5:20「臣稿 恵月」
グレィの意識が戻ってから十日が過ぎた。
親父とののが宿へ戻った後、やはり体調や安全面を気にしてか馬車で帰ろうと言う事になった。
それから急遽そちらの手配を済ませ、屋敷に帰って来たのが昨日のこと。
行きに五日、竜仙水の精製~グレィが目覚めるまで二日、それから帰ってくるのに十日。
元々行き帰りだけで二十日かかる予定だったので、結果的に予定より一週間早く帰ってくることができたが……やはり相当疲れが来ていたのか、俺は帰るなり自室のベッドに突っ伏して、気が付けば朝になっていた。
寝ている最中に謎の抱擁感に包まれたり、まるで夜な夜なすすり泣く亡霊のごとく「エルちゃん……エルちゃん……」などと聞こえてきた気がするが、心当たりはひとつしかないし反応する元気もなかったので放っておいた。
目が覚めた後は、ミァさんに頼んで朝風呂。
その後に朝食を済ませ、そしてついに――。
「ウェルカムエルナさん! それからグラドーラン君……だっけ? 早かったねぇ」
「うん」
王都レイグラスの片隅。
俺はグレィを連れて、このメメローナのラボへとやって来た。
グレィだけを連れてきたのは、元に戻った姿を一番初めに見てほしかったから。……離れたくなかったというのもあるけど。
親父や母さんを連れてきても良かった(というか実際行きたいとごねてきた)が、そこは着替えを見られるみたいでなんか恥ずかしいとか言って誤魔化した。
グレィはいいのかよと反論もされたが、そこは執事だし、護衛ということで押し通して……割と勢いのままに馬車に乗り込んで、今ここに立っている。
まあ、なんか恥ずかしいというのは半分本当なのだが……。
「早速だけど、竜仙水はゲットできたかい?」
「ん! そだった。グレィ」
「ああ」
メメローナの催促に応え、竜仙水を差し出すようにグレィへ声をかける。
あれはグレィの血で作られたものだ。
自分で持ってるとそのことを思って切なくなってしまうからと思い、今までずっと持ってもらっていた。(もちろん理由は適当にはぐらかしたが)
メメローナはグレィから竜仙水が入った小ビンをを受け取ると、まじまじと深紅の水を眺めたり、小ビンを振って何か確かめてみたり、栓を抜いて匂いを嗅いだり……。
「なにやってんですか」
「ふむふむ……おっと! ソーリーソーリー。珍しいものを見るとついね。はじめようか」
「……お願いします」
メメローナが平謝りとしか思えない軽い謝罪を述べると、書物が散乱した室内の一画――そこに異質な存在感を醸し出している、真っ黒な四角柱へ手の平を添える。
以前ここに来た時にも見た光景。
メメローナが四角柱――棺桶に魔力を注ぐと、その中に保管されている、青い液体に浮かぶ俺の体が姿を現した。
「これが……お嬢の、真の姿……」
「うん」
目を見開くグレィの隣で、俺は小さく頷いた。
ゆらゆらと揺れる、肩の少し前まで伸びた黒に近い茶髪。
逞しいとは言えないが、年相応にがっしりとした肉体。
今の俺からは想像もつかないであろう男性の体を目にしたのだ。動揺するのも無理はない。
メメローナはグレィの視線など気にも留めず、黙々と作業を進めていく。
壁にびっしりと敷き詰められた本棚。その一画に立てかけてある梯子を手に取ると、棺桶に立てかけて上へと登っていった。
そして棺桶の上面に向かって落とすように、竜仙水の入った小ビンを傾ける。
どうやら棺桶は水槽のような構造になっているらしく、上面に落とされた深紅の雫はまっすぐに青い液体の中へと混ざっていった。
二滴、三滴、四滴……竜仙水が棺桶の中に入っていくたびに、俺の体を包んでいる液体が、何かの反応を示したかのように紅く染まっていく。
そうして小ビンが空になったころには、液体は完全に竜仙水のそれと同じ深紅の水へと変わり果てていた。
「よし! あとは心臓が動き出せば、準備完了だよ。少し時間があるから、注意事項でも話しておこうかぁ」
「注意事項? 今更?」
「前は話す前に帰しちゃったからねぇ」
「いや、それは……」
それはののに関する俺の追求をはぐらかそうとしたからでは……。
そう言ってやろうと思ったが、寸でのところで踏みとどまる。
どうせ戻ることは変わらないのだから、さっさと事を進めてしまった方がいい。
「……なんでもない、続けて」
「オーケイ! ミーが伝える注意事項は三つ。まず一つ目……これからユーにはこの恵月君のボディを〝吸収〟してもらうんだけどね。その後、ボディが完全に魂と馴染むまでに一週間かかるんだあ。だからユーが望むのであれば、一週間はエルナさんか恵月君か、身体を選択することも可能だねぇ。その時はミーのところに来てくれれば入れ替えてあげるよぉ」
「……!!」
初めの一週間以内なら身体を選択できる。
どう聞いた瞬間、無意識に口まわりの筋肉が上を向いていた。
所謂ニヤケ面……というやつなのだろうが、その実内心ではかなり安心していた。
エルナか、恵月か。本当はどちらでありたいのかという答えを出す機会が与えられたのだから。
一週間でその答えが出るかは分からないが、今の俺からしてみれば、その一週間の価値は計り知れない。
「? なんだか嬉しそうだね」
「え? い、いや……何でもない」
