5:24「急転」
「んじゃ、目瞑っててねぇ」
「え? こ、こうか?」
戻してほしいと言って早々、メメローナは俺にそう言った。
言われた通り目を瞑ると、左胸の辺りに何かが当てられる感覚が五つ……これはメメローナの手の指だろうか。
その感触がぐるんと、時計回りに半回転するように動いていく。
暗闇の中で胸の辺りにそのような感覚を覚えるのは中々にむず痒くて不快な物であったが、半回転した後に指が離れた直後、それどころではない猛烈な違和感が全身を襲って来た。
でもこの感覚、微かにだが覚えがある。
確かそう……この世界に転生するとき。このボロ役場を出る時に襲ってきたあの不快感。
そうと解った瞬間に足に出来る限り力を入れ、体が倒れるのを防――ごうとしたのだが、失敗して方膝をついてしまった。
というのも、胸部へ降りかかってきた重量感に耐えられなかったのだ。
そしてその重量感は、数日しか経っていないながらにもとても懐かしく、非常に肩によろしくないものだった。
「オッケー。もう開けていいよぉ」
言われるよりちょっと早く瞼が上がった。
この胸の感触を受けて、思わず明いてしまったのだ。
明るくなった視界の先で出迎えてくれたのは、思った通りの……足元が見えなくなるほどの深い谷間だった。
頭も重く、ちらちらとライムグリーンの見慣れた線も見える。
どうやら体の変換は無事に成功したらしい。
らしいが……。
「心構えもへったくれもない……!」
「あれ? できてなかったのかい?」
「……いーや」
心構え自体はとっくにできているものの、やっぱりね……お別れくらいしたかったんだよ。
ナニにとは言わないが。ナニにとは。
まあ、もうなくなってしまったモノは仕方がない。
それは水に流そう。
まだ別の問題があるのだ。
「ぬう…………」
「わっつ? どうかしたのかい?」
身長もまたニ十センチほど低くなっただろうから、着ている服も(胸部を除き)ダボダボだ。
ズボンは辛うじてヒップに引っ掛かかりずれ落ちずにいるものの、いつまでもこのままというわけにはいかない。
ちゃんと着替えを一式入れた布袋も持ってきたのだが……。
「更衣室、ない?」
「ム? ここじゃダメなのかい」
真顔で返ってきた答えに、思わず顎を落としてしまった。
「一週間前だってその場で――」
「そそそそういうわけにいくかっ!!」
「ふむ。オーケイ、ちょっと待っててねぇ」
待ってろと言い一度部屋の外へ出て行くメメローナ。
男の着替えと女の着替えを一緒にしてもらっては困る。
そもそもあの時は完全に女装だったわけで、スカートまで穿いてたわけで。
男の前で堂々と着替える女など、よほど図太いか痴女でもない限り……いや、子供たちの前でなら別に……。
そう考えるとメメローナも見た目は少年……いやダメだ。あの人見た目に反して幾つなのかわかったもんじゃない。
ブツブツとそんなことを頭の中でつぶやいているうちに、部屋のドアが再び開けられ、できた隙間からメメローナがひょこりと顔を出してきた。
「エルナさん、サラしかいないしそこの廊下でも――」
「殴り呪いますよ?」
いや本気で呪ったろか。
まさかここまでデリカシーの欠片もない発言をされるとは、戻って早々苦労させられる。
つーかサラしかいないしってさ、まさかとは思うけどサラさんにも似たようなことさせたりしてないよな?
