5:14「仙血の儀」
「―――!」
「……すっげえ」
「おぉー」
グリーゲルさんが鈴を鳴らすと、一瞬のうちに視界が光の中に包まれ――そのまた一瞬後には、広大な蒼い空が視界を覆いつくしていた。
少し視線を下へ降ろしてみると、そこには白い雲に隠れた岩山が広がっており、俺は思わず目を見開き、顎を地面に付きそうな勢いで落としてしまう。
きっと、傍から見たら間抜けと笑いものにされても仕方がない顔になっていたに違いない。
「後ろを振り向いてみるといい」
突然飛び込んできたとんでもない光景に目を奪われていたところへ、グリーゲルさんのそんな言葉が耳に入ってくる。
言われるがままに後ろへ体を捻ってみると、雑草で擦れかかっている土の道の先。
俺たちがいる場所よりまた少し高台になっている場所に、その神殿は佇んでいた。
入口付近にはドラゴンを象ったであろう石造がいくつも設置されているが、その多くは少なからず部分的な損傷を受けており、中には崩れてしまい台座だけが残っている物もあった。
少なくも散見される苔も相まって、並々ならぬ年季を思い起こさせる。
それは神殿の方も同じで、石でできたその建物は上空であるにも関わらず酷い風化が見て取れ、長い間手入れがされていないことがありありと伝わってくるようだった。
「あれが、これより竜仙水を精製する場所だ。どうだ、息苦しくはないか?」
「ん……言われてみれば、確かにちょっと苦しいかも」
「空の上だからな」
「我は大丈夫だ」
「そりゃグレィは大丈夫でしょうしょ、一応空飛べる体なんだから」
「む。そうか」
急にこのような場所に来たのだ。
こればかりはそのうち慣れてくると思って我慢するしかない。
過呼吸のような状態になっていないだけマシだと思う……もっとも、この後そうならないとも限らないのだが。
「もしものことがあれば言うといい、対処法は知っている。では行こうか」
そんなことを考えて身震いをしているうちに、グリーゲルさんが神殿へ向けて足を進め始めた。
俺たちもすぐさまそこについて行き、神殿の中へと足を踏み入れていく。
神殿は正面以外の三方が柱の壁で形成されており、普段なら辛うじて目が利く程度には暗いはずなのだが、天井が崩れ十メートルほどの穴が空いているせいで、明るいとは言えないまでも、足元の小さな石ころにも気がつける程度には赤るっさが保たれていた。
灯りをともすための燭台も各所に設置されているようなのだが、これも長いこと使われていないのか、傾いていたり床に落ちていたりするものがいくつか見て取れる。
その床には燭台だけでなく、上から崩れ落ちてきた天井の瓦礫や、崩れた柱などがそのままの状態で放置されていた。
俺たちが通っている神殿の奥へ続く道はしっかりと掃除されていて足場に困ることは無いのだが、以外はひどいと言わざる負えない。
まるで瓦礫の花道と言わんばかりの有様だった。
「散らかっていてすまないね。ここを知るものはおそらく竜族の中でも我一人。昔は各部族の族長が知っていたと聞くが、それももう何時の事かもわからんほど。手入れをしようにも、一人ではこれが限界なのだよ」
「父上、言ってくれればそれくらい……」
「わかっている。だがこの場所は王位を継ぐときに教える取り決めでな……ここだけの話、我の代でそれも終わりにしようと思っていたのだよ」
「! ……何故」
「最後に竜仙水が作られたのは、確か千年ほど前であったと記憶している。それほどに使う機会がない場所である上、このような秘薬は存在するだけで災いを呼ぶもの。先ほどほっとしたのはな……正直なところ、使い切ったことで世から葬り去ることができたというのも大きいのだよ」
話をするグリーゲルさんの背中には、どこか物悲し気な空気が感じられた。
今のテ族に穏健派が多いというのは、おそらく長であるグリーゲルさんあってのもの。
争いの種になるかもしれないものが、意図せずして子に伝わってしまった、伝えてしまったことに心を痛めているのだろう。
正面にそびえる大扉を開く両手も、なんとなく震えているような気がしてならなかった。
扉の先には五メートル四方ほどの小さな部屋と下り階段が現れたのだが、その時見せた横顔を見て、俺は居てもたってもいられなかった。
「さあ、この階段の先だ」
「あの!」
「……なんだね? エルナさん」
「その……今更、かもしれないですけど……ごめんなさい。きっと、嫌なことさせちゃいましたよね」
