0:2 「今日から俺はエルナです。」

 深い深い森の奥。

 そこにはオークの夫婦がひっそりと暮らしている一件の小屋があります。


「ささ、食べー食べー!」

「遠慮せんでえーぞ」

「え……ええ……」


 長テーブルの上に出されたのは、これでもかという量のフランスパンとカレー……のような何か。

 そしてひとしきり出し切った妻オークは、満足顔で厨房に戻っていく。

 見たところ大きくて体色が濃いのがオス、一回り小さくて体色が薄いのがメスらしいが、そんなことはどうでもいい。


 俺はあの後、流暢に話し始めたオーク夫妻になす術もなく攫われ……なぜか盛大にもてなされていました。


「あ、あの……」

「おおん? なんじゃー、口に合わんか」

「いや、そうじゃなくて……どうして見ず知らずの俺にこんなこと……」


 してくれるのか――と言い切る前に、オーク夫婦はゲラゲラと愉快な笑い声を響かせる。

 そして夫オークが俺を指さし、その愉快な声のままに言った。


「バーカ! 困ってるヤツ助けんのに理由がいるか!!」


 助けるにしてはちょっと雑じゃありませんでしたか!?

 ……と言っても俺だって夫オークを見て逃げだした訳だし、多少は目を瞑るべきなのだろうか。

 しかし、だったらあの時感じた悪寒は気のせいだったのだろうか。そうだとしたら俺にも非はあると思うけれど……何はともあれ、助けてくれたのならまずは言うべきことがある。


「そ、それは……ありがとうございま  むぐッ!!」

「んなこと言っとらんでさっさ食えー! どーせ何も食っとらんで腹減ってんだろー! がっははははは!!」


 お礼を言ったところに夫オークがパンを思いっ切り口の中に突っ込んでくる。

 ……確かにまあ、まだ転生してから何も口にしてないけど……このパン、固い。固くてぱさぱさしてる。

 まあ、パンって元々そういう物だったらしいし、文句を言うのは野暮ってもんだろう。

 突っ込まれたパンを自分の手で持ち直し、落ち着いて咀嚼する。

 何となくだが、口も小さくなっているのが分かる気がする……もしくはこのパンが無駄にデカいだけか。

 最初の一口を少し時間をかけて飲み込むと、次はパンをちぎってカレーに浸してみる。

 見た目は完全にカレー……なのだが、実際のところどこかおどろおどろしいというか、ナゾの邪気のようなものを感じる。考え過ぎだろうか。

 とりあえず一口……。


「……カ、カレー……?」


 味は多分カレー……の様な気がする。でもなんか違う。

 辛くない……かといって甘口でもない、すごく物足りない感じがした。

 あまり細かい味の違いなど気にしない俺でもわかるほどの、はっきりとした物足りなさ。スパイスだけではない、なんかこう……とにかく何かが足りないのだ。


「あの、これ……」

「ん? なんじゃ、やっぱ口にあわんか」

「いや! 合わないというかその、失礼ですが……何か足りない気がして」

「――なんじゃと?」


 夫オークの目つきが変わった。

 連れられる前……後ろから迫られたときに感じたあの悪寒と同質のそれを感じ、俺の体が一瞬硬直する。

 そしてその危機を脱しようと、ただでさえ高い声が更にワントーン高くなって発せられた。


「いえ! やっぱりなんでもないです!! 美味しいで――」

「……ちょっとまっとれ」

「っ――!!」

「かーさーん!! これっぽっちじゃあ全然足りんとよ!! ありったけもってきー!!!」


 ……違う、そうじゃない。

 量の問題じゃないんです!! 質の問題なんです!!

 いや、そういう訳でもないんだけどさ!

 このままでは下手したら長テーブル一杯どころか地面一杯になりかねない!。

 声を大にして訂正したいところだが、夫オークは壁越しに厨房のある背後を向いてひたすらに「かーさーん!!!」と叫び続けている。

 何度も何度も、小さな小屋に夫オークの声がこだまする――が、妻オークが返事をすることはない。


「……かーさーん?」

「な、何かあったんでしょうか?」

「…………ちょっとまっとれ」


 夫オークが明らかに声のトーンを落として重々しくそう言うと、後ろに立てかけてあった棍棒を手に持ち、のしのしと厨房へ向かう……そして。

 ―――慎重に厨房を覗いた瞬間、夫オークの頬に一筋の切れ目が刻まれる。


「な……ッ!? キサマh――」


 その直後、夫オークは言葉を発し終える前に倒れてしまった。


「オっ……オークさん!?」


 すぐに俺は立ち上がり、倒れた夫オークの元へ駆けつける。

 ……が。


「ひっ……!!!???」


 くっきり、はっきりと、首の中に詰まっているものがよく見えてしまう。

 ――オーク夫婦の頭は跡形もなく、そこには血の一滴すらも流れてはいなかったのだ。


 見てはいけない……しかし、硬直した体と目はその生々しい2体の亡骸を見続け、脳裏に焼き付ける。

 そしてすぐに激しい吐き気に襲われた俺は膝をつき、大して入っていない胃袋の中身を空っぽにしてしまった。


 一体だれがこんなことを……!?

