5:12「やってしまいましたね」
「大丈夫か!? そなたがエルナだな!?」
「……だ……れ……?」
その男は、どこかグレィの面影を感じさせる和装のおじさんだった。
四十代とか、そのくらいの見た目だろうか?
長く伸びた髭が若干老いを感じさせるものの、それでも六十を超えているようには見えない。
「側近の目を盗んできてみれば何たることか……敵はもう倒したから、これを飲みなさい。毒ではないから安心するがよい」
そう言っておじさんが懐から取り出したのは、深紅に輝く液体が入った手のひらサイズの小ビン。
栓が抜かれたそれを、俺の口元へそっと持ってくる――その時。
キィン! と、かなり耳に響く音を立て、小ビンがおじさんの手から飛んでいく。
小ビンはそのまま中身をまき散らし、床に着地すると同時に割れてしまった。
どこからか、小ビンへめがけて小石が投げ込まれたらしい。
「何奴!」
「テメェ、人の娘に何飲ませようとしてやがる!」
怒りに満ちた声。
この声はそう、間違いなく――。
「お……やじ……」
「親父? すると彼の御仁が英雄の」
「恵月から離れやがれ!!」
親父が腰の下げた剣――かつて闇の王を屠った聖剣を抜き、おじさんに向けて襲い掛かる。
おじさんはこれを俺を抱いたままバックステップを踏んで避け、聖剣は血の気漂う空間を横なぎに振り切った。
「ご、誤解だ英雄よ! 我は助けに来ただけだ!」
「どの口が言ってやがる!!」
おじさんが親父に弁解をしようと試みるが、親父は全く耳を貸そうとしない。
辺りは死屍累々の上、駆けつけてみれば怪しげな男が俺を抱き何かを飲ませようとしている。
そんな場所に出くわせば誰だって怒るだろうし、首謀者だと思うのも無理はないだろう。
「三度は言わん。その子を離せ、そして大人しく斬られろ。クソ野郎」
「……はぁ、だから違うと言っておろうに」
聞き入れてはもらえない。
半ば諦めをも感じさせるため息の後、俺をグレィの隣へ降ろしたおじさんは、親父の前で両手を上げ、敵意が無いことを示して見せる。
「命乞いのつもりか」
「その様子だと、話も聞いてもらえそうにないのでな。斬りたいなら好きにするがいい。元をたどれば、我が犯した間違いのせいだ」
「…………」
おじさんの言葉に少しの迷いを見せる事も無く、親父は聖剣を構え直す。
……が。
親父はしばらくおじさんの目を見続けると、斬りつけることなく剣を降ろした。
「違うな」
「斬らんのか?」
「あんたの目は、女を辱めるのには清すぎる……だが、謝りはしねえぞ」
「それでよい」
「うぅ……おじさん?」
親父が剣を鞘に納め、おじさんがグレィと俺の元へしゃがみ込むと、回復してきたらしいののがよたよたと起き上がった。
しかし立ち上がろうとしたところで、地面の血に足を滑らせ、転びかけてしまう。
親父がこれを支え抱き上げると、おじさんの元へと歩み寄って来た。
「あのビンは回復薬か?」
「似たようなものだ。そなたの娘も相当疲弊しているが、グラドーランの方が重傷だ。すまぬが先に与えても良いな」
「ん……! あ、ああ」
親父に確認を取ったおじさんは、懐から二本目の小ビンを取りだし、グレィの口元へ運ぶ。
意識を失っているので半ば強引に押し込むようにして飲み込ませた。
ほどなくして、グレィの体が大きく跳ねるような痙攣を引き起こす。すると突き刺さっていた矢が、次々と皮膚に押し出されるようにして抜け落ちていく。
「す、すげぇ。見る見るうちに回復していきやがる」
親父が驚くのもつかの間。
全ての矢が抜けるとほぼ同時に、飛び起きるようにグレィの意識も覚醒した。
「うぐ……はっ! お嬢、無事か!?」
「あ……ぁ、ぐれ、ぃ……よか、った……」
「お嬢!!」
このまま放って置いたら、きっと死んでしまっていた。
そんな不安と恐怖から解放された俺は、動かない体で必死にグレィに寄り添おうとする。
それを察してか、隣にいることに気が付いた途端、グレィも俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。
