5:35「賢者の碑」

 開いた口がふさがらない。

 いくら何でもこんなカンニング紛いの行為、あっさりOKしてくれるなんて思いもしないじゃん?

 いやまあ、自分で言ったんだけどさ。

 にしても!


「い、いいんですか?」

「なんだい、自分で言っておいて」

「それはそうなんですけど……」

「あらあら」


 いいって言うならいいのかもしれないけれど、やっぱこう……なんか後ろめたい。

 手段は選んでいられないと言えばその通りでもあるんだけども。


「時にはそういうずる賢さも必要だってことさ。もちろん正規の回答をすることも大事だけどね。なんでもアリってのは、裏を返せば不正をしろと言ってるようなもんさ、恥じることは無いよ」

「な、なるほど?」


 なんだかいいように言いくるめられてしまったような気がしないでもないが、それならそれで今はヨシとしておこう。

 シーナさんが、錫杖をシャンシャンと鳴らしながら俺たちの立つ石碑の前まで足を運んでくる。

 そのまま俺と母さんの間に割って入ると、杖を持つ右手を胸の前で構え、俺たちへこう言った。


「アタシと同じように杖を構えな。そして意識を集中させ、感じ取りなさい――この場にいる無数のヒント達を」

「え?」


 無数のヒント……〝達〟?

 シーナさんが一体何を言っているのか、俺も母さんも理解できていない。

 しかし百聞は一見に如かず。ものは試しと、シーナさんの言う通り杖を精製し、その手を胸の前で構える。

 意識を集中というのは、杖に集中すると言う事でいいのだろうか。


「…………!」

「来たね」


 杖に意識を集中し始めると、異変はすぐ目に見える形でやってきた。

 花の中や木の葉の隙間、そして祠の外から次々と……俺と母さんの身体の周りに、これでもかというほどの無数の精霊たちが集まってきたのだ。

 先程までは一切存在を感知できたなかった精霊たちがわんさかと、まるで体が光って見えるほどに。

 そしてその精霊たちは、ひとつひとつが違うこと――違う単語を、俺に語り掛けているようだった。


 無数の精霊たち全てが違うことを何度も何度も繰り返し頭に語り掛けてくる。

 次第にそれは酷いノイズとなって、痛みを伴うものへと変わっていく。


「ちょっ、シーナさん何これ、頭いたッ――!」

「うぐ、エルちゃん……大丈、夫」

「我慢しな。ひたすら杖に意識を向けるんだ。痛みはじき収まる――そしたら答えが全部、そこに転がってるハズさ」


 凄まじいほどの音の爆弾は、それからおよそ三分間にわたって鳴り続けた。

 俺と母さんはその間、ただひたすらに杖のみに意識を向けていたが、一分を越えたころには頬に涙が伝い、二分を越えたころには一瞬意識が飛びかけた。

 それでもとにかく杖のみに意識を向ける。そうでもしないと頭にかかる負担に耐えいきれず、すぐに参ってしまうから。

 シーナさんが我慢しなといったその時から、精霊が俺たちに何をしようとしていたのかが分かったから。


 所謂一夜漬けのようなものだ。

 無数の精霊が文字の塊となって、無理やり一つの言語を押し込もうとしてきていたのだ。


「痛みは治まったかい」

「ハァ……ハァ……う、うん」

「じゃあ、もう読めるね」


 先ほど精霊たちに無理やり押し込まされた言語が、まさに石碑に書かれたそれと一致していた。

 石碑に書かれた文字をあらためてみてみると、先ほどは何故読めなかったのかが不思議なほどすらすら読み解くことが……あれ、何か違和感があるぞ。 


「これ、ただの文字じゃあない?」

「魔法陣……かしら」

「その通りじゃ」


 後ろで待機していたおじいさんがそう口にしながら、俺たちの元へ歩み寄ってくる。


「全く、無茶をしおる……最悪死ぬところじゃったぞ」

「はっ!?」

「あ、あらあら……」


 いや、確かにかなりきつかったんだけど……どゆこと!?

 シーナさん?????