 出すものを出し、多少の落ち着きを取り戻した脳が、怒りと同時にその疑問を追求しようとし始める。

 多少の乱暴さがあったとはいえ、助けてくれると言った人(人ではないが)が目の前で殺されては気が気でいられない。

 しかしその答えは、自ら俺の背後からやってきた。


「……大丈夫ですか?」

「ッ――!!」


 聞き覚えのある声だった。

 声の聞こえた方へ顔を向けると、そこには大きな……オークの首が2つは入るであろう袋を持った少年が立っていた。

 そう、どう見ても、先ほど俺の背後に迫ってきた夫オークにビビって逃げ出したあの少年なのだ。

 もう頭が理解することを拒んで何も言葉が出てこない。

 ひたすらに恐怖に染まった視線を少年に送ると、彼は上――小屋の天井を指さして言った。


「見てみてください……上を」

「ふぇ……???」


 逆らえば自分もオーク夫婦と同じ目にあわされるかもしれない。

 仕方なく、言われるがままに彼の指さした天井へ、重い首を動かしてみる。


「………―――ッッッ!?!?!?!?」


 言葉を失った。

 目の前に待ち受けていた光景に、悲鳴を上げようにも声が出てこなかった。

 小屋の天井……そのほぼすべてを埋め尽くすように、人の頭蓋骨が敷き詰められていたのだ。


「貴女も、もうすこしでこの骸骨たちの仲間入りをするところでしたよ」

「……そ、それってどういう――」

「森のオークは策士です。助けるなどと言葉巧みに自分のテリトリーに誘い込み、食事に睡眠薬を盛るんです。そして寝ているうちに……」


 少年は喰われるという表現を手で表して見せる。

 その仕草と同時に俺の体も寒気を感じる。少年が助けに来てくれなかったらどうなってい……。


 ……いや、違う。


「まさか……」

「すみません。貴女を囮にしてしまいました。申し遅れましたが僕は『ファル・ナーガ』。この夫婦を討伐するためにこの森へ来た冒険者です。」

「あ……俺は」


 少年が自己紹介するのにつられ、俺も名乗らなければと口を開くが、名前を出す直前で我が脳みそがストップをかけてくる。


 俺を囮にした……ということはだ。

 さっきの慌てようも全部演技だったと? だとしたら、オーク夫婦なんかよりもよっぽど策士だし、信用ならない。

 名乗るにしても偽名がいいだろう。

 そうだな……よし


「俺はエルナ――エルナ・レディレーク」


 恵月えづきの月をルナと読ませて、ファーストネームは適当……我ながらファンタジー感でたんじゃないでしょうか。


「エルナさん。ですか……いい名前です。路頭に迷っている……と、おっしゃってましたよね。お詫びと言っては何ですが、近くの町まで案内しますよ。僕もこれから向かうところですし。どうせですから、そこで衣服も一式揃えていくといいでしょう」

「……それはありがたいけど、質問してもいい?」

「? なんでしょうか」

「さっきの……あの態度は全部演技だったのか?」


 意を決して聞いてみる。

 町まで案内してもらうということは、それまではこの少年に背中を預けるということ。

 彼の言うことが信用できるかどうかはともかく、これだけは聞いておかねば気が済まない。


「ああ、これはすみません。あの時は急に貴女が出てきたもので……少なくとも、最初に痴女だと言ってしまったのは本気でした。あと、最後の大声も……こう見えて、あのような叫び声には少々トラウマがありまして。そこに丁度オークがおびき寄せられたので、利用させてもらいました。安心してください、貴女を捕って食ったりはしませんよ。エルフが殺生を嫌うのは良く知っていますから」


 かしこまって言うファルの態度には、とりあえず嘘はないように思えた。

 どのみち親父がいる場所の手掛かりをつかむためにも、人里に行って情報収集をせねばなるまい。

 警戒はするに越したことはないが、ここは彼に甘えておくべきだろう。


「……わかった。とりあえず信用はする。ちなみに近くの町ってどの辺?」

「ええ。ここから一番近いのは【ファメール】です。2,3時間も歩けばつく距離ですよ。ひとまず、これを履いてください」


 少年がそう言うと、懐からぼろ草履を取り出して俺に差し出した。

 ……そうか、今マント一枚の下は素っ裸だったんだ……すっかり忘れてた。

 ということはこの格好で町の中に入ると!?


「…………マジか……」

「どうかしましたか?」

「! い、いやなんでもない!!行こう、ここには長居したくないし」


 俺はぼろ草履を受け取ると、手早く履いて立ち上がった。

 疑っておいてなんだが、マントといいこの草履といい、なんだかんだで彼には助けられている。

 このお礼だけは後程しっかりとしなければ。


「サイズは何とか問題なさそうですね。では行きましょうか、その格好で何時間も歩くのは辛いと思いますが、頑張ってください」

「えっ あ、う、うん……よろしくお願いします」


 思わぬ言葉に少し格好いいとか思ってしまった。

 いや、そういうんじゃない……決して。ホモはNG。

 しかしまあ、裸足よりはマシとはいえ確かに2,3時間ぼろ草履で歩くのはきついだろう……頑張ろ。

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