「目覚めたか、グラドーランよ」
二人で感傷に浸っているところに水を差すかの如く。
おじさんがグレィへ向かって声をかける。
グレィは少しばかり不機嫌そうに顔をしかめると、首をその声の主に向けて動かした。
しかしその瞬間、不機嫌な顔は一瞬にして驚愕の色一色に豹変する。
「ち、父上!? 何故!?」
「……そうきたか」
「ぱぱ?」
驚愕の反面、納得がいったというような微妙な表情をする親父と、首をかしげながらおじさんを見るのの。
おじさんはそんな二人をちらりとだけ見ると、懐から三本目の小ビンを取り出してグレィに手渡した。
「それは後、先にエルナさんを回復させるぞ。グラドーラン」
「む……あ、ああ!」
グレィが小ビンを受け取ると、手早く栓を抜き俺の口元へ運んでくる。
されるがままに一口、また一口と口の中へ流し込んでいくと、体の底から力が沸いてくるような不思議な感覚に見舞われた。
それと同時に心臓の鼓動も速くなり、体全体に熱が走リ抜けていく。
一分ほどその状態が続いた。
息も少し荒く……体が熱くなると共に、先ほどの光景が脳裏を駆け抜けていった。
横たわる死体。あちらこちらに飛散する真っ赤な血。残り続けるその匂い。
それらを思い出し、今度は猛烈な吐き気が襲ってきた。
しかしそれからしばらく……体の調子が落ち着くまで、グレィはずっと俺を抱き、背中をさすり続けてくれた。
「……落ち着いたか、お嬢」
「う、うん。ごめん、ありがとう……もう大丈夫」
「そうか」
少し不安だったので、グレィに支えられながら立ち上がった。
体は先までと違い、嘘のように元気になっている。
まるで何もなかったかのようにさえ思えるほどに……しかし血濡れた衣服が、確かに起こった惨劇を物語っていた。
俺のブラウスも、血塗られた上に前がはだけ―――
「っ!!」
とっさに両腕で体を抱くようにして前を隠し、立ったそばからしゃがみ込んでしまう。
視線を上へ向けてみると、おじさんは目をそらしていたが、親父は目を見開いて、それはもうガン見といってもいいほどに俺に釘付けになっていた。
「…………」
「ふ! 不可抗力だ! そこは理解してくれよ!?」
「……………………」
「えるにゃん、おこ?」
「別に怒っては……て、あれ?」
親父のことはひとまず頭の片隅に置いておいて、それよりも視界に入ったことで気になったものがある。
もはや隠し通すには絶対的に無理があるほどに血で塗りたくられた床や壁が、きれいさっぱり元の状態へ戻っているのと、辺りに転がっていたはずの敵の死体達が、一体残らず消え去っていたのだ。
一体どういうことなのかと疑問に思ったところへ、俺の顔を見て察したらしいおじさんが口を開いた。
「ああ、死体なら我が山奥へと転送しておいたから安心するがいい。壁や地面は幻だが、しばらく目を欺くのには十分であろう」
「ほぇ……」
「流石、父上は仕事が早いな。お嬢はひとまずこれを」
「え、あ……ありがと」
流石と感心するグレィが、俺にタキシードを脱いで渡してきた。
サイズ的には十分ブカブカなレベルなのだが、いざ羽織ってボタンを閉めようとすると、そこだけがものすごくキツイ。
しかしせっかくの好意だし、珍しくグレィが執事らしい仕事をしてくれたので、多少の圧迫感は我慢しておくことにした。
「では、改めて自己紹介といこうか。我が名はグリーゲル。テ族の族長にして竜族の頂点に立つ者だ」
「キョウスケだ」
「ののはのーの」
「……エルナ、です」
グレィの父と名乗らないのは、追放した身の上。血族の縁は既に切っていることへの表れか。
しかし先ほどまでの言動からして、グレィに悪感情を抱いているようには思えない。
そういえばグレィ自身も、父上は寛大な方だと言っていた。
族長の立場上、仕方なくといったところもあったのだろうか。
……そう、目の前にいるのは族長。
ついさっき俺たちが手にかけた人たちの上に立つ存在。
仕方がなかったとはいえ、その事実を覆すことはできない。
