5:25「『俺』が『私』になるために」

「は……? 何、言って」

「ああ、すまんがオレたちもわかんねえ。本当に突然だったんだ……まだオレは起きた直後だった。突然地震が起こったかと思ったら、次の瞬間にはウチが崩れて……そしたらドラゴンが現れて、飛んでったんだ。オレはそのまま瓦礫に埋もれて良くは見えなかったが、あの黒い鱗はグレィで間違いねえ」

「ええ。わたしとミー君は一緒にご飯の支度をしていたから咄嗟にバリアを張れたのだけれど、きょー君とファル君は下敷きに……」


 親父と母さんが何か言っているが、どちらの話も俺の耳には全然入ってこない。

 聞こえてくるのはグレィという名詞だけ。


 グレィが突然竜化して、どこかへ行ってしまった。


 その一言だけが頭の中で暴れ続ける。

 俺は朝食の後、グレィに気持ちを告白しようと思っていた。

 もう絶対離れない、ずっと一緒にいるんだって!

 なのに……それなのに!


「キズはちっとあるがオレらは大丈夫だ。そんなヤワな鍛え方はしてねえからな。でも本当焦ったぜ……どんだけ探してもお前だけ出てこねえんだもんよ。また攫われちまったんじゃねえかと――うおっ」

「そんなことよりグレィはどっちに飛んで行ったの!?」


 親父の両腕に掴みかかり、俺はこれでもかという大声で叫んだ。

 グレィがどこか遠いところに行ってしまう。

 そう思うだけで胸が張り裂けてしまいそうで、居ても立っても居られない。


「お、おい恵月! 気持ちは分かるが一回冷静に――」

「どっち!!!」


 眉間にしわが寄り、大きな目が細く吊り上がる。

 気持ちが分かるなどと言って諭そうとする言葉に腹が立って仕方がなかった。

 それに冷静になれだと?

 今の俺にとってグレィはかけがえのない、何よりも大事な存在だ。

 それがいきなりどこかへ行ったと伝えられて、冷静でいろだって!?

 できるわけがないじゃないか!


 親父を睨みつける目、そして腕に力が入り、キリキリと歯を食いしばらせる。

 すると親父は困り顔を一転、真剣に向かい合う時のソレへと変え、俺を睨み返してくる。

 突然強くなった眼力に若干怯みかけてしまったが、俺はなおもしかめ面のまま親父を見上げた。


「……知ってどうするつもりだ」

「決まってる!」

「追いかけるのか?」

「そうだよ!!」

「追いかけてどうする」

「連れ帰る!」

「……本気で言ってるのか」

「冗談に聞こえるのかよ!!」

「恵月、もう一度言う。冷――」

「いいから早く!!!」


 ――パァン!


「っ――!」


 突然、頬に強烈な痛みが走るとともに視界が歪んだ。

 これは……ぶたれた……?

 今一度親父へ顔を向けてみると、先ほどの真剣な表情はそのまま……いや、若干だが目尻が震え、下唇を噛みしめている。


「恵月、もう一度言うぞ。冷静になるんだ」

「エルちゃん……」


 左の頬が熱い。

 まるで頭に登っていた熱が、全部そちらへと吸収されていくかのようだった。


 この世界に来てから頭を下げてばかりいた親父が、初めて俺の頬を叩いた。

 勿論、これが本当に初めてだったわけじゃない。あくまでこの世界に来てからだ。

 グレィのことほどではないが……衝撃的な事実を前にして、頭がリセットされたような感覚に見舞われた。


 もちろん完全に冷め切ったわけじゃないが……焦りすぎたと、少し冷静になることができた。


「頭、冷えたか?」

「うん……ごめん、なさい」

「わかればいい。オレもちょっと強くたたきすぎた。すまん」


 うん……めっちゃヒリヒリする。

 涙出てきそう。


「それで、そのー」

「?」

「お前、なんでまたエルナの姿になってんだ?」

「ああ……そうだったね」


 グレィのことで頭がいっぱいになって忘れかけていた。

 俺は先に黙って出ていたことを一言謝ってから、この体を選んだ経緯をかいつまんで皆に報告した。


 ラメールの告白を断ったあの夜から、本当に在りたい自分の姿が分からなくなり、ずっと悩んでいたこと。

 恵月の体を取り戻してからも、エルナを捨てきれずに頭を抱えていたこと。

 そして昨日グレィと話をして、ようやく答えが出せたこと。

 その答えが、エルナとして生きることだということ。


 グレィが好きだってことは、流石に恥ずかしいからまだ言えない。

 ……それどころじゃないし。


「成程な……それで、グレィに惚れちまったわけか」

「ひゃえっ!?」

「あら、エルちゃん可愛いっ♡」


 ばっ……!

