5:43「異変」

「ふあぁ……」

「お、母さんやっと起きた」


 母さんを寝かしつけてから一時間ほど。

 おじいさんの精神世界に戻って来た俺は、ひたすら母さんが起きるのを待っていた。母さんの中に入った時に膝枕をしていたせいで、戻ってきてからも動けなかったのだ。


「あ~、エルちゃんおはよぉ~」

「全く、呑気なもんじゃのう……」

「それがいいところなのかもしれないけどねぇ」

「えへへぇ」

「うん、それはいいからとりあえず起きてもらっていいかな……さっきから足痺れて辛い」


 母さん、そんなもの欲しそうな顔してもダメなものはダメだぞ。

 辛さと意志を全面に押し出した笑顔が効いたのか、母さんは渋々、俺の膝から上体を起こした。

 少しでも膝を動かそうとすると、鳥肌の立つような不快感が全身に広がる……落ち着くまではこのままいた方がよさそうだ。

 立ち上がるなんて絶対無理だし。

 賢者の二人も、俺たちを無理に立ち上がらせるようなことは言わず、そのまま話を進めた。


「ご苦労じゃったの。まずはお疲れ様と言っておこう」

「ありがとうございます」

「ありがとぉおじいちゃんっ」


 ねえ母さんや。

 反応として間違ってはいないのかもしれないけど……あんたは最後の方ほとんど寝てただけだろう!

 しかもどちらかと言うと俺を疲れさせた側だぞ!


 母さんのあまりに陽気な言葉を耳にして、心の中で突っ込まずにはいられなかった。


「ふぁっふぁっふぁ。エルナよ、気持ちは分かるが、それがおぬしの母親じゃ」

「うぐっ! お、おじいさん……」


 ……しまった。

 ここはおじいさんの精神世界。

 おじいさんには心の中も筒抜けだってこと、忘れてた。


「わたし?」

「こっちの話じゃよ。さて、結果の方は二人とももうわかっておると思うが――」

「エルナは文句なしに合格! メロディアは二次試練失格! 以上」

「わしのセリフじゃろうがあ!」

「もたもたしてる暇はないだろう。あんた何もしてないし」

「そういう問題ではないわい! 場の雰囲気というモノがあってじゃなぁ」


 あーあ、また始まった……。

 もはや夫婦漫才なのではないかとさえ思えてくるやり取りのせいで、どうにも緊張感が足りない気がするのは、きっと気のせいじゃないと思う。

 母さんの能天気も相まって尚更だ。

 だがしかし、シーナさんが言う通りモタモタしてる暇はない。

 聞きたいこともまだ残ってるのだ、すまないが割って入らせてもらうぞ。


「し、シーナさん!」

「だーから―――ん、なんだい?」

「その、質問なんですけど……母さんに使った秘術って、どんなものだったんですか? その、言っちゃ悪いかもしれませんが、秘術っていう割にはいろいろ手間がかかったなあって……」

「ああ、そのことかい」

「あれは【視魂しこんの術】と言ってのう。本来はその者の魂の本質を覗き見るものじゃ。精霊言語を用いた基本の術になるのう……最も、精神丸ごと他者の魂に干渉するような先の使い方は、あまり推奨せんが」

「だから仕方なかったんだってば!」

「おぬしはやり方が悪いんじゃ!」

「何だってジジィ!」

「……あははは」


 乾いた苦笑いに半ば呆れかけた感情を載せて、再びケンカしだした二人を見る。

 もう勝手にやっててくれ……いや、先に俺たちを返してからやってくれ。

 もはや一周回って仲がいいヤツなんじゃないかこれは。


 そんなことを考え始めていた頃、右肩のあたりにつんつんとつつかれるような感触が。

 今度は何かと横を振り向いてみると、そこには先程まで能天気な笑顔を見せていた母さんが、少しばかり沈んだ表情で俺に向いていた。

 そうだ、こっちもまだやることがあったな。


「エルちゃん、迷惑かけちゃったわね……」

「んっ? いいって。親を助けるのに理由はいらないでしょ? ……と、母さん、ちょっとごめんね」

「え? エルちゃん?」


 母さんの胸元に右手を添え、絡みついた魔力を探し出す。

 やることとは、母さんにかけた呪いの解呪だ。

 呪った時の感触からして、複雑ではあるものの実はそこまで解くのが難しいものではない。

 全身に張り巡らされた魔力の糸が、俺の意思に比例して恒久的な効力を発揮しているのだ。魔力であるから実体はなく、その気になれば一気に吸い出すことも可能だ。


 張り巡らされた魔力を制御して、手が触れている一点に集中していくように仕向ける。

 思った通り、かつて大量の小型ドラゴン相手に散弾をして見せた時よりは、はるかに簡単にかき集めることができた。

 全ての魔力が手元に集まったところで、母さんの胸元から手を離す。

 するとその場所から直径に十センチほどの光の球体となった魔力が現れ、霧散していった。

 これで解呪完了だ。


「うん。これでよし」

「?」

「なんでもない。おまじないみたいなものだよ」

「おまじない……?」

「そ、おまじない」


 なるべく母さんを不安にさせないように、俺が襲われたことは伏せておく。

 そうしているうちに、いつの間にか賢者の口ゲンカも収まっていたようで、シーナさんが俺たちに向かって手を差し出してきた。


「よし。ひと段落したみたいだし戻ろうか、エィネも外で待ってるしね」


 こうして俺は、賢者の試練をなんとか乗り越えたのだった。





 * * * * * * * * * *





 ノースファルムより北西に三キロ地点の森。

 グレィさんがいる岩山のふもとの森で、私は渦の経過を見ています。

 他の三か所も、クラウディア卿直轄の兵が交代で二十四時間体制で監視を続けていました。

 時刻は正午。

 そろそろ定期報告の……。


 ――ヴルルルル。


「!」


 噂をすればというものでしょうか。

 ラメール拍から連絡用にとお預かりしている【念話テレパシー】のカードが、胸ポケットで振動しました。

 いつもは私の方からかけていたのですが、わざわざ向こうから連絡とは、何か非常事態でもあったのでしょうか?

 視線は黒い渦に向けたまま、急ぎカードをポケットから取り出します。


「はい、ミァです。丁度定時連絡をと思っていましたが……ラメール拍の方からご連絡とは、何か動きがあったのでしょうか」

「ム。ああ、そうか。そんな時間だったね……ボクの方は急ぎじゃないから、先に聞こう」

「承知しました。では――」


 ざわ――――。


「!!」

「ム? ミァ君、どうかしたのかい?」


 異常なし……のハズでした。

 その旨を伝えようとした直後、渦の方から何か嫌な気配を感じ取ったのです。

 これはそう、渦の奥深くから、何者かに見られているかのような感覚。


「たった今、渦の方から嫌な気配がしまして……もしかしたら、気が付かれたかもしれません。奥に潜む〝幻獣〟に」

「なんだって!?」


 この直後、私は一瞬にして肥大化した渦の中に、為す術もなく取り込まれてしまったのです。

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