3:31「初めての・・・」

接吻せっぷん】……愛情表現、友愛表現のひとつ。人が自分の親愛や友愛の情や魔除けその他を示すために、唇を相手の額や頬、唇などに接触させる行為。口づけ、キス、チュウとも言う。


 場が凍り付いた。

 人の命……それも一国の王女の命がかかっているという時に飛び出したその言葉に、誰もが一瞬理解するのを拒んでしまった。


「あのー、エィネさん? 今なんと?」

「接吻じゃよ接吻。キスじゃ」

「エィネ殿!! ふざけているのか!?」

「うん、怒るよな……そりゃ」

「き、きす……」


 思わず聞き直してしまったが、ご丁寧に返されてしまった。その平然とした言葉に国王が怒り、親父がそれに同情を示し、ファルは何故か顔を真っ赤にして俯いている。

 そしてそんなファルを見て、俺はしたくもない想像を膨らませてしまった。


 星の綺麗な夜。

 月明かりが差し込み、装飾が神秘的な輝きを見せるこの薄暗い部屋で……男女が唇を交わす。

 柔らかく弾力のある唇が、相手の凛々しく逞しさの感じさせる唇へ、ゆっくり……ゆっくりと近づいていく。


 頭へ急激に血が上っていくのが分かった。

 しかしそれを自分がやるのかと思うと、同時にこの上ない程の寒気が体を飲み込もうとした。


「国王よ、わしはふざけてなどおらんよ。今はまだ理解しかねるかもしれんがの……わしを信じてくれんかね」

「す、すまん。オレもふざけてるわけじゃないと思う、から……今は抑えてくれ。気持ちはわかる」

「う、うぬ……キョウスケ殿がそう言うのならば……」


 親父、すごい信頼されてるのな。

 流石英雄様。


 そっとエィネのフォローに入る親父に珍しく、素直に尊敬の念を抱く。

 この25年、国王相手にそれだけの信頼を勝ち取るのは容易なことではなかっただろう。英雄と呼ばれている以前に、信頼するに値するだけ……それもタメ口で話せるほどに親睦を深めているのだから、そこは素直にすごいと思う。


「してエルナよ、やってくれるかね」


 ……なんて意識を逸らしてみても、現実はすぐに俺を捕まえてしまうのだ。

 南無三。


「こ、断れないだろ……お姫様の命かかってるってのに……で、でも……」

「でも?」

「せめて、どうしてかくらい教えてくれよ……じゃないと、覚悟ができないって言うか……その……」

「そんな乙女みたいな顔せんでもそのくらい説明してやるわい」


 うるせえ、誰が乙女じゃ。

 マジでこのチビッ子、いつか泣かせてやるからな。


「まあ、アホの方は気が付いておるようじゃがな」

「…………」


 この場でアホと言えばグラドーランだ。

 そう思いファルと同じく俯かせていた顔を上げてみると、彼は何かを悟ったような顔でじっと前を……俺の方を見つめていた。


 細くも力強く堂々とした線を感じさせる輪郭に、筋の通った鼻先。絶妙な加減で光を反射するなだらかな髪と鋭い瞳―――って、何考えてんだ俺はぁ!?


 咄嗟に視線を下へと戻した。

 全く持って気などこれっぽっちも無いハズなのに、エィネのせいで嫌でも意識させられてしまう。なんか外見だけならイイ男だなとか、ちょっと思ってしまった自分の首を今すぐにでも跳ね飛ばしたい。


「おんし、もう染まりかけておらんかの? ……まあいいわい。簡単な話、接吻を以って竜王のおんしに対する好感度を強制的に引き上げるんじゃよ。そうして竜姻をレーラ姫からエルナに譲渡させる。しかしこやつは呪いに耐性を持っておるから、竜姻は譲渡された瞬間消えてなくなるという寸法じゃ」

「何? そんなことが可能なのか?」

「うむ。こやつが竜王にもたらした呪いはそういうもんじゃ。忠実なる家臣にとって、主からの愛情表現とは至上の喜び。これ以上にない褒美じゃろうよ。もう一発で好感度爆上がりじゃ」

「んー……また突拍子もない話だなそりゃあ……て、まてよ?」


 何か引っかかったと言うような反応を親父がした。

 続いて俺とグラドーランを交互に見やると、何やら額に汗を伝らせる。


「それってよ……万が一があった場合、オレは竜王のお義父さんになっちまうんじゃ」

「ありえん話ではないな」

「ねえよ!? 断固としてねえよ!?」


 変な方向に話を持っていくな!?

