0:1 「気がつけばすっぽんぽんのエルフでした。」

 親父が蒸発したのは二年前。

 何の前触れもなしに、突然家に帰らなくなった。


 その親父が異世界にいるだと?


 どういう訳かはさっぱり分からないが、これは重要すぎる手がかりだ。

 不安と不満を胸いっぱいに秘めた中、ほんの少しの希望にすがるように……俺はドアノブへと手をかける。


 扉を抜ける際、お姉さんの言った通りかなりの不快感に襲われた。

 例えるならそうだな、飛行機の離陸時やエレベーターに乗った時のGがかかる感覚に加えて、体全身を一瞬だけくすぐられたような……とにかくものすごくイヤな感じだ。


「……がはッ! ごほっ! ごほっ! ……うぅ、気持ち悪い」


 地面を踏みしめ、倒れそうになる体をどうにか持ち堪える。

 体に妙な違和感を覚えるが、そんなこと気にしていられない。

 一刻も早く情報を集め、親父を探し出さなくては。

 建物の中から出てきたのだから、外は町か何かだろうか。妙に古めかしい内装だったし村かもしれない。

 俺はそんな、これから目の前に広がるであろう光景を思い浮かべながら顔を上げる。


「……へ?」


 上げると――そこには見渡す限りの鬱蒼とした森が広がっていました。

 どういうことだってばよ?


「――うわ!? ち、痴女!?」


 しかしそんな疑問の答えを探る間もなく、後ろから驚愕と思しき声が聞こえてくる。

 振り返ってみると、そこには先程まで居たはずのボロ役場の姿はなく、代わりに腰を抜かしている冒険者風の少年がじーーっと俺の方を見つめていた。

 どうしてそんな近寄りがたいモノを見るような目で見る?

 それに今痴女って……ん? 『痴女』?


 ここは森の中。そうそう人がいるとは思えない。

 ましてや一目見て痴女だとわかる人間と出会う確率なんてコンマ一つもあるだろうか?

 しかしこの少年は今確かに痴女だと言った。

 ……それも、俺の方を見ながらだ。


「い、いやどういう――!?」


 全く身に覚えのない女性の声が、身体の内から耳に響いた。

 ……なんだ、この俺とは無縁な、鈴の音のような甲高い声は。

 だが確かに俺は今口を動かし、喉を鳴らしたハズだ。


 しかしだな……いや、でも……この感じ……やっぱり?


 あまり考えたくはないし、認めたくないから下は見ないようにしていた。

 でもやっぱり違うもの。なんかスースーするもの。ものすごく心もとない感じするもの。あと風が心地いい。


「…………」


 ――意を決して顔を俯かせてみると、そこそこ大きな谷間が俺を出迎えてくれました。


 そんでもって、谷間を形成している膨らみの片方に手をかけ、それが見間違いでもなんでもないことを確認する。

 認めたくないけれど、もう認めざる負えない……柔らかかったです……とても。


「…………はぁ」


 もう驚く気力も体力もない。

 俺はどういう訳か、森の中に放り出された挙句、性別まで変わってしまったしまったらしい。


 気がつけばただ淡々と、目の当たりにした事実を前に、自分の身に起きている状況を確認していた。

 そして、今素っ裸で見知らぬ少年の前に……。


「えっ……あ!?」

「ひっ! み、見てない! 見てないです!!」

「いや! えっと、その」


 精神的には男だからか、別に恥ずかしいとか、そういった感情は生まれなかった。

 自身の身体としての実感があまりない分、むしろこんなシチュエーションに出会えた少年が羨ましいとさえ思っていた。

 しかしだ、それはそれとして……。


「……くしゅんっ」

「ひっ!」


 俺のくしゃみに少年が大きく体をビクつかせた。

 だって素っ裸で風にさらされてるのだから、そりゃあくしゃみもでてくるだろう。

 ……というかなんだ、この弱弱しいというか、可愛らしいくしゃみは。

 本当に自分が発したとは思えない。そして風が寒い。


「さむ……」

「…………」


 見知らぬ森の中に、見知らぬ男と二人きり。

 本当だったら自分から何か言い寄って、情報の一つでも恵んでもらいたいところなのだが……状況が状況なだけに非常にきまずい。

 相手は相手で、たくましい体つきをしているわりにコミュ障っぽいしどうしたものか……。


 そうして互いに目を合わせることもなく、ただ草木の揺らめく音が辺りを支配すること数分――。


「あ、あの……これ」

「!」


 静寂を破ったのは少年の方だった。

 彼がおどおどしながらも、裸の俺に自身が羽織っていたマントを差し出してきたのだ。

 ここはありがたく受け取り、即座に羽織る。


「ありがとう……えっと」

「あっ! いや! ボクはその! そういうのはちょっと……!!」


 そういうのって何だよ!

 いやまあ? 森の中歩いてたらいきなり素っ裸の女が出てきたらそりゃビビるし痴女だと思うのはまだわかるよ!

