4:15「疑惑あれど隙だらけ」
「エルナさん……?」
「…………むぅ」
「エルナさん!」
「わっ!? な、何?」
現在21時40分。
温泉宿を後にした俺とラメールは、そこから3分ほど歩いたところにある老舗の料理店へ足を運んだ。
21時を回ると外を出歩いている人はほとんどいない。そしてそれに反比例して営業している店もどんどんなくなっていく。今俺たちがいる店は、そのうちでも最後の一店舗なのではないだろうか?
「やはり具合が悪いのではないかい? 先程から表情が暗い上、食の進みも悪いようではないかい?」
「だっ……大丈夫だって! ラメールは気にしないで」
確かに表情は暗いし手の動きも遅い。
眼前に置かれている大ぶりなステーキ肉はラメールと同じものを頼んだのだが、彼はもう8割ほど食しているのに、俺の方は2割も減っていない。
しかしそれは温泉で母さんが言っていたことが気になっているからであり、決して調子が悪いとかそんなことではない。
断じてない!
「いいや、やはり心配だ……きっと旅の疲れが深刻なのだろう。今日はもう帰って休むといいよ」
「い、いやだからそうじゃなく……」
気になることがあるから――そう言おうとして踏みとどまった。
考えよう考えようとして足を踏み外すところだった。
母さんたちが来ていることがバレるというのはないと思うが、俺が何か気になっていることがあるとなれば、こいつは間違いなく詮索してくるだろう。
ボロを出さないためにも、ここは変に否定しない方が身のためか。
「……わかったよ」
「うむ。無理は禁物だよ。あの温泉はボクも評価しているが、万能じゃない。慣れない旅をしたのだから、疲れていても無理はないさ」
ため息混じりの俺の一言に、ラメールは安心したような顔をして見せた。
あからさまな態度に何かあるんじゃないかと勘繰ってしまうが、流石にそこまで疑うのは失礼に値するか。
そんなことを思っているうちに、ラメールは店主のおじいさんを呼び料理の乗った皿を下げてもらう。
その時のおじいさんの顔は物凄く険しいものであったが、俺の誠意のこもった「ごめんなさい」とラメールの「味は良かった」と言う言葉がそんなに効いたのか、それから会計の時までおじいさんの表情は何やらにやけているようにすら見えた。
ラメールが会計を済ませ、店を後にする。
俺も金はある程度渡されているから支払うと言ったのだが、結局彼におごられることとなってしまった。
まあ、何はともあれ今日のイベントはおしまい。
ラメールの言う通り、早いとこ休んでおいた方が――
「にゃ゛っ!?」
ほっと一息ついた瞬間のこと。
俺の後に出てきたラメールの右手が、左脇――丁度胸の位置をすくうようにして侵入してきた。
そして反対の左手は膝をすくい上げ、俺の体はいとも簡単に宙に浮きあがってしまう。
何がなんだか理解できないままにラメールの顔が目の前まで接近しており、俺は一瞬身震いしてしまう。しかしその次に、今の自分の体勢を見て状況を頭が理解すると、今度は急激に顔が熱くなっていくのを否応なしに感じさせられた。
これはそう、紛うことなく……お、お姫様抱っこ……!?
「にゃ、にゃにゃにゃにゃにをっ!?」
「このボクに、疲れている女性を歩かせろと言いたいのかい?」
「だ、だかりゃってこれはぁ……!」
いくら何でも恥ずかしすぎるってェ!!!
人目がないからって調子に乗るにもほどがあるだろ!?
これじゃあどう見てもカップルだよ……。
10分くらい歩くってば――なんて言っても聞かないんだろうな。
こうもガッチリと抱かれてしまっては、俺の力じゃあまず解くことはできない。
おとなしく耐えるしかないのか……誰とも会いませんように……。
「うぅぅ……」
「エルナさん、その顔はヨすぎる……反則だ」
「うるしゃい……」
誰のせいでこんな目に会ってると思ってる!