「イヤーしょうがないじゃん? 答え教えろって言われてもただ教えるだけじゃ詰まんないし、そのうち『精霊言語』は覚えないといけないからさあ。だったらもう詰め込んじゃえと」

「阿呆! それで死んだら元も子もなかろう……こやつらは精神値が高かった分なんとかなったが。本来ならば一つ一つ精霊の力を借りてだな……」

「ハイハイ、ジジイの話は長くなるから、次進めよ?」

「なんじゃとババア!」


 俺と母さんをそっちのけにして、目の前で口喧嘩が始まってしまった。

 なんでもこの試練は、本来なら石碑に書かれている文字のひとつひとつを該当する精霊から聞き出し、碑文の『精霊言語』を理解しながら魔法陣を読み取っていくという大層地味な物であった。


 この『精霊言語』は賢者が精霊を使役、管理するために生み出されたものらしく、またこれによって組まれた魔法は精霊の力を通常以上に引き出す事ができるのだという。

 しかしその分言語自体も複雑なもので、完全にマスターするためには百年の時を要するのだとかなんとか。

 そんなものを一気に、それも三分ですべて押し込んでしまおうと言うのだから、脳への負担は計り知れない。


 ――と、ここまでが目の前で繰り広げられた口喧嘩の内容である。


「じいさん、ひとつ忘れてるけどここはアンタの中だよ? アンタの加護があるうちは死にはしないって」

「そういう問題じゃなかろう! 体は死なずとも、精神的ダメージは癒せないんじゃよ!」

「あのー……二人とも」

「「なんじゃ!!」」

「なんじゃって、シーナさんも素に戻ってるし……結果的に無事だったわけですから、そろそろ先に進めてもいいですか?」

「うんうん」


 完全に本題を忘れていたらしい二人に一言釘をさしておく。

 一刻を争うと言っているときに、過ぎたことで言い争われては適わない。


「ごほん――ごめんごめん。じゃあ、魔法陣に書かれてることを口に出しながら、石碑に魔力を送り込むんだ」

「あ、はい」

「わかったわ」


 石碑の魔法陣は、全てが文字で形成されている珍しい形だ。

 その一つ一つに確かな意味があり、噛んじゃいけないと思うと少し緊張する。

 大きく深呼吸をした後、杖の先端を石碑の方へ向け、魔力を練り上げた。


「「我は汝らとともにあり。また汝らも我とともにあり。悠久の世を往き、永劫なる繁栄を見守らんとここに誓う者なり」」


 俺と母さん。二つの声がぴったりと重なり、祠の中に高く響き渡る。

 すると同時に、魔力を蓄積した杖が真っ白な光を帯び、杖そのものが魔力の塊となって石碑に吸収されていく。

 ――が、ただそれだけで、俺や母さんの身体に何か異変が起こったような感じはしない。


「エルちゃん、何か変わった?」

「いや……」

「第一の試練。賢者の碑の解読は、樹霊の儀で行った精霊との契約の上書き。肉体的なところはそこまで大きく変わってないよ。本格的なパワーアップは次からさ」

「なるほど」


 シーナさんは言葉の後、おじいさんへ目配せをして一歩引きさがる。

 こくりと頷いたおじいさんが指を鳴らすと、先までの祠が一瞬にして消え、元の宇宙のような空間に逆戻りした。

 次にシーナさんが錫杖を鳴らすと、今度は真っ黒な床下から光の塊が二つ飛び出し、何やら形を変えていく。


 ぐねぐねと粘土をこねるように不規則な伸び縮みを繰り返す光は、次第にその姿を人型に変え――見覚えのある二つのシルエットが出来上がった。

 真っ白で似通った形をした二つのシルエットは、細部までよくわからない。だがしかし間違いない。

 長く膝のあたりまで伸びた髪の毛に、ローブ型の衣装……これは、俺と母さんのものだ。

 そして次の瞬間――


「――ッ!?」

「エルちゃん!?」


 俺の懐まで瞬時に入り込んできた光の人形の右腕が、俺の胸を貫通していた。


「さあ、第二の試練だ――己の〝負〟に打ち勝て」

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