5:23「笑っているために」★
「ちょっといいかい……話がある」
「え? ……い、いいけど」
俺の返事を聞き、ホッと息を漏らすグレィ。
その様子を見て少しばかり胸が痛んだ。
というのも、この数日間、俺はグレィを避けて過ごしていたからだ。
ほとんど閉じこもっていて避けるも何もない気はするが、必要以上に話をするだとかは一切なかった。
そのうえで俺の様子を見ていれば、話しかけにくいのも無理はないだろう。
俺は右手でもって腰掛けているベッドを軽くたたき、隣に座る様にしむける。
グレィは少し戸惑う様を見せながらも、俺の顔色をうかがいながら腰掛けた。
「で、話って?」
「あっ あ、ああ……その、大丈夫……か?」
「……大丈夫に見える?」
「っ――すまない」
「いや、ゴメン。こっちこそ意地悪だった」
きっと言いたいことはそれじゃない。
分かっていながらもこういった言葉が出てきてしまうのは、心に余裕がない証だろう。
すまないと顔を俯かせるグレィを見て、さらに胸の内がチクリと痛む。
別に怒っているわけではないが、これではそう取られてしまっても仕方がない。
訂正をいれはしたものの、空気が場を重くしてしまうことは必然だった。
「「…………」」
気まずい……ひたすらに気まずい。
数日前まであんなに引っ付いていたにもかかわらず、今は顔を合わせることすらもままならない。
というかそれを思い出すと余計に話しかけづらい。
夏場の熱気も相まって頭が沸騰しそうになる。外から聞こえてくるセミの音が、さらにそれを助長させていた。
そんな心の内は穏やかではない静寂が数分続き……。
「その……恵月」
「!」
先に口を開いたのはグレィの方だった。
急な名前呼びに、俺は思わず横を振り向いてしまう。
グレィを執事に迎えるとき確かに呼び捨てでいいとは言ったが……流石にびっくりした。てかグレィさん、ちょっと顔赤くないですか。
「な、何?」
「我は、その……」
先ほどにもましてグレィの顔が赤く熟していく。
熱中症で倒れるんじゃないか?
ホントにトマトみたいに真っ赤になっていってるぞ……一体何を言うつもりだ?
「わ……我は、恵月……お嬢のことを、心底愛していた」
「ヒョッ!?」
へっ変な声……つうか音でた!
何を言い出すかと思えば、今になってそれを言うのか!?
五日前。
ファルとグレィの話を聞いていた俺は、グレィが俺……エルナを好いていたこと自体は知ったいた。
あの時ファルに言われたことを気にして言いに来たと言う事なのだろうか?
でも……。
「え、えっとぉ……」
「そうなる……よな。すまない」
「いや、別に謝ることじゃないけど……グレィのその気持ちは呪いのせいでもあるわけでしょ?」
「呪いのせい、か。確かにな」
「……グレィ?」
俺の言葉に頷きながらも、何故かグレィは微笑んでいた。
依然顔は赤いままだったが、先までの気まずそうな雰囲気が一転、朝焼けのように明るく眩しい、しかし確かな優しさのある笑みを浮かべていた。
「確かに、この呪いが無ければお嬢に惚れる事も無かったかもしれない。でもこの呪いのおかげで、我は出会うことができた。大事なものを失わずに済んだ……姫様の命も、己の命も」
「! そうだ、レーラ姫は? ……って、もう遅いけどさ」
「ファル坊にも言ったがな……姫様は今でも尊敬している。だがそれは愛とは別の感情だ。これも、お嬢のおかげで気が付いたことだ」
(そっか……だから呪いを受けても変わらずに…)
「それもこれも、全部お嬢が我を呪ってくれたおかげだ。我は我を救ってくれたお嬢をこの世の誰よりも愛している。姿かたちが変わろうと……この思いを遂げられなかろうと、それは絶対に変わらない」
「例え始まりが偽りでも? ――あっ」
勝手に口が動いてしまった。
流石に偽りと言い切ってしまうのは不味かったと思い、咄嗟に何か言い訳を探そうと試みる。
しかしグレィは一切表情を変えることなく、しかし先よりもさらに優しい声色で返事を返してきた。
「愛に理由は要らない――関係ないさ。例え呪いのせいだろうと、種族が違おうと……愛していると思うなら、それがすべてだよ」
「…………」
愛に理由は要らない。
そう言っているときのグレィの顔は、今までのどんな時よりも格好よく見えた。
最高に優しくて、最高にカッコいい……目の前に正義のヒーローでも駆けつけてくれたかのような、安心感に溢れていた。
確かな芯が感じられる、そんな心からのセリフ。
そして、そのヒーローに俺は……。
「……俺からも一つ、いいかな」
「なんだい?」
「さっきの話聞いておいて変な質問だけどさ……グレィは、どっちの方がいいと思う」
「? どっち、とは」
「このままこの体でいるか……エルナの体に戻るか……」
最高にカッコいいヒーローに、これを聞かずにはいられなかった。
迷って迷って、それでも答えが出せない優柔不断な俺に、ヒーローが答えをくれるような気がしたからだ。
このヒーローならきっと俺が納得のできる答えまで導いてくれると、そう思ったからだ。
他力本願かもしれないが、もう余裕がない俺の心は、こうせずにはいられなかったのだ。
しかし――。
「それは、我が答えることはできないな」
「え?」
慈悲の無い答えに、背筋が凍るような感覚に襲われた。
