5:2 「紛うことなき」

「い……今、なんて」

「元の体に戻りたいかと言ったのさ。オーケィ?」


 聞き間違いじゃない。

 そう確信した瞬間から何秒か、思考という思考の一切が遮断された。

 再び頭が働き始めるまでの間、本当に何も考えることができない――混乱しすぎて、文字通り頭が真っ白の状態に陥ってしまった。


 それは隣で腰掛ける親父も同じだったようで、思考が戻って彼の――メメローナの言っていることを理解すると、俺たちは半分驚愕、もう半分は疑惑の念を浮かべる顔を合わせ、再度メメローナへ向かい合った。


「め、メロン、そんなことが可能なのか!?」

「オフコースだよキョウスケ。さっき言った通り、ちょっとだけ条件というか、頼みたいことはあるけどねぇ」

「条件……?」

「で・も・説明はユーの答えを聞いてからだよ」


 答え……そんなこと、決まってる。

 戻りたいかどうかだって?

 当り前じゃないか。


「本当に戻れるなら……戻りたい」


 この体になって、一体どれだけ苦労させられたと思ってる。

 肉体的にだけじゃない。精神的にも……いや、精神的にこそこっぴどくやられたものだ。


 己の無力さに打ちひしがれ、一時的にでも記憶をなくした。

 不便な能力のせいで散々面倒事に会わされてきた。

 果てには自分自身が本当にありたい姿も見えなくなってしまった。

 それもこれも、全部この体になったのが原因だ。


 そんな悩みの種から解放される、しかも一番手っ取り早いものがいきなり目の前に転がってきたのだ、どこに拒む理由があるだろうか。


「うんうん、そのアンサーを待っていたよ! じゃ早速」

「「――!」」


 早速と言う言葉と同時に、メメローナがパチンと指を鳴らす。

 すると、眼前の風景が先までの屋敷の一室とは一変、書物が散乱している、怪しげな十メートル四方の空間へと変わり果てた。


 突然のことで驚きを隠しきれなかったが、この感覚には覚えがある。

 つい最近……一週間前に体験したばかりだ。


「【転移テレポート】……?」


 おそらくは、そう。

 だがここに転移してきたのはメメローナと俺と親父だけ……部屋の外で見張りをしているグレィの姿は見当たらない。どうやら話をしていた面子だけ転移してきたようだ。


 しかし便利だなこれ……体が戻ってなお魔法が使えるかはわからないが、使えるのであれば俺もそのうち覚えたいところだ。


「先に見せてしまった方がスピーディーだと思ってねぇ! ここはレイグラスにあるミーの研究室ラボ。ユーたちも知ってる、ボロ役場の奥にある部屋さ!」

「あ、ああ、ここが……」


「きゃっ!?」


 親父が辺りを見回そうと体をよじれさせると、その足元付近から高らかな女性の悲鳴が響き渡った。

 親父のすぐ後ろに位置していた机の下。そこにうずくまっていたらしい女性の臀部に、親父の手が意図せずして触れたせいだ。


 女性は悲鳴と共に跳ね起きようとし、そのまま勢いよく天板に激突する。

 狭い空間にゴツンと鈍く響くその音に、聞いているこちらも顔をしかめてしまった。


「いたたたたぁ。びっくりしましたメメローナ様。戻ってきてるなら言って下さいよぉ!」

「ソーリーだよサラ。転移してきたもんでねぇ」

「ん……サラ?」


 なんだか聞き覚えのあるような名詞が聞こえ、机の下から這い出てくる女性を見やった。

 長くウェーブのかかった金髪に、母さんに負けず劣らずスタイルが良い。ぴっちりとしたスーツに身を包んだ眼鏡のお姉さん。


 サラネリーア・ラスモンタル――俺の転生手続きを担当した、呪いと言う単語に過剰な反応を示すあの人だ。


 ぱんぱんと、スーツに積もる埃を払い立ち上がるサラさんに、俺は声を掛けようと一歩近づいた。

