5:21「郷愁と知らせと――」
馬車を降り、少しばかりたどたどしい足取りで
この体感覚が微妙にズレる感じも懐かしい。
確か、ファルと初めて会った時……森のオーク夫婦に攫われた時でもあったか。
まさかあの時と真逆の体験を今になってすることになるとは、正直思いもしなかった。
入口の広間で俺を出迎えたのは、親父に母さん、ミァさんとファル……て、全員いるじゃないか。
どうやら今日はファルもレーラ姫に会いに行っていなかったらしい。
「お帰り。うまくいったみたいだな」
「お帰り~エルちゃ……じゃなかった、つー君!」
「ただいま。完全に馴染むまで一週間かかるらしいけど、とりあえずはね」
いつもなら真っ先に抱き着いてきそうな母さんが珍しく自重している。
いや、見る限り飛びつきたくてうずうずしているようなのだが、少し頬を赤らめて……遠慮してる?
そういえば転生する前は抱き着かれることなんかなかったんだっけ。
なんだろう。
前に戻っただけなのに、何もかもが不思議に感じてしまう。
抱き着かれ慣れてしまったせいか、これはこれで物足りない気も……じゃない!
何を考えとるんだ俺は! 相手は母親だぞ!?
「おぉ、そのお姿がお嬢様の本来のお姿なのですね」
「エルナさんは義母さん似でしたが、恵月さんは義父さん似なんですね」
「そこまで似てるかな……? それとミァさん、もうお嬢様じゃないから」
「おっとそうでした、ではこれからは坊ちゃんと」
「それはそれで子供っぽい……名前でいいよ」
「かしこまりました。恵月様」
「あ! 僕の時は引いてくれなかったのに、恵月さんはいいんですか!?」
「ファル坊ちゃんはー……幼い頃から知っているからでしょうか?」
「そんなぁ~」
ファルが項垂れる中、広間は軽い笑い声に包まれる。
その中には俺の声も混じっていたが、変わらない二人に内心ホッとしている面もあった。
何せファルとミァさんはエルナとしての俺しか知らない。
わかっていたとはいえ、姿かたちが完全に別人と化したのだ。それが原因で二人の俺に対する接し方まで変わってしまったら少し寂しいと思っていた。
「はっはっは――っと、そうだった。ちょっくら早いけど、飯にするぞ! 何せ今日はめでたい日だ!」
「めでたい……? 何かあったの?」
「あらあら、つー君が元の体に戻ったじゃない!」
「……それ、祝う程のことかな?」
「それだけじゃないけどな! 詳しいことは食堂でだ。パーッと行こうぜぇパーッと!」
「あー、う、うん?」
それだけじゃない?
一体何だろう?
家を出るときは何も聞いてなかった……ていうか普通だったし、出ている間に何かあったのだろうか。
明らかに特別な事があったというような雰囲気だったが……。
なんにせよ、行ってみればわかることか。
ここで考えても仕方がないと足を進めようとしたその時、グレィの様子が少々おかしいことに気が付いた。
見ると彼は頭痛でも起こしているかのように、片方の手で頭を抑えている。
「グレィ?」
「大丈夫だ。急ごう」
「本当に?」
「本当だ。先日の名残がまだ残ってるのだろう」
「ならいいけど……」
あれから十日。
それだけ経っても残ってるって、本当は危ないんじゃなかろうか……。
でもまあ、本人がいいって言うのなら。様子がおかしいと言っても、苦しそうにしているわけじゃなさそうだったし。
疑念は残るものの、今どうこう言っても話は進まないだろう。
皆を待たせるわけにもいかない。
俺はグレィの様子を確認しつつ、食堂の方へと向かって行った。
* * * * * * * * * *
「というわけでだな」
「うん」
「ファルとレーラの結婚が正式に決まったぞ!」
「う――おぉ!? おめでとう!?」
「それはめでたい。よかったじゃないかファル坊」
「へへへ……ありがとうございます。グレィさん、恵月さん」
席について早速伝えられた吉報に、ちょっとばかしオーバーリアクションになってしまった。
確かにそれはパーッと盛大に行きたくもなるというものだ。
というか俺の体なんかよりよっぽど大事な事じゃないかそれ!
「これもグレィさんのアドバイスのおかげです。本当にありがとうございます」
「ああ……だが大変なのはこれからだろう。しっかりな」
「はい」
アドバイス?
いつの間にそんなことを?
グレィとファルの仲が悪くないと言う事は知っていたが、まさかファルとレーラ姫の応援をしているとは思いもよらなかった。
だってグレィって元々……ねえ?
そう思ってみてみると、何やら二人とも複雑そうな顔をしてらっしゃる。
アドバイスまでしておいていざとなったら一緒になってそれって、なんか矛盾してない?