「我がそれを選んでしまっては、君の意思を阻害してしまうだろう。だから我には答えられない。ただ――」
「!」
「――我は、笑っている君の隣に居たい」
「――――っ!!」
一瞬の間の後、ヒーローの口から放たれた一言。
そのセリフは、暗雲をものともせず、高く輝く太陽のような……気高くも優しい輝きを見せていた。
「ちゃんと答えられなくて、本当にすまない……でも、これが我の正直な思いだ。君ならきっと、悔いの無い答えを出せるさ」
「……謝ることないよ。ありがとう、グレィ」
「そ、そうか。すまな――と、謝るなだったか。ありがとう、時間を取らせたな。我は行くよ」
「あ……う、うん」
部屋を出て行くグレィを見送り、俺は再びベッドに倒れ込んだ。
そして先ほどの言葉にすがるように、天井へ向かって力なき右手を伸ばす。
「笑っている、俺の……」
悔いの無い……俺が心から笑っていられる答え。
「……エルナを、捨てたい」
俺の人生を狂わせた、あの時間を――。
あの時間さえなければ、こんなに悩む必要もなかった。
あの時間さえなければ、恐怖におびえる事もなかった。
あの時間さえなければ、魔法を覚える必要もなかった。
あの時間さえなければ、俺は自由に生きられた。
あの時間さえなければ、俺は……。
「俺は……」
俺は幸せになれたのかな。
「……いや」
あの時間があったから、俺は苦労を強いられた。
あの時間があったから、魔法が使えるようになった。
あの時間があったから、様々な災難に巻き込まれた。
あの時間があったから、新たな自分に気付くことができた。
あの時間があったから、俺は心を悩ませた。
あの時間があったから、俺は恋を知った。
あの時間があったから、俺はグレィと出会うことができた。
あの時間がなかったら……俺はグレィと出会えなかった。
彼女一人できたことのない俺が生まれ変わったところで、きっと平凡な人生を送っただけだ。
平凡で、何もない人生だったからこそ、一年にも満たないあのひと時が大きすぎる。
色々なことがありすぎた、あの時間が心を大きく揺れ動かしている。
「あれ……」
いつの間にか、目尻を涙が伝っていた。
あの時間――エルナであった数か月を思えば思うほど、涙があふれて止まらなかった。
拭っても拭っても、際限なしに涙が枕を濡らしていく。
明日を過ぎればもう戻れない。
それを思うと、更に涙が流れてきた。
「……あぁ、そうか」
俺は〝エルナ〟を捨てたい。
でもそれ以上に、エルナであった〝あの時間〟を捨てたくない。
苦しくても、楽しかったあの時間を、俺はもっと見ていたい。
エルナが見る先の未来を、俺はもっと知りたいんだ。
あの時間を否定したいのは、俺が平凡な一般人にすぎないから。
エルナ・レディレークという非凡なハーフエルフに、無意識のうちに嫉妬していたから。
エルナの続きを見たいと思いながらも、彼女の大きすぎる激流に飲まれて恵月が消えてしまうのを恐れたから。
だがそれでも……例え消えてしまったとしても。
彼女の一番近いところで、彼女の笑顔を見守りたい。
それが俺の――臣稿 恵月の心の本音。
「これが……『答え』か。は、ははは」
あれほど止まらなかった涙がぱたりと途絶えた。
思えば答えなど最初から分かっていたのかもしれない。
グレィへの気持ちに気が付くずっと前から、きっと俺はエルナを選んでいた。
でもそれを認められなくて、必死にもがいて、苦しんで、それでもまだ認めずに……この体を手に入れてからは、それが顕著に表れていた。
毎日体を動かしていたのも、俺は男だ、恵月なんだと言い張るための、分かりやすいアプローチ。
それゆえに少し心の奥を探られただけで瓦解して、どうしたらいいのか分からなくなる。
そうやって何度も何度も遠回りを繰り返して、ようやくここまでたどり着いたんだ。
「未練がないわけじゃない。でも、後悔はない。きっとこの先は――この先の未来なら、俺は〝心から笑っていられる〟」
――これが、俺の出した答えだ。
* * * * * * * * * *
翌日、早朝。
王都レイグラス、外れのボロ役場。
「ど、どうぞ……」
「ありがとう。朝早くゴメン、サラさん」
軽く謝罪の言葉を述べながら、俺は布袋を片手にメメローナの
朝一番早い馬車に乗って、俺はここへやってきた。
家の人間には誰一人として告げずに……というのも、待ちきれなかったからにすぎないのだが。
あとは言ってしまうとまた面倒なことになりそうな気がしたから。
朝食までに帰って、みんなを驚かしてやろうとかは絶対考えてない。……絶対。
「……ふぅ」
――コン、コン、コン。
深呼吸の後に、木製の扉をノックする。
そして――。
「……ウェルカムだよ、恵月君。思ったより遅かったね」
「皮肉か? ソレ」
「いーや、早急に戻ってくるか、ホントのギリギリまで来ないと思ってた!」
「はははは、そーかい」
不敵な笑みを浮かべるメメローナに、俺は軽く笑いながら返事を返した。
そこまで読まれていたことは少々癪に障る部分のあるが、今は関係のないことだ。
メメローナが片手に持つ本を閉じたところで、俺は早速その言葉を告げた。
「――俺を、エルナの身体に戻してほしい」
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