半べそかきながらそう心の内で訴えつつも、なるべくラメールの負担を減らすように腹をへこませ上体を起こし、大変不本意ではあるが腕を彼の首に回し込む。
場合によってはラブラブにすら見えてしまうかもしれないが、これは彼の足を重くしないため……なるべく早く帰るための選択をしたまでだ。他意はない。
死ぬほど恥ずかしいけれど、少しの辛抱だ。
しかしこうしていると、否が応でもラメールの体との接触面が大きくなる。
ヒョロヒョロとしたキザ男という当初のイメージとは違った感触を受け、俺の意識は自然をそちらへ流れていった。
(体
ヒョロヒョロに見えて、実際こうしてみると体はかなり引き締まっているように思う。
細マッチョというヤツだろうか……親父ほどじゃないが、こいつも多少はちゃんとしてるとこあるんだな。
金持ちのボンボンと言うだけだったら、こんないい体つきしてないだろうし。
意外と頼もしいところもあったりするんだろうか。
「ふあ……」
強い力によって守られている……そんな安心感が生まれたせいか。
はたまた抱っこの揺れが心地よかったのか。
旅の疲れというのも、割かし本当にあるかもしれない。
あくびとともに急激な睡魔に襲われた俺の体から、抵抗する間もなく力が抜けて行ってしまう。
あと少し……もう3分もすれば、別荘にたどり着くというのに。
こんな状況で寝たりしたら、その間に何をされるか。
……でもまあ、ちょっとくらいなら大丈夫か。
既に思考の半分以上が働いていない俺の頭は、そんな甘言にあっさり負けたのでした。
「ハハハハ、寝顔も反則級にイイ……。ゆっくりお休み、
* * * * * * * * * *
「――――え」
何が起こったのか、寝起きの頭は理解が追いつかない。
目が覚めると見慣れない天井があった。
しかし首を回してみると、そこがラメールの別荘の、俺が寝泊まりする予定だった客室であることが判る。
カーテンの隙間からは光が入り込み、既に外は朝であることを告げていた。
「……っっっっ!?!?!?!?」
そしてそこまで理解したところで昨日のこと――寝る前のことを思い出し、再び急激に頭に血が上るのを感じる。
あの男にお姫様抱っこをされ!?
あまつさえその胸に己を任せて睡魔に負けた!?
完全に覚醒した俺はベッドから飛び起き、姿見の前に立つ。
そして勢いよく姿見の両脇に両手をつき、まじまじと鏡に映る自身の姿を確かめた。
見た限りでは昨日、あの料理店を出たままの姿。
……流石に寝てる女に手を出すほど外道ではないか。
「はぁ……有り得ねえだろ……俺のばかぁ……」
安どのため息に自分への罵倒を乗せ、壁に置いていた両手を顔に持っていく。
いくら何でも気を許しすぎだ。
そりゃあもう3日も同じ屋根の下で寝泊まりはしたし、ラメールのヤツは浮気性と言ってもその時惚れた女には尽くすヤツなのだというのは、2日目辺りにソラさんから聞いて知っていた。
だからと言ってもだ。
隙だらけにもほどがあるだろう……!?
それに俺が眠りこけた丁度その時、なんだかラメールのヤツが「マイハニー」だかなんだか言っていたのも聞こえた気がする。
フる相手だって言ってんのに好感度上げてどうするんだ!
「何やってんだよ……ほんと」
しかも状況にとらわれすぎて、結局母さんが言っていた「気を付けて」の意味を考える暇もなかったし。
時計の針ももう7時を指している。
かすかに1階がバタバタとしているような音が聞こえるので、朝食もそう遠くない。
考える時間も、もうなさそうだった。
「あーもう……こうなったら」
俺は着替えの入ったバッグ――の隣に置いてある包みに手を伸ばし、その中身を取り出す。
念のために持ってきておいた俺の専用装備だ。
あまりこういった場には持ち出したくなかったけれど、気を付ける影の正体が分からないのだから致し方なし。
これでも気持ち程度ではあるが、無いよりかはマシだ。
それに冒険者としての衣装なら、普段着と違って俺に向けられる視線も多少は軽減されるだろう。冒険者だったらエルフだろうとどこに居てもおかしくはない。物珍しいことに変わりはないが、いくらか効果はあるはずだ。
「――よし!」
今日も今日とて、前途多難な1日になることは間違いない。
着替えた俺は気合入れに一発頬を叩き、災難の始まりに繋がるドアノブへと、手をかけるのであった。
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