5:13「深紅の道標」
俺の目から逃げるように、親父の視線がよろよろと明後日の方角へ向いていく。
仕方なかったと言ってしまえばそこまでではあるものの、親父の駆けつけるタイミングがもう少し遅ければと思わずにはいられない。
「よせよせ、そなたの父は間違っておらん。あまり責め立てるものではないぞ」
「……わかってます」
「いやー……で、でも、スマンかった。ホントに」
いざ庇われると負い目を感じてしまったのか、親父が短く謝罪の言葉を述べた。
まあ、実際の所俺を助けるためにしたことだったわけだし、あの状況じゃあ仕方がないのは明白だったわけで。
謝られてしまっては、これ以上責め立てるようなことはできない。
なくなってしまった物はどうしようもないわけだし、話を進めなければ。
「だが父上、どうしてそれを持ってここへ? 貴重な物だというのに、それも在るもの全て持って来た意味とは」
進めなければと、そう思ったところで、グレィが先に話を切り出した。
竜仙水は効く限りでは本当に貴重な物。
いくらグレィがピンチに陥るかもしれないからと言って、それをあるだけ全部持って、しかも何の迷いもなく使い切ってしまっては当然の疑問だろう。
しかしグリーゲルさんは、グレィの言葉を聞くや否や口を大きくして笑いだした。
「なにを言うグラドーラン。息子とその大事な方以上に大切な物などあるものか! もしものことがあってからでは遅いのだ、このような時こそ出し惜しみをしている場合ではあるまい。あるだけでどうにかなってほっとしているくらいだ」
「……どうにかなってないですけどね」
「おっと、これは失礼したな」
とんでもない地獄耳だと、俺の呟きに返事を返してきたグリーゲルさんにギョッとしてしまう。
かなり小さな声で、それこそすぐ隣にいても辛うじて聞こえるかくらいの声量でつぶやいたはずなのだが、グリーゲルさんにはバッチリ聞こえてしまっていたらしい。
少し申し訳ないと視線を逸らしてみれば、グレィも若干苦笑いを浮かべていた。
……うん、小言には気をつけよう。
「それで父上、どうにかして手に入れる方法はないのだろうか。どうしても今必要な物なんだ」
「フム……製法を知らぬ訳ではない――が、それには」
どうやら、エルフの秘薬である賢者の雫とは違い、竜仙水の方は製造法がちゃんと受け継がれてはいるらしい。
だがグリーゲルさんは先程までと違い、明らかにその表情に暗く影を落としているようだった。
物が物だけに、作るのが一筋縄では行かないことは想像に難くない。
だがグリーゲルさんが見せる表情は、ただ作るのが難しいというだけではないように見える。
「何だ? 勿体ぶらずに教えてはくれまいか」
「……グラドーランよ。竜仙水が何故紅いかわかるか」
「?」
勿体ぶらずにと願うグレィに対し、グリーゲルさんは眉間にしわを寄せながら言う。
そして年季の入った拳を自身の左胸に当てて、覚悟を決めるかのように深呼吸を挟んだ後、その答えを口にした。
「あれはな、文字通り竜族の血の結晶。我々テ族の、王の家系の鮮血でのみ精製されるものなのだ。必要な量は、小ビン一本で成体一体分……一人の命を犠牲にして、やっと作られるものなのだよ」
「「!!!」」
竜族は部族ごとにミドルネームが定められているが、その中でも王族の家系とは、テ族のごく一部を刺すものだ。
つまりは今ここにいるグレィや、その父親であるグリーゲルさん。彼らの直接の血縁者でなければならないことを刺す。
しかも新鮮な血液でなければならないということは、最低でも死後ほぼ直後……それも無傷の状態でなければならないということ。
先の敵では、竜仙水を精製することはできない。
二人のどちらかの命を犠牲にしなければならないと知り、俺は頭の中が真っ白になりかけた。
だがここで、グリーゲルさんが空を仰ぎ――。
「だが外ならぬ我が子の頼みとあらば――!」
「ならよかった」
「……グレィ?」
覚悟を決めてと息子の頼みを聞こうとしたグリーゲルさんの前に一歩出て、グレィがにこりと微笑を見せていた。
そして――。
「我の血で作ってくれ」
「……!」
「グレィ!?」
「な!? 何と言っておるグラドーラン! 笑えぬ冗談はよせ!」
グレィの両肩を掴み、先までの覚悟を絶望にも似た表情でグリーゲルさんが声をあげた。
しかしグレィは依然として優し気な笑みを浮かべ、俺のことを一瞥したのちに、グリーゲルさんへと視線を戻す。
「冗談じゃないさ。お嬢、父上。その仕事、我なら請け負える」
「……! まさか」
「そうさ、我は死なない。そうだろう?」
請け負える……そう言える心当たりは一つしかない。
そして死なないという一言で、心当たりは確信に至った。
あの呪いの効果。
俺が死ぬことを許さなければ何度でもよみがえるという、正に呪いと言って違わないもの。
「どういうことなのだ?」
グリーゲルさんがグレィに問いかける。
これにグレィは、死なない理由を短く説明してみせた。
呪いのことに関してはエィネから聞いているからか、グリーゲルさんはあまり言葉を挟む様子はなく、複雑そうな顔をしながらも「そうか」と納得の意を示して見せる。
「でもグレィ! もう一回死んでるんだよ!? エィネが言ってた! 耐えきれなくなって壊れちゃうかもしれないって!」
壊れるというのがどういうことかはわからない。
身体に後遺症が残ったりするかもしれない。半身不随とか、一部が動かなくなるなんてことだってあるのかもしれない。
精神的な影響もあるのかもしれない。
脳にダメージがあったら、人格や記憶に大きな影響があるかもしれない。
狂ってしまって、まともな思考をすることができなくなってしまうかもしれない。
どうなるかも分からない。
それなのに、俺のために命までかけて欲しくない……この特別な気持ちの正体はまだわからないけれど、せめてちゃんとそれが分かるまでは、側にいて欲しい。
安易に一度死ねだなんて言えるはずがない。
「大丈夫さ」
思わず顔を伏せてしまった俺の頭の上に、グレィの大きな手がぽんと置かれた。
顔を上げてみると、グレィは変わらず俺に微笑みかけながら言ってくる。
「お嬢がいる限り、我は大丈夫だ」
「でも……!」
「戻りたいのだろう? だったら我にも、このくらい協力させてくれないか」
「その言葉は、ずるいよ……」
取り返しのつかないことになるかもしれないのに、それでもその覚悟の上で笑っているグレィの言葉を、俺は否定することができなかった。
そこまで言われてしまっては、断るのは失礼に値する。
それにここまで言うということは、もはや何を言っても無駄だろう。
俺は握りこぶしに嫌だという気持ちを必死で逃がし、小さく首を縦に振った。
「……本気、なのだな」
「ああ」
グリーゲルさんの最後の問いかけに、迷いなく肯定してみせるグレィ。
「十年前を思い出すな……あの時も、お前はそう言っておのが道を選んだ」
どこか寂しそうにグリーゲルさんが言うと、彼は懐から拳程度の大きさの、竜の顔が模られている鈴を取り出してみせる。
そして俺たち全員を一瞥すると、その中心に立ち胸の前あたりで鈴を構えた。
「ではこれより、みなを竜仙水を精製する神殿へと案内する。だがくれぐれも、そのことは内密にすると約束して欲しい」
おそらく取り出した鈴が、その神殿とやらに向かうためのアイテムなのだろう。
俺たち四人が頷き、グリーゲルさんがこれを確認した後……暗く狭い裏路地に、リンリンと涼しげな鈴の音が響き渡った。
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