 しかしだなあ……。


「そういうのも何もないって。俺、路頭に迷ってるっていうか何と言うか……とにかく! 少なくとも痴女ではない!! OK!?」

「は、はぁ……」

「こんな格好だけど、俺も何が何だかわかってなくてさ。ここがどこかもさっぱりだし」

「そ……そうなんですか? ……でも確かに、この辺りに『エルフの里』があるなんて聞いたこともなかったですし……」

「―――ん?」


 俺は少年が発したその単語を聞き逃さなかった。

 ファンタジーではお馴染みのあの単語。

 この期に及んで聞き間違えと言うこともあるまい……でもなぜ今?


「? どうかしました……?」

「何故に……エルフの里……?」

「え? だって貴女のその耳。エルフ族ですよね? あれ、もしかして違いました……?」

「………………はあぁぁぁ!?」

「ぅわあぁっ! 大きな声ださないでくださいいぃぃ」


 もうそんな体力無いと思ってたのに、相当派手に声をあげてしまった。

 いや、でもそりゃ出るだろ!!

 慌てて細く華奢になってしまった両手を耳のある位置へと持っていく。

 触った感じ15センチとかそのくらい……?

 体感手も小さくなっている様なのでどのくらいかはざっくりだが、まあ長い。


 彼の言う通り、どうやら俺の体はエルフの女の子に……人間ですらなくなってしまったようだ。


「……ごめん。エルフみたいだ。多分」


 頭では理解しても、やっぱり認めたくない。

 そんな感情が俺の言葉に見え隠れする。

 しかしそれを聞く少年はというと、なぜか先ほどよりも一層に怯えてしまっているようだった。

 確かに急に大声をあげれば驚くのはわかる。でもこれは流石に異常ではないのか。


「ね、ねえ……? 俺、何かまずいことでも――」

「あ……ああぁ!」


 心配して少年へと歩み寄ろうとする……その矢先。

 少年の表情が明らかに恐怖のそれに代わった。


「うわあああああああああああ!!!」

「え!? ちょっと!!!」


 俺が引き留めようとするのもむなしく、少年は一目散に逃げて行ってしまう。

 しかし彼にはまだ聞きたいことがあったのだ。

 すぐにでも追いかけ―――。



 ――ベロン!!!



「――――っ!?!?」


 追いかけようとした直後。

 俺の柔らかな頬が、何か大きな舌で舐められたような感触に襲われた。

 そして同時に、今までに感じたどの感覚にも似つかない……体が硬直するほどの奇妙な悪寒と恐怖が、体全身を覆った。


(え……? 何? 俺、今なにされ――)

「ひっ!?」


 考える間もなく、今度は肩に重荷がかかる。

 感触からして手だ。それも到底人間の物とは思えない大きさ……少なくとも一回り……いや、二回りは大きい。


 意を決し恐る恐る肩へと視線を向けてみると、そこには深い緑色の武骨な手――そしてそのすぐ上には、異形としか言いようのない顔がのぞき込んでいた。

 形が悪くでこぼことした頭部、眉が無く掘りの深い目、大きな豚鼻、鋭い牙がはみ出し、唾液の漏れ出る大口……ああ知っているとも。アニメとかゲーム、ファンタジーならよく見るヤツだ!そう、これはまさしく……。


「……オーク……ッ!?」


 一人になったところをごついオークに襲われるエルフとか、そんなテンプレみたいなこと今は求めてないっての!!


 と、とにかく逃げなければ!

 震える体を奮い立たせ、俺は少年の逃げていった前方へと向けて思いっ切り踏み出した――が。



 ――ぐらっ



「ふあっ!?」


 二歩目を踏み出す前に、俺はそのまま前倒しに転んでしまった。

 特に足元に何かがあって踏み外したとか、少年から借りたマントに引っかかったとか、オークの手を振り切るのに失敗したとか、そういった外的な要因ではない。

 もっとシンプルな、至極簡単な理由。


 そう――元の体との体格差から生じた、身体感覚のズレ。


 明らかに、体感として踏み出した歩幅が短かかった。

 しかし今は自分の体格がどうこうだとか考えている暇はない。

 すぐさま次の一歩を踏み出そうと、慣れない体に力を込めて起き上がる。

 そして今さっきの歩幅を参考に、できるだけ体感覚をイメージで補って足を踏み出す。

 ―――が。


「いたっ!」


 踏み出した矢先、今度は思いっ切り何かに頭をぶつけてしまった。

 恐る恐る顔を上げてみると、そこには先ほどのオークより一回り小さく、体色も少しばかり明るめのオークの姿。

 ああ、最悪だ……つまりこれは……。


(挟まれた……ッ!?)


 絶体絶命、大ピンチ――そうとしか言いようのない状況だ。

 尻もちをついた俺の体は、とうとう迫りくる恐怖に言うことを利かなくなってしまった。


 後ろから迫ってきていたオークもとうとう俺に追いつき、前に立つオークと共に、すっかり膝が笑ってしまって動けない俺を見下ろしてくる。

 そして小さい方のオークがギラつかせた目を大きい方のオークに向け、その禍々しい口を開いた。


「アンタ、この子どーしたんだい」

「いんや知らん。なんか困ってそーだったけん話しかけようとしたら逃げられてもーたわ」


「…………????」


 ……は?

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