それとも何か。もっと別の理由があるとか……ていうか、なんかファルの視線が俺の方に向いてるような気がしなくもない。何故だ。
俺がそうして首をかしげると、ファルはハッとしたように視線を親父の方へ逸らした。
同時に複雑そうだった表情も明るいものに変わっていたが、そんなところを見せられては、俺が首を突っ込むことじゃないのかもしれないけれども、実際のところがどうなのか気になってしまう。
しかしそれからファルもグレィも変わったようなことは無く、クリスマスパーティに出されそうなの鳥の丸焼きをはじめ、ミァさんと母さんが腕を振るった料理が手に余るほどに食卓を彩っていく。
親父は王都から取り寄せた高級酒に酔いしれ、ミァさんと母さんは忙しそうにしながらも活き活きと身体を動かし、ファルはそんな二人を申し訳なさそうに見ながらも、親父と共にこれからの話で盛り上がっていた。
俺もエルナの時より胃袋が大きくなった分、腹いっぱいになるまで肉やら野菜やらを無差別に貪った。
グレィもなんか張り合うようにガツガツと……お前執事なんだから働く側じゃないのかよとか思ったりもしたが、母さんたちが活き活きしすぎていて、そこに割って入らせるのも悪いしと放っておいた。
そうしてあっという間に長テーブルいっぱいの料理を平らげると、俺は疲れていることを理由に部屋へと戻っていった。
「…………」
部屋の明かりをつけ、ベッドに寝転がり、見慣れた天井に問いかける。食べ過ぎたのか横になると少し腹痛を覚えたが、そんなことよりも気になって仕方がなかった。
グレィとファルはなぜあんな顔をしたのかと。
直接聞いてみるのが早いとは思うが、ファルの様子からして素直に教えてくれるとは思えない。
「俺に悟られたくないことなのかな……でもなんで」
何かしたかな、俺。
……思い当たる節が無い。
そもそもその辺は完全にノータッチだったし。つーか怖くて触れられない。
「うーん……」
「――本当に良かったんですか?」
「ん?」
そんな折、外……玄関の辺りだろうか。真剣な声色で誰かに問いかけるファルの声が聞こえてきた。
まだ寝静まるほどの時間ではないが、夜が更けてからしばらく経つ。
噂をすればなんとやら……噂じゃないけど。なんでまた外なんかに?
これはあからさまに怪しいと思った俺は、微かに聞こえてきたその声にそっと耳を傾けた。
「何が言いたい?」
「この声は……グレィもいるのか」
もしかしてアドバイスってのも、こんな感じで密かに話してたのかな。
「エルナさん……恵月さんが元の姿に戻れば、グレィさんの思いは」
「ああ、そのことか」
「……んん?」
え、何?
俺?
「我はお嬢と……と、もうお嬢じゃなかったな。坊……は嫌がるか。ともかく、我は共にいられればそれでいい」
「本当ですか? 本当にそれで後悔はないんですか?」
「……ファル坊、それ以上は」
「〝愛に理由はいらない〟んじゃなかったんですか!?」
「―――は!?」
ちょっと待て、それって……いや一旦落ち着け。
深呼吸だ深呼吸。
「エルナさんが元の姿に戻るから諦めるだなんて、そんなのあんまりです! 一度でも気持ちを伝えたんですか!?」
「それは伝えた。ずっとついて行くとはっきり――」
「それじゃあ執事としてじゃないですか! ハッキリと言葉にしたんですか? ちゃんと――〝愛している〟と!」
「そ、それは……」
「っ―――!!」
ファルの言葉に、グレィがたじろいでいることが見なくても分かった。
たぶんそれと同じくらい、俺も動揺している。
ファルが俺のことを見てたのって、そういう……グレィが思いを遂げられないことを気にしてってことだったのか?
で、でもグレィの場合その恋心は呪いからくるものであって、本当にそう思ってるかどうかは分からないし……でも……。
でもそれなら、俺にあんなことを言うだろうか。
命の限りついていくだなんて、例え意思を強制されていたとしても、早々自分から言えることじゃない……と思う。
じゃあ……。
「…………」
ドクン。ドクン。と、徐々に速さを増していく心臓の鼓動を抑えようとして、平坦になった左胸に手が添えられる。
それと同時に、この体に戻ってから肝心なところをまだ考えていなかったことにようやく気が付いた。
「俺は……」
俺は一体、どう在りたいのだろう。
まだ元に戻って一日もたっていないし、今答えを出すのは早計だと思う。
何より帰ってきて飯食っただけで、他のことを考える余裕もなかったわけで。
そういえばグレィに対しての感情は、少しだけ変わっていたような気もする。一緒に居たいことに変わりはない。が、恋愛という観点に置いてみると、そこには当てはまらないような気がした。
男に戻って、恋愛感情の対象も元に戻ったということなのだろう。
でも何か、どこか物足りない。
この体に戻る直前で気が付いてしまって、迷いが生じたせいなのだろうか。
現状を素直に喜べない自分が確かにいる。
初めてメメローナにこの話を持ち掛けられた時とは明らかに違う……ぽっかりと、心に大きな穴が開いてしまったような気がしてならなかった。
「は、ははは……一週間で出せるかな、これ……」
これから一週間。
その間に、俺はこの気持ちに決着をつけなければならない。
このまま恵月として生きるか。
エルナとして生きるか。
初めてこのことに悩んだ時とは違う。
グレィに対しての想いに気が付いた時点で、俺にとってエルナとしての人格は、もはや捨てきれないほど大きなものになってしまっている。
でもその一方で、それはまやかしだと、この世界に来たせいで作られたものなのだと、本来の
「どっちも俺だよ……選ぶなんてできるかよ……」
この時に出た声は、まるで泣いている時のように掠れ掠れで……胸が締め付けられるほどに痛く、感情的な声だった。
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