

「なに?」

「わたしね、エルちゃんのことが大好き」

「う、うん……しってる」


 そりゃもう、傍から見ても分かる程ですし。


「……でもね、わかっちゃったの。エルちゃんのこと愛してるーって思うたびに、それとは別に……絶対手放してくないって、エルちゃんはわたしのものって思っていたの。誰にも渡さない、例えエルちゃんが幸せになるんだとしても、わたしの手が届かなくなっちゃうくらいだったら殺してでもって……そんなことを思っていたの」

「…………」

「わたしね、そんなことを思ってるわたしが怖い……きっとこのままじゃ、現実に帰ってもエルちゃんやみんなの足を引っ張っちゃう……討伐隊の時だって、わたしのせいで迷惑をかけちゃった……だから」

「何でも思い通りのこの精神世界に閉じこもってよう――って?」

「うん……」


 なんというか……聞いておいてなんだが、反応に困った。

 でも実に母さんらしい。


 話を聞く限り、母さんの『負』というのは、積もりに積もった俺への執着の念だ。

 溺愛する我が子への思いが、歪んだ形となって表面化してしまったのだろう。

 母さんが俺のことを親身に思いすぎているのは日ごろから感じているところだが、その悪いところが浮き彫りにされて、実感として降りかかった。

 それによって、「迷惑をかけてしまう」「取り返しのつかないことをしてしまう」という感情に負けたのだ。


 つい先ほどの俺と同じように。


「ねえ母さん、覚えてる? 賢者の試練を受けるとき、母さんが俺に言ったこと」

「わたしが、エルちゃんに……?」

「うん。ずっと先の未来を、俺と一緒に見るのが楽しみだって」

「…………」


 ピクリと、母さんの指が動いた気がした。


「あれ聞いてさ、俺も一緒に見たいって……ワクワクしたよ。俺とグレィは結ばれても、その……種族が違うから、こっ、子供はできにくいかもしれないけど……ファルとレーラ姫の子供が大きくなって、たぶんファルが次の王様だろうから、その子が次の次の王様になって、そうやってどんどん歴史が紡がれていって……俺と母さんは遠い子孫に昔話なんかしたりして。そんな未来を分かちある人がいるって、すごく幸せだなって」

「……ほんとう?」

「うん、ホント」


 念を押して声を震わせる母さんに、俺ははっきりと頭を頷かせる。

 でもあと一歩、まだもうひと押しが足りない。

 ちゃんとこれが、母さんに流されたんじゃなく、俺の意思であることを伝えなければだめそうだ。

 受け売りじゃなく、心の底からそれを望んでると伝えなければ。


「俺はグレィの事が好き……だけど、母さんとだってずっと一緒に居たいと、本気でそう思ってる。だからさ、ここで諦めるなんて言わないでよ」

「でも……」

「迷惑かけちゃう?」

「だってわたし! 本当はとんでもないことを考えてて……」

「大丈夫だよ。言ったでしょ? ずっと一緒にいるから……グレィもついてくるけど、母さんともずっと一緒に居続けるからさ。母さんがどうのとか関係なく、俺がそうしたいの。俺は母さんと一緒に、笑ってる未来が見たいの!」

「っ…………!」


 計算通り――なんて言うのは人が悪いだろうか。

 でも紛れもない本心だ。俺はグレィと……そして母さんといっしょに、明るい未来を見ていたい。


「う、うぅ……えるぢゃ……あ……う゛う゛ぁああああああああん!!」


 俺の胸の中に顔をうずめて、母さんが泣き崩れ、叫んだ。

 音の振動と母さんの熱が伝わってきて少しむず痒い。

 でも悪い気はしない……なんだか本当に母親になったみたいで、顔がほころびでしまった。

 もし将来子供ができたら、こんな風になだめることもあるんだろうな。

 そんなことを頭に思い浮かべながら、母さんが泣き止むまでずっとその頭を撫で続けた。

 そして三十分後――。


「あーあぁ、胸元びしょびしょになってる……」

「エルちゃんのおっぱい、ふかふかで気持ちいぃ……♡」


 どうやらひとしきり泣いて、元の元気を取り戻したらしい。

 目の前にある、扉が開けっぱなしだった母さんの部屋の内装も、普通の部屋に戻っているようだった。

 が……それはさておき、ちょっと堪能しすぎじゃないか? そこは何かない限りグレィ専用だと決めているのだ。いや、今決めた。

 さっさとどきたまえ。


「引き剥がすよ?」

「だって本当に……ふあぁ……あれ、なんだか急に眠くなってきちゃった」

「言ったそばから……って、ん?」


 眠くなってきたと言い、母さんが大きなあくびをしたところから、この空間自体が不安定になっている気がした。

 正確にどうこうわかるわけではないのだが、なんかこう……精霊がざわついている? みたいな。とにかく変な感じがしたのだ。


 恐らくは母さんが閉じこもるのをやめたことで、役割を終えたこの精神世界が消えようとしているのだろう。

 それだったら変に刺激せず、このまま流れに任せた方が得策か。恐らく俺も、追い出されるような形で戻れるはずだ。


「はぁ、しょうがない……いいよ、このままお休み」

「えへへぇ……子守歌、聞きたいなぁ」

「んなっ!? ちょ、調子乗るな!」

「じゃあ出て行かないっ」

「うぐっ……それは卑怯だぞ……もぉ」


 歌はあんまり得意じゃないんだが……!


 そうは思いつつも、観念のため息をつき、歌詞を思い浮かべる。

 昔母さんがよく歌ってくれていた歌……覚えてるかな。

 先ほどまで頭を擦っていた手を少し降ろし、とんとんと、今度は優しく等間隔で叩きながら……母を寝かしつける子守歌を口に出す。


「ねーむれ~ ねーむれ~……はーはーのぉむーねーーにー……♪」


 これから母さんが眠るまで、一分もかからなかった。

 同時に俺の意識も少しずつ遠のいていく。

 俺は最後に、絶対母さんから手を離さないようにと、ギュッとその体を抱きしめ直した。


「……帰ろう、未来の為に。一緒に」

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