「そうかい? じゃあ二つ目。所謂ステータスってやつだけどねぇ、あれも体が変われば別のモノになるんだけど、特殊能力だけは魂に依存する。だから今グラドーラン君にかかっている呪いはそのままだから、グラドーラン君も肝に銘じておいてねぇ」
「ム……!」
俺に続いて、今度はグレィの顔がにやけていた。
呪われて嬉しいとか一体どんな変態さんだと内心ツッコミたくなってしまうが、俺は苦笑いに踏みとどまっておくことにした。
呪いがなければ、表面上グレィをウチにおいておく理由も無くなってしまう。一緒に居られることに歓喜してくれているのなら、それは俺としてもうれしい。
……とはいえそれでも呪いは呪いなので、素直に笑えないがゆえの苦笑いだ。
「ユーたち、なんだか変わってるねえ? ……まあいいや、
「あ……そっか……はい」
寿命……それは考えたことなかったな。
この体はエルフの血が色濃く流れている。ということは、少なくとも数百年は余裕で生きながらえることができるのだろう。
元の体に戻れば、最悪十分の一にまで寿命が縮まるということになってしまう。
延命措置というものにも興味はあるが、わざわざ言うということは、禁忌に触れるような、踏み込んではいけない領域の話になるのだろう。
そうなるとますますこの体が惜しいと思えてしまうが、長く生きられることが必ずしもいいとは限らない。
寿命が長く……それこそ数百数千の時を生きるとなれば、それだけ不幸も多くなる。得るものが多くなれど、失うものはもっと多くなる。
要はどちらの方が満足して死ねるかどうか。
量より質――これからの一週間でそれを見極めなければならないということだ。
ゴクリと、これから始まる一週間を思った俺の脳が唾を飲み込ませる。
それと同時に、俺の――恵月の体を覆っていた液体にも変化が現れた。
青から深紅に変わっていた液体が、今度はスーッと上から無色透明へと変貌していったのだ。
そして次の瞬間、遠目で見ても一目でわかる程に、液体の中の体が大きく痙攣してみせる。
ドクン! と、その鼓動が動き始めたのを証明して見せんとばかりに。
「準備、できたみたいだねぇ」
「…………ゴクリ」
俺の喉が再び唾をのむ。
「あっと、そう言えば大事なこと忘れてたっけ」
「え?」
さあこれからだというのに、メメローナがふとそんなことを口にして、指をパチンと鳴らしてやる。
するとどたばたと大きな音を立てながら部屋に入ってくる人物があった。
何かが入った布袋を抱えているサラさんだ。
「ん、そうソレ! デスクにでも置いといて」
「もう、メメローナ様は変なところで忘れ――ってギャー!!」
「!? どうかしました!?」
メメローナのデスクの前に来たサラさんがいきなり大声を上げ、持っている布で目を覆い隠した。
その視線の先は棺桶――全裸で浮かぶ俺の体だった。
「……生娘か」
「にゃんですって!?」
「あ……はははは」
ま、まあ……仕方ないか。これは。
そう言えば俺は見慣れていた……というのもあるが、自分の元の姿が目の前にあったことの感銘の方が大きかったため、あまり目にとめることもなかったのだ。
「びっ、びっくりしただけですっ! じゃあ確かに物は置いておきましたんで! 失礼しますよっ!」
「うん、センキューサラ」
サラさんはカクカクとぎこちない動きで布袋をデスクに奥と、逃げるかのように部屋を出て行ってしまった。
扉が勢いよく閉められると、布袋の結び目がひとりでに緩み、その中身を露わにした。先のサラさんの行動で袋の結び目が少し緩んでいたのだろう。
現れた中身……どうやらそれは、元に戻った俺後のに用意された着替えのようだった。
上に見えるのが男物のシャツであることからしてほぼ間違いない。下に黒い布があるが、これはズボンだろう。
今の今まで忘れていたというのが少々いただけないところではあるが……メメローナはそんなこと全く気にせずに話を進めた。
「じゃ、改めて始めようか。恵月君の心臓辺りに手を当てて」
「は、はい……なんか調子狂うなぁ」
いよいよかと緊張していたのが、サラさんの登場で一気に台無しになってしまった。
ここまで見越してのことだとしたら見事なもんだが……。
そんなことを思いつつも、言う通りに左胸のあたりのガラスへ右手を添える。
するとメメローナが隣に立ち、なにやらブツブツと聞き取れないほどの速さで呪文のようなものを唱え始めた。
それから数秒ほど経った頃、俺の体が……今動かしている体も、棺桶の中の体も。両方が突如として白く光りはじめ、次第に視界までも真っ白に歪んでいく。
そうしてさらに数秒後――視界が戻った時には、棺桶の中は液体をそのままに、何も入っていない空っぽの状態になっていた。
俺はそれを見て、自分の視線が少し高くなっていることに気が付く。
出していた右手は白く透き通った華奢な女の手――ではなく、年相応に肉付きのある、角ばった男の手になっていた。
あっと声を上げてみると、出てくる音は効きなれた鈴の音のようなものでなく、喉ぼとけを鳴らして発せられる、少しばかりドスの利いた……懐かしすぎる音。
隣に目を向けてみると、先ほどよりもニ十センチほど背が縮んで見えるメメローナが、笑顔を向けて立っていた。
「ゴングラッチュレイション! 無事に成功したよ、エルナさん――いや、
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