 バレてるううううぅぅぅぅ!?

 は!?

 うそ、何で!?

 てかその反応、まさか母さんもか!?


 い、一回落ち着け!

 とっとりあえず今はマズい、なんとか誤魔化さないと!


「なっっっななななななな何を言って」

「いや、話聞いてればわかるだろ。なあファル」

「はい……」

「この前グレィが生き返った時とか、泣きながら「いかないで……」つって抱き着いてたんだぞ」

「えっ!? 義父さん、それは一体――」

「えるにゃん、めろめろー」

「……私は今物凄く嫉妬しています。グレィさんに」

「ミー君落ち着いて? 殺気が駄々洩れよぉ」


 あぁ、ダメだこれ。

 そう悟った瞬間、俺はその場にしゃがみ込んだ。

 しゃがみ込んで、両手で顔を覆った。

 つーか親父!

 ファルに何話してやがるんだ!

 あの時のことはやめてくれよぉお!!

 なんなんだよこの羞恥プレイ!

 今までで一番恥ずかしいぞ!


 ああ、穴があったら入りたい……あったな、穴。瓦礫の隙間だけど。

 入っちゃおうかな。

 ……ダメだ、速攻で引き抜かれそう。


「しっかし、あの恵月がな……」

「ええ……すっかり恋する女の子ねぇ」


 俺が顔を真っ赤にして蹲っている中、昔の俺を知っている二人がそっと呟いた。

 さっきまで楽しそうに俺とグレィが抱き合っていた時のことを話していたくせに、その一言だけは全然雰囲気が違うというか、妙に寂しげに聞こえる。

 母さんの声も感慨深そうな感じではあったが、どことなく哀愁漂うものであったような気がした。


 でもそれだけで、決して否定的な言葉が出てくることはない。

 このことを話さなかったのは、それどころではないことの他にもう一つ……反対されるだろうと思っていたからというのもあった。

 グレィはドラゴンで、俺は元々男。

 思いが通じ合えども、その壁は大きい……両親からしてみても、息子だったはずの俺が男に、それも一度殺されかけた相手に惚れたとなれば、いくら親睦を深めてきたとはいえ何か言われると思っていた。


 俺は勇気を出してゆっくり顔を上げると、その疑問を二人へ投げかけてみることにした。


「反対……しないの?」

「ん? 何でだ?」

「だって俺、元々男だし……変っていうか」

「何言ってんだ」

「え?」


 親父の返しに反応して、顔が自然とそちらへ向かおうとした。

 が、同じくして俺の頭の上に武骨な手のひらが乗せられ、俺の華奢な首は少しばかり降下し、顔は再び俯かされる。

 その後に改めて親父の方へ頭を上げてみると、親父は穏やかな表情で俺を見ていた。


「愛に理由は要らねえって、グレィも言ってたんだろ! オレはそのセリフ好きだぜ。しかも両想いだろ? 結構なことじゃねえか。父さんは是が非でもお前らくっつけたくなったぞ!」

「ふえぇっ!?」

「あらあらきょー君、無理やりはダメよ。でも、お母さんも応援してるから! エルちゃんが自分で選んだ相手なら、お母さんたちに反対する理由なんてないのよ」

「僕も応援します! きっとうまくいきますよ!!」

「わ、私も応援します……できます」

「えるぐれ ラヴラヴおうえん?」

「みんな……」


 思いもしなかった応援の言葉に当てられてか、顔が真っ赤になる程に昇っていた熱が目元へ集中してくる。

 ミァさんは嫉妬のオーラが隠れ切ってないし、ののに至ってはなんか変な言い方しているものの、それでも嬉しくて涙が出そうだった。


「ああ。みんなで応援しようぜ! だから恵月、一人で突っ走ろうとすんな」

「親父……」

「グレィはもう家を破壊して勝手にどこかに行くようなヤツじゃねえ。それは一緒に住んでたオレたちも良く知ってる。これにはきっと何か理由があるはずだ。まずはそいつを突きとめる。……グレィは家族だ。絶対に取り戻すぞ――オレら全員で。な!!」

「「おぉー!!」」

「っ……うん」


 崩れた屋敷の前に、皆の決意の籠もった叫びが響き渡る。

 俺は大きな声を出したら今にも泣いてしまいそうで、小さな返事と共に首を縦にふった。


 こうして、『恵月おれ』としての最後の戦いが幕を開けた。

 グレィを取り戻して、この気持ちを告白する。

 その先にある『エルナわたし』の笑顔を守るため。

 『俺』が『私』になるための、一世一代の大仕事が。

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