4:14「温泉でもばったりと」
ネリアの北東部。
ラメールの別荘から10分ほど歩いたその先に、目的の温泉宿があった。
一見して4階はありそうな大きな木造建築は、中華街なんかでありそうな派手で豪華な装飾を各所に施されており、ネリアの町でも一風変わった存在感を醸し出している。
ここの温泉は疲れによく効くとのことで、地元住民のほとんどが週に1回は使うほど評判がいいらしい。
「19時20分か……ふむ、21時前にはこのロビーにいてくれるかい?」
「……あ、う、うん。わかった」
「む……? どうしたんだい、具合でも悪いのかい?」
「ふぇ!? な、何でもないよ!?」
「? そうかい? ではボクは先に行っているよ。少しの間寂しくなるが、またあとで!」
「い、行ってらっしゃい」
寂しくなるのはラメールだけでこちらとしては清々するのだが、そんな思いは苦笑いに隠し紛らわせ、男湯ののれんをくぐる彼を見送った。
そう……
「はぁ…………
この体になってから既に百数十日余り。
自分の体に対する抵抗というものはもう無くなっているし、風呂だって今更どうということは無い。しかし、それはあくまでもこの『エルナという少女』の体に対しである。
母さんの裸体くらいなら見慣れているが、それはそれ――子が親に欲情しないのと同義であり、不特定多数が利用する温泉となれば話は別なのだ。
まあ、健全な男の子的視点から言えば? 合法的に覗き放題見放題のパラダイスなのであるが……同時になんだか申し訳ないと言う背徳感もぬぐえないのである。
外見だけ言えば俺も十分に美少女だから余計に……。
「まあ、夕飯時なのが幸いか……」
ロビーにいる人はちらほら……大きな温泉宿なだけに人が散る夕飯時でもそこそこいるが、今のうちにさっさと行ってしまった方が後で楽だろう。
とりあえず、視線だけは気を付けよう……なるべく。
淡い意識とともに背徳感を頭の片隅へ残して置き、俺は女湯ののれんをくぐっていくのであった。
* * * * * * * * * *
「なッ……」
「あら?」
脱衣所に衣類を置き、いよいよ女湯へ足を踏み入れた瞬間……他人がどうとか、もうそれどころじゃなくなってしまった。
全くもう、なんでこういつも絶妙なタイミングで現れるんですかね?
母さん?
「エルちゃーん! どうしたのーこんなところで~」
「んにゅ!?」
こんな時でも抱くな!!
人! 人見てるから!!!
俺よりでかい谷間に顔をうずめられながら、ジェスチャーでもって必死にそれを示す。
ただでさえ目立つってのに、これ以上変な真似はしないでいただきたい!!
「あらごめんなさい」
「ぷはっ! ……あーもう! 母さんこそなんでいるんだ――よ…………」
顔が解放され、おのずと視線が上る。
すると案の定。この場に居る10名ほどの視線が、一手に俺たちの方へと向いていた。
ちなみに全員もれなく獣人である。
「あれ、もしかしてエルフ?」
「ほんとだ珍しい!」
「私初めて見たかも」
「二人ともそっくり。親子かしら?」
「胸でか……」
「は、ははは……どーも……」
堂々と見るとかなんとかそんなレベルの話じゃなかった。
むしろこっちの方が見られすぎて逆に目のやり場に困る。誰もいない方見ないと目があっちゃうんだもの!
「とりあえず、あっちいきましょ! 背中流してあげるから、お話もそこでね~♪」
「う、うん……」
母さんの言う通り、俺は目立たない一番端の洗い場へ腰を下ろし、背中を母さんに任せる。
こうすることによって向けられてくる視線もある程度遮断することができるので、少しは心を落ち着かせることができた。
「エルちゃん? ちょっと髪が乱れてるわよぉ?」
「手入れのしようがないんだから仕方ないだろそこはぁ!」
もちろん全くできない訳ではないが、この3日間は馬車に揺られていたのだからいつも通りとはいかない。多少の乱れくらい見逃してくれないものかね?