 そんな場合じゃないの!!

 ほらもう、国王様半分諦めの涙流してるよ!?

 泣きながら姫様の頬さすってるよ!?


「その威勢を張れるなら、まだしばらくは大丈夫じゃな。して竜王よ、おんしもそれでよいかね」

「無論だよ」


 グラドーランの答えに反応してか、心臓を打つ音が少し速くなる。

 どうやら覚悟を決めなければならないようだった。


「うむ――したらばこの場でするのも何じゃろう。国王を姫から離すのも可愛そうじゃし、二人は一度外へ出てもろうてもいいかの。その方が雰囲気もあるじゃろ?」


 もう言いたい放題言いやがってこのロリBBAは!

 しかしまあ、確かに視線を感じながらさせられるよりは幾分かマシか。

 ……そうと決まれば


「さ……さっさと行くよ。グラドーラン」


 俺は申し訳程度に心を落ち着かせようと深呼吸をしてから、バルコニーにつながるガラス扉に手をかける。

 グラドーランもレーラ姫を一瞥してから、俺の後を黙ってついてきた。


「あ、念のため言っておくが互いに唇を合わせるんじゃよ。それが一番効果が高いじゃろうからの」


 ――今言うなよ。


 * * * * * * * * * *


「…………」

「…………」


 バルコニーに出て向かい合う。

 グラドーランの身長は180センチはありそうなので、150センチそこそこの俺はどうしても彼を見上げる形になった。

 バルコニーは扉を出て3、4メートルは長さがある。そしておよそ1メートル程離れると部屋の中は見えないように特殊な加工が施されているため、端まで出てしまえば中からの視線は遮断できる。


「じゃ、じゃあ……いくよ」

「……ああ」


 満点の星空に、王都を一望出来る王宮のバルコニー。

 シチュエーションとしては最高だろう……相手がこいつでなければ。

 前世から女っ気などこれっぽっちも無かったため、ファーストキスが云々とかはあまり考えたことも無かったのでどうと言うことはないのだが、まさか相手が男で、好きでもない相手になろうとは思いもしなかった。


「わ、分かってると思うけど、レーラ姫のためだからな! 他意はこれっぽっちも無いぞ!」

「わかっているよ」


 しつこいだろうが、念を押させてもらう。

 こうでもしないと変な気を起こしそうで怖かった。

 ……ン?

 いや待てよ?

 もしかして今のセリフ、考えようによってはツンデレに該当するのでは?

 状況が状況だけに、俺の顔は血が上っていてかなり赤くなっていると思うし……ああダメだ、これ以上は考えてはいけない。


「―――ん!!」


 これ以上変なことを考える前にと、俺は目いっぱい背伸びをして、グラドーランの顔に自分の顔を近づける。

 間を置けば置くほど気まずくなるし、気に迷いが出始めて手遅れになる可能性だってある。こういう事は勢いが大事だ。

 ……しかし。



(と……届かない……!!)



 微妙に、ギリギリの所で身長が足りなかった。

 あと2、いや3センチくらい高ければ……んぬぬぬぬぬぬ。

 頑張って、必死に、極限までつま先立ちになり、己の唇を尖らせる。

 しかし無慈悲な身長差が埋まることは無く、寸でのところで手……いや、唇が届かない。

 そして―――



 ―――ぐらっ



「ふあっ!?」


 自重の負担に耐えかねた左足があらぬ方向に曲がり、不安定だった俺の姿勢は痛みとともに大きく崩れてしまった。




「んぅっ――!!!!?」




 しかし次の瞬間。俺の背中に細く、それでいて筋肉質な右腕が回される。

 倒れそうになった体が片腕で難無く支えられると同時に、目の前を影が覆い……人肌の温かい感触が、俺の柔らかな唇を奪った。


 * * * * * * * * * *


 余談ではあるが、『レーラ姫がバルコニーで何者かと口づけをしたらしい』というウワサが、後日王都レイグラス全域に広まったらしい。

 ……なんか、ゴメン。

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