俺が頭を下げるのにあわせて、親父も同じように頭を下げた。
心境としては、きっと親父の方がずっと複雑だろう。
間違っていなかったにせよ、親父があの小ビンを割らなければ、少なくとも今はこの神殿のことをグレィが知ることにはならなかったのだから。
しかしグリーゲルさんは、俺と親父の肩に優しく手を添え、頭を上げてくれと話を続ける。
「いずれこうなる気はしていたさ。気に病むことは無い。さあ、進もう」
「「……はい」」
これ以上は何も言うべきではない。
そう判断した俺たちは、小さく返事を返してから、地下へと続いている階段を下って行った。
* * * * * * * * * *
部屋から下に続いていく螺旋階段。
そこは何か魔法がしかけられているらしく、竜族の者が通る事で燭台に火が灯っていくらしい。
十分ほど階段を降り、その先にある異形の――これもドラゴンを模っているのだろうか。不思議な形をした扉の前までやってくると、父上がそこで立ち止まり、これ以上は我と父上以外通ることができないと言ってくる。
恐らくこの扉は、テ族の王族であるかどうかを確かめるためのものなのだろう。
それなら仕方がないと、我は後ろに続くお嬢へ振り向いた。
「お嬢、行ってくる」
「グレィ!」
振り向きざまに、我とお嬢の言葉が被る。
お嬢は叫ぶと同時に我の右手を掴み、真剣な趣きで口を開いた。
「ひとつ、約束して」
「……何だ?」
手にかかる圧力が若干強くなる。
お嬢はまるで涙をこらえてるかのように下唇を咥え、少し間を置いてから――。
「絶対……絶対、生きて帰ってきてよ?」
プルプルと震えて、今にもこと切れてしまいそうな言葉が、我の耳に響く。
本気で心配してくれているのかと思うと、嬉しいのと同時に、少し申し訳ないとも感じてしまう。
本来我はお嬢を安心させてやらねばならないのに、心配させている己の不甲斐なさが胸に刺さる。
だがここで我が深刻な顔を見せては、余計にお嬢を心配させてしまうだけだ。
木を強く持て、大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら笑顔を作り、お嬢の小さな頭に左手を添える。
どこにこんな量の毛が生える隙間があるのかと思うくらいの、ハリと弾力に溢れた毛髪の群衆。しかし一本一本はとてもきめ細やかで、少し擦っただけでも抜けてしまいそうなほどだ。
「心配性なのは親譲りか? 大丈夫、絶対戻ってくる」
「絶対だよ!? 絶対だからね!?」
「ああ。だからお嬢は、ここで待っていてくれ」
「……うん」
お嬢の返事にこくりと頷き返し、その更に後ろで待機しているキョウスケとのーの嬢を一瞥すると、あらためて扉へ向かった。
最後に父上にも頼むという意で首を縦に振り、我と二人、その奥へと進んで行った。
奥の部屋に入ると、階段の時と同じように壁に設置された燭台が灯り、辺りを照らし出した。
部屋は大きく、恐らく我が竜化してもまだ余裕があるであろう……二頭が取っ組み合いをできるかもしれないというほどの大きさだった。
壁面には二頭の対峙するドラゴンと思われる壁画が三面に描かれていおり、正面の壁には玉座のようなものと、その両脇から四面全てに、入り口で見たようなドラゴンの像が設置されている。
そして玉座の真上の壁にはドーム状の穴があり、そこには先ほども観た小ビンが三つ並べられていた。
「玉座に」
「ん。ああ――!」
言われるがまま玉座へ腰かけると、そこには竜化した父上の姿があった。
我と同じく漆黒のウロコに身を包んだその姿は、まさしく竜の王。
ギラリと我を睨みつける雄々しい瞳は、息子でさえも否応なしに怯ませる。
「本当に、よいのだな」
「……問題ない。それよりも、早く始めてほしい」
「エルナさんが待っている――か?」
「!」
思わぬ返しに汗が噴き出た。
しかし父上の目に先ほど感じた眼力はなく、微かに笑っているようにさえも見える。
ドラゴンの姿ではその判別は付きにくいが、どこか親のやさしさというものを感じさせるものであった。
「その感情が呪いによるものか、本心からかはあえて聞かないでいておこう……我は、そなたが幸せならばそれでよい……。望み通り、始めるぞ」
その言葉を最後に、我の視界が暗転した。
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