……本当、この体になってから母さんの検問が厳しいのである。
「それよりなんでここにいるのさ、俺は――」
「
「うぐっ……わ、私は別荘の浴場は準備できてないって言うからここに来たわけで……」
「あらそうだったのねぇ~。わたしたちはこの上でお泊りするのよぉ、グレ君日帰りは難しいって言うから~」
「は? ……なんでグレィが?」
「グレ君の背中に乗せてもらって来たのよ~、エルちゃんも帰りは一緒よ♪」
「…………?????」
グレィの背中?
それって一体どういう……あ、そういえばあいつドラゴンだったっけ。
今は力をそんなに縛っていないから、竜化したくらいで暴走することは無いのか。
その背中に乗って飛んだとしても、風をコントロールできる母さんなら周囲にバリアかなんかでも張ればどうとでもなるだろう。
俺たちより到着が早かったのも、陸より空の方が速いのだから当たり前。
でもだからって……いくらなんでもだなぁ!
「やりすぎだろ……」
過保護にも程があるぞ!
大丈夫だって言ったろうに。
「そんなに信用できなかった? 私確かに言ったよ。大丈夫だって」
「えっ!? ち、違うのエルちゃん! そういう訳じゃ……」
「じゃあなんで来たのさ。別に怒ってる訳じゃないけど、流石に傷つくよ?」
「……そうよね。ごめんね」
「だから怒ってるわけじゃないって」
心配する気持ちは俺とて痛いほどわかる。だから過保護を責めるつもりはない。
この世界に来たばかりの頃とは違うとは言え、俺が突発的状況に対してパニックに陥りやすいのは確かだ。
何かあった時、そんな状態で俺がまともな対処ができるとは正直言って思えないし、魔法を封じられてしまえば何もできない少女と化してしまう。
それが分かっているからこそ、何をしでかすかわからないラメールの元へ一人送り出すなど、たとえ本人が大丈夫と言えども心配するなと言う方が無理がある。
まあ、それを抑えて止めるのも今回親父の仕事のハズなんだが……。
「そういえば親父たちは? 母さんがここにいるってことは」
「ああ、皆はお夕飯に出てるの。エルちゃんならわかると思うけれど、わたしがいると目立っちゃうじゃない?」
「現在進行形で目立ってるけどね……」
「むぅー、だってここのお部屋お風呂ついてないんだものぉ」
「それは……お互い大変だね……」
それでこの時間にばったりと……まあ、男性陣も温泉に居なくてよかった。
面倒ごとを増やさないためにも、ここでラメールと親父たちを鉢合わせるわけにはいかない。
ろういう意味では、しっかり母さんにも忠告はしておかないと――
「っふにゃぁ!?」
そんなことを考えながら少しまじめな顔をしていたところに、俺の胸部……大きく実ったその場所へ母さんの両手が襲い掛かってきた。
「ほらほらぁ、そんな顔しないで! せっかくの温泉なんだからもっと楽しみましょおよ~♪」
「ひゃっあ!? わかったから揉むなぁ!!」
目立つからって気にしてる割には堂々とそういうことするのな!?
見えない視線がものすごいんですが!!
第一、それとこれと何の関係がある!?
「もぉ……」
「うふふ、むくれてるエルちゃんも可愛いのよぉ♡」
「むぅぅ……」
くそぅ、ひとりでいい気になりおってからに……いっそやり返してやろうか。
「明日、本当に気を付けてね」
「……むぇ?」
やり返してやろうと両手を構えようとしたその時、母さんの口からぽつりとそんな言葉が零れ落ちた。
先までのおちゃらけた雰囲気とは一線を画する……シリアスモードの、真面目な言葉。
道中気を付けてとか、そんなお約束のようなセリフであるが、そうではない……これは本気で、何かに気をつけろという俺へのメッセージの様な気がした。
明日――ラメールとの付き合いで、何か起こるとでも?
「さ! 浸かりましょ! 髪結んであげるからタオル貸して~」
「あ、ああうん」
やり返すことなどすっかり忘れ、言葉の真意を少しでも紐解こうと考える。
……が、しかし。
母さんと2人で湯船に浸かり外へ出るまで、こちらへ向けられる好奇の視線が気になってしまい、結局わからず終いになるのであった。
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