 しかし……。


「ひっ、あなたは!? そ、それじゃお邪魔虫は失礼しますぅーーー!」

「あっ ちょっと!」


 俺の存在に気が付くや否や、まるで死神にでも遭遇したかとばかりに恐れおののき、サラさんは一目散に研究室ラボから出て行ってしまった。

 木製の扉がバタンと大きな音を立て、その振動で辺りに積まれた本が揺れる。


「エルナさん……ユーはサラに何かしたのかい?」

「い、いやぁ……ええっと」

「完全に怖がられてるな。オレも呪われるのはゴメンだが」

「それは俺だって嫌だよ」


 というか、誰だって呪われるのは嫌だろう。

 呪われて感謝しているのはグレィくらいだ。

 まあ、あれはあれで状況が特殊だったから、なんとも言えないところではあるのだが。


 ため息とともにトホホな表情を浮かべる俺。

 親父は俺の背中をポンと叩いて同情してくれるが、こちらはこちらで苦笑いを浮かべている。

 しかしメメローナはお構いなしとばかりに、部屋の奥に設置されている、怪しげな魔法陣の描かれた真っ黒な四角柱の前に立ち、俺たちの方へ振り向いた。


「話を進めよう。スピーディーにねぇ。という訳で早速見てもらうよ! ――臣稿恵月君。君の肉体だ。間違いはないかよく確かめてみてね」

「!!」


 メメローナが魔法陣に手を乗せ、四角柱に魔力を注入し始める。

 すると陣を中心として網を張り巡らせるような文様が浮かび上がり、薄暗い空間を青白く照らし出した。

 眩しさに目を細めるも、俺の視界はしばらくの間白一色に奪われてしまう。

 そして何度も目をぱちくりと瞬かせ、ようやく視界が戻り始めた時……この大きな瞳に、それが飛び込んできた。


 真っ黒だった柱は、魔法陣があった上面だけが綺麗になくなっていた。代わりに顔を出したのは、一言でいうなればガラス張りの棺桶。

 まるで標本……ホルマリン漬けのように、しかしそれとは違う。青い液体の中に保存されている、170センチ程の若い男性の体。


「間違いない……〝俺〟だ」


 見間違うはずがない。

 今ではもう懐かしさすら感じてしまうが、間違いない……この体になるまでの17年間を共にした『臣稿 恵月』の体が、確かにそこに存在した。


「あ、あぁ……懐かしい……本当に……なつかし、うぅっ」

「ちょ、親父?」


 泣いてる……まあ、親父にとっては25年ぶりに見るわけだし?

 そりゃあ懐かしすぎるし感慨深い訳で、気持ちは分からないでもない。でも本人の俺を差し置いてガチ泣きとは、それはそれでどうなんだ?


 静かに涙を流す親父の背中をそっと擦りながら、俺の目線は棺桶の隣に佇むメメローナに移る。


「どうかな、これで信じてもらえる?」


 愛も変わらず不気味なほどに無邪気なほほえみを浮かべる少年が、優しくそう問いかけてきた。


「うん。まだ聞きたいことは山ほどあるけど、確かにこれは俺の体だ」

「そーいつはハッピーだ! 苦労した甲斐あったよぉ!」


 ハッピー……幸せ、か。

 本当にこのまま体が戻ってめでたしめでたしなら、それは確かにハッピーなことだ。

 でもメメローナは言っていた。条件があると。

 これまでの経験からして……そして散々苦しめられてきた俺の運のなさからして、今更ただで済むとは思っていない。


 十中八九、何かが……それもとびっきりの面倒事がある。

 だが今回ばかりは俺の祈願でもあるのだ。

 顔をしかめる代わりに、大きく息を吸い、どんな困難にも立ち向かおうと言う覚悟を決めた。


「じゃあ、あらためて説明してあげないとねぇ。ミーがこうして君の体を〝サルベージ〟した経緯と戻してあげる『条件』」

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