第二十八章 激戦の彼方に -7-

 神聖術セイクリッドを封じる。

 それはつまり、虚空の記録アカシックへの門を絶つということだ。

 本当にそんなことができるのかはわからないが、太陽神の翼エツィオーグ・デ・ルー神の眼スール・デ・ディア紅焔ジャラグティーナ魔力の泉ドライオット・ヤーラッハも使えなくなれば、どう考えても大軍の攻撃を防ぐことはできない。

 魔術自体は使えるが、規模は小さなものになるだろう。

 数十人程度を撃退したとしても、焼け石に水なのだ。


「それが本当なら、プトヴァイスは落ちます」


 ぼくの言葉に、先生も頷く。

 竜化ドラヘン・フェアヴァルトムンクが封じられれば、先生だって大軍を相手にするような威力の攻撃はできなくなるのだ。


「ハンス、お前はボーメン王がいつプトヴァイスに到着するかわかるか?」

「──ケルテース・ラースローの妨害を無視して進んでいますが、それでも到着は明後日になるでしょう」

「明日一日持たせなきゃならねえのか。あの化け物を前にして」


 ハンスの返答に、先生は苦虫を噛み潰す。

 頭の中で、明日の戦闘のシミュレートをしているのだろう。

 だが、ぼくには手が見つからなかった。

 先生も似たようなものだろう。


「ハンス、クルト・フォン・シュトローマーは撤退すると思うか?」

「──此処で退くようなら、クルト卿は五騎で先行などしません。最後まで、プトヴァイスを守るために戦うでしょう」

「ああ、お前さんと似たような石頭だったよな、彼も」


 自信過剰で無茶で無謀なクリングヴァル先生だが、それでも勝てると思っているから前に進めるのだ。

 勝ち筋が見えないなら、撤退も視野に入れる柔軟性はある。

 だが、クルト卿は退かないだろう。

 元々、彼の計算にはぼくたちは入っていなかった。

 あえて言うならば、クルト卿はプトヴァイスに死にに来たのだ。

 そして、ボーメン王がプトヴァイスを見捨てなかったという事実を作ろうとしている。

 そんな彼が、撤退を承諾するはずがない。


「じゃあ、もう道はひとつしかねえぜ、アラナン」


 先生の口許が、ふてぶてしく歪む。

 猛烈に嫌な予感がした。

 中等科で先生の弟子になって以来、こういう笑いの後は大抵ろくなことにならない。


「──まさか、夜襲を仕掛けて、夜明けまでにエーストライヒ公を討ち取ろうとか言いませんよね……?」

「おお、わかっているじゃねえか、アラナン。おれの教えをよく理解しているな」


 冗談じゃない。

 確かに、神力を封じられる前に決着を付けてしまおうと言うのは、理にかなっている。

 だが、一万の軍勢に二人で攻め込むとか、自殺志願者としか思えない。

 向こうには、イシュバラやセンガンだっているのだ。

 どう考えても、エーストライヒ公までたどり着けるちは思えない。

 よしんばたどり着いたとしても──。


 イフターバ・アティードに勝てるのだろうか?


「クリングヴァル先生、それは敵の罠に飛び込むようなものかと」


 冷静な口調で、ハンスが口を挟んできた。


「何故、彼らがわざわざ明朝まで猶予を与えたか、考えていました。もし、本当にアローンの杖があるなら、普通に攻撃してその中で使えばいいだけです。発動に時間が掛かるとも思いましたが、それでも降伏の通告をする意味はありません。結局これは、先生とアラナン君を逃がさずに殺すための罠と考えるべきです」

「──なるほど。攻城時に使っても、神聖術セイクリッドが封じられれば、ぼくたちは逃げるかもしれない。それより、封じられる前にと突撃したところで使えば、包囲されたぼくらは脱出もできずに殺されるしかなくなる。そういうことかな、ハンス」

「そうだ、アラナン君。エーストライヒ公は、恐らくプトヴァイス陥落よりも、最大の脅威である先生とアラナン君の排除を優先していると思う。迂闊に懐に飛び込めば、二度と帰ってこれないだろう」


 先生の眉が、ぴくぴくと動いている。

 ハンスの言葉が気に入らないのだろう。

 だが、一理あることは、認めざるを得ない。

 でも、それは、結局打つ手がないと同義だった。


 クルト卿を見捨ててぼくらだけ逃げるか、それともクルト卿と一緒に此処で最後まで戦って屍を晒すか。


 正直、どっちの選択肢も選びたくない。


「──仕方ねえ、とりあえず、クルト・フォン・シュトローマーの意見を聞いてみるか」


 先生が下した決断は、結局クルト卿に投げることだった。

 プトヴァイス防衛の指揮権はクルト卿にあるから当然だが、押し掛け援軍であるぼくたちは彼の指揮下にはない。

 それでも、彼を外して結論を出すことはできなかった。


 南の城壁の上には、みなが集まっていた。


 テオドール・フォン・ライヘンバッハは戦死したが、それ以外の騎士はみな生き残っている。

 最大の激戦地である南の城壁を二日間支えたクルト卿は、やはりただ者ではないだろう。

 アンヴァルの貢献は大であるが、それでも城壁に取り付かれても支えきったのはクルト卿の功績だ。

 衛兵の損耗率は高く、自らも手傷を負ってはいるが、未だその瞳から力は失われていない。


 そんなクルト卿が、先生とハンスの報告を聞いて下した決断は、意外なものであった。


「潮時だろう。ボーメン王国の意地は十分見せた。みなは撤退し、ボーメン王と合流すべし」


 撤退の判断。

 ハンスでも意外そうな顔をしている。

 グスタフ卿はほっとした表情を見せ、ゾフィー卿はいささか無念そうであり、そしてギュンター卿は笑っていた。


「そうじゃな。クルト卿に付き合うのは、老い先短いわしだけでいい。グスタフとゾフィー、それにハンスは本隊と合流して陛下をお助けせい」


 老騎士には、クルト卿の心中が見通せているかのようだった。

 そして、当然のように自分もそれに付き合うと宣言する。

 クルト卿は一瞬口を開きかけたが、その言葉は口の中に消えた。

 代わりに、小さくため息を吐く。


「仕方のない人だな、ご老人。酔狂に付き合う義理もないだろうに」

「なに、わしもいい年じゃて。此処に来たのは、クルト卿と同じ理由だからの。今更引き上げはせんよ。死んでいった衛兵たちに対しても、責任はあるしのう」


 二人の会話に、先生たちは口を挟まなかった。

 ストリンドベリ先生は戦斧を担ぎながら空を見上げ、エスカモトゥール先生は長い睫毛を伏せて地面を見ている。

 そして、クリングヴァル先生は、腕を組んだまま座り込み、じっと目を閉じていた。


 先生が何を考えているのか、ぼくにはわからない。

 だが、この決断に納得していないのは確かだ。

 そして、何かに悩んでいることも──。


「ビヨルン、マノン、おれたちは全力を尽くしたよな?」


 先生は目を閉じたまま、両脇に佇む二人に話しかけた。


「──できることは、やったと思う」


 押し殺すように、ストリンドベリ先生が言った。


「だらしないと、怒られるかねえ」


 エスカモトゥール先生は、クリングヴァル先生が何を言いたいかわかっているようだった。

 クリングヴァルは目を開けると、振り向いてエスカモトゥール先生を見る。


「仕方ねえ。今回は怒られるぞ。大魔導師ウォーロック飛竜リントブルムを呼ぼう」

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