見た目はグレィに似てキツいながらも、表情自体は優しい……しかしその実、恨みつらみを募らせているのかもしれない。
例え俺たちを助けたとしても。
「その……」
「気にせんでよい、正当防衛であろう」
「えっ!」
察しがいいなあもう……。
とはいえ、この場で暗い表情をするとなると理由は限られてくるもので、察しやすいと言えばそうなのかもしれないが。
「元より先遣部隊をとだけ命じた我の責任でもある……里を追放された者が戻るとなれば、こうなることまで予測するべきであったのだ。あやつらをこの手にかけたのはケジメであると同時に、里のためでもある。命を待たずに先走る愚か者は、里を滅びに導くのでな」
手にかけたというのは、ヤマダと残りの二人のことでいいのだろう。
そのタイミングでは目を瞑っていたし、気が付いた時には倒れていたので確証はないが、それ以外に考えられない。
それにおじさん――グリーゲルさんの言い分からして、俺たちを捕らえようとしたり、殺そうとしたのは完全にヤマダの独断だったと言える。
こういうのはあまり良くはないのかもしれないが……そのことが分かっただけでも、ほんの少しだけ気が楽になったような気がした。
「我はグラドーラン、そなたの帰りを歓迎するつもりでいた。それなのに、こんなことになろうとは……」
「父上……」
「いやすまぬ、言い訳をするべきではないな。我が来たのは、先遣隊の様子を見るため。あわよくば先にそなたに会うことができればと、それだけだよ。生きていてくれて、本当に良かった」
グリーゲルさんの瞳が微かに潤んでいた。
グレィが里を出てから一度もあっていなかっただろうし、おそらく十年ぶり。もしかしたらそれ以上かもしれない。
その時を思えば、当たり前ともいえるか。
まあ、俺は親父と再会した初っ端から笑いものにされたんだが。
――と、そんなことよりだ。
親子の再開で感極まっているところ申し訳ないが、グリーゲルさんにはもう一つ訪ねておきたいことがある。
先ほど俺たちに使ったあの薬。
もしかしてそうなんじゃないだろうか。
「あの」
「む? なんだ、エルナさん」
「さっきの薬……その、もしかしてですけど……『竜仙水』ですか?」
「!!」
「な!?」
親父が驚くのはともかくとして、グリーゲルさんの反応。
まさかとでも言いたげに目を見開いているところを見るに、間違ってはいなかったようだ。
「驚いた。まさか知っている者がいようとは……その通りだが、何故」
「え? えっと……」
な、何故と聞かれるとどう答えればいいのやら……。
人から聞いたというのも、こんな秘薬のことを知っている人となると限られてくるし、下手なことは言えない。
メメローナは扱っている物が物だけに、公言してしまうのはマズいだろうし……そもそも元の体に戻るために必要って言ってわかってもらえるかどうかも……。
って、これホントにどう説明したらいいんだ!?
「父上。その水を一本分けては貰えないだろうか。里帰りの目的の一つなんだ」
頭を悩ませあわあわとしてしまったその時。
グレィが短く、グリーゲルさんにそう言ってくれた。
決して俺が欲しいとは出さず、あくまで目的の一環とだけ伝えたのはいいフォローだった。
グリーゲルさんは幸いにもグレィのことをしっかり息子として扱っている。
そんな彼の頼みとあらば、無下にすることはまずないはずだ。
「ほかならぬ息子の頼み。断る理由はない……が」
「「が?」」
俺たち四人が声を合わせ、グリーゲルさんに疑問の目を向ける。
そして少し気まずそうに視線を逸らして見せたグリーゲルさんを前に、俺の嫌な予感センサーがビンビンと反応を示してしまった。
「まさか……」
「すまぬ。ある分は今の三本で使い切ってしまったのだ」
ほらやっぱりー!
そう思いながら俺は、すっと一歩後ろに下がった親父を――貴重な一本を見事に割って見せた親父を、これでもかと睨みつけていた。
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