いくら人がいないからって廊下は無いだろ、廊下は。
……と言っても、この様子だと他になさそうだしなあ。
「……はぁ。しょーがない、それでいいんで絶対見ないでくださいよ」
「? うん」
「絶対ですからね!!」
「オーケーオーケー」
あまりに無頓着な反応を示すメメローナに再度の忠告を入れ、俺はずれ落ちそうなズボンを抑えて廊下へ出る。
そして逐一扉が開いていないかを確認しながらも着替えを済ませた俺は、最後に一応お礼の言葉を残し、ボロ役場を後にしたのだった。
* * * * * * * * * *
「はぁ」
「お客さん、どうかしたんですかい? ため息なんかついて」
「まあ色々と」
帰りの馬車の中。
先程の気疲れと、これからの事を考えていたらため息が零れてしまった。
というのも、驚かせようと家を飛び出てきたのはいいが、いざここまで来るとちょっと怖いっていうか……。
せっかく元の身体に戻れたのに、急にこんなことしてよかったのかなと今になって思っていたところなのだ。
やっぱり一度話しておいた方が良かったんじゃないかと……まあ、もう遅いのだけれど。
「何があったのか知りやせんが、あまり気を落とさないでくだせ。折角の美人さんが台無しですぜ」
「びじっ!? ……あぁ! いえ、はい。ありがとうございます」
美人という言葉にびっくりしてしまった。
それになんか面と向かってそう言われるとちょっと恥ずかしい。
「ところであっしはファメールにはあまり来ないんですが、何だか町の中騒がしくねえですかい?」
「え?」
ふとそう呟く御者さんに言われて、俺もそちらの方へ気を向けてみる。
すると確かに、いつもより道行く人の表情が険しい様な気がした。
話声まではっきりと聞き取ることはできなかったが、彼ら噂話をしているらしき人々の多くが、ある一点を見る事に気が付いた。
それは町外れの林道……俺たちの住む領主の屋敷がある、その方向。
「……御者さん、できるだけ急いでもらえますか」
「がってん!」
嫌な予感がしてならなかった。
俺の声真剣な声を聴いて御者さんも何かを察したのか、有無を言わずに馬を飛ばしてくれた。
速くなった馬の足音と共に、俺の心拍数も上がっていく。
そして――。
「なっ!?」
「い、一体どういうことなんですけぇ、こりゃあ……」
そこにあったのは、右半分が瓦礫と化した
見るも無残な光景に、一瞬何が起こっているのか理解できなかった。
「御者さん、これお代です! ありがとうございました!」
「えっ!? ちょっとお客さんアブねえですぜ!?」
御者さんが俺を止めようと声を上げるが、こんなものを見せられてじっとしていられるわけがない。
馬車を飛び降りた俺は、まっすぐ瓦礫の山へ向かって足を走らせた。
一週間で体感覚がまたズレたせいか途中で躓きかけてしまったが、それどころではない。
みんなは無事なのか!?
その一心で庭を駆け抜ける。
だがその心配は、すぐに解消することができた。
瓦礫のすぐそばには、俺を抜いたオミワラ家全員の姿がそこにあったからだ。
親父とファルは瓦礫をどけて何か探している様子。
母さんとミァさん、それからののはそれを瓦礫の外から見守っていた。
何が起こったのかとますます足を急かさせる……が。
すぐそばまで来たところで、俺は足を止めてしまった。
いや、止めざるおえなかった。
「つー君……お願い、出てきて……」
「恵月! 恵月!! くそっ! なんでだよぉ!! 何で見つからねえ!!!」
「恵月様……」
「恵月さん……」
「えるにゃん……」
瓦礫の山から何を探してるのかと思えば……俺だった。
まあ、そりゃいなければそうなるだろうけど……気まずいな?
心配してくれてるのはすっごい嬉しいんだけどさ。
嬉しいんだけどさあ!!
めっさ恥ずかしい。
だがだからといって、こんなところでうじうじしてても仕方がない。
叫びながら瓦礫をどかす親父の手は血だらけだし、ファルは崩壊に巻き込まれたのかあちこちに傷が見て取れる。
祈る母さんは涙まで流しているのだ。
俺は意を決して、大きく息を吸い込んだ。
「みんなッ!!!」
「「――――!?」」
母さんたちの視線が後ろ――俺に向かって集中する。
その目はみな一同にして、驚愕と困惑を色濃く示していた。
「は……? お前、恵月……?」
「え……え……? エル、ちゃん……?」
「な、何でそっちから……しかも、その姿――って、今はそれどころじゃねえ! 大変だ!」
「グレィが急に竜化して、どっか飛んでいっちまった!!」
「……は?」
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