第二十七章 戦慄のプトヴァイス -5-

 篠つく豪雨。

 障壁で弾いているとはいえ、陰鬱になる雨である。

 だが、これだけ風雨があれば、ぼくでもあれを呼び出せる。

 アルトゥンが使っていた魔術。


 右手をセンガンに向け、親指と人差し指でぱちんと弾く。

 その瞬間、無数の稲妻が、雲と大地の間を走った。

 流石のセンガンも回避できず、直撃を受ける。


「なっ」


 一撃では、センガンの障壁は突破できないか。

 驚愕した表情を浮かべているものの、センガンは無傷で身構えている。


「……?」


 違和感を感じるのか、センガンは首を捻った。

 そりゃ、お前の母親の得意な魔術だからな。

 訝しい思いもあるだろう。

 これには、ぼくも散々いたぶられたんだ。

 お前も少し踊っていけ。


 黒雲から大地に向け、再び雷が落ちる。

 予想していたのか、センガンは安全圏に離脱し、忌々しげに睨んだ。


「それでもアセナの拳士か、アラナン・ドゥリスコル!」

「何度も言うようだが、ぼくはセルトの魔術師だ。拳士じゃない」


 その言葉に怒ったか、センガンの神力が膨れ上がる。

 強大な神力が、両の拳に集約していく。

 あ、これはまずい。

 やつの唯一の遠距離攻撃だ。


「避けろ、アンヴァル」


 咄嗟に叫ぶ。

 同時に、センガンの両手が組み合わされ、竜の顎のようにこちらに向けられる。

 双竜爪牙ツヴィリングドラヒェ

 センガンのオリジナルの絶技。

 向けられた両掌から、竜の咆哮のように怒濤の神力が放出される。

 その奔流を必死に避けるアンヴァル。

 だが、全てを避けきれない。

 巻き込まれる寸前に、何とか障壁に角度を付けて流れを逸らす。

 持つかどうか不安だったが、強化されたぼくの障壁は、センガンの絶技にも十分耐えてくれた。


「もっと早く言いやがれですよ!」

「ぼくが言うより先に感じとれ!」


 アンヴァルと心温まる交流をしている隙に、センガンがぼくたちの上に回り込んだ。

 上方からの撃ち下ろしの拳撃。

 アセナの技ではなくても、センガンの神力が乗っているだけで厄介だ。

 咄嗟に、障壁に全力を注ぐ。

 振り下ろされる右拳。

 障壁に激しい衝撃が伝わったが、何とか破壊されずに耐えきる。


「豆鉄砲じゃ、アンヴァルは倒せませんよ!」


 何故か煽りつつアンヴァルが逃げる。


「ふざけるなあ!」


 怒ったセンガンが追うが、もうアンヴァルが追い付かせない。


「くそ、どういうことだ。前はこんなに障壁が堅くはなかったぞ」

「鍛練をさぼって、そっちが弱くなったんじゃないですか?」


 無用の煽りを入れるアンヴァル。

 かっとなりかけたセンガンだったが、動き出そうとしたところで踏みとどまった。

 空中のスピードではアンヴァルに利があることを、認めざるを得なかったようだ。


「ふん、逃げるやつを相手にしても面白くない。このアセナの拳士の面汚しめ。とっとと失せろ」


 捨て台詞を吐いて、センガンが戻っていく。

 ぼくが何をやっているのか、あいつが理解していなくて幸運だった。

 イシュバラが相手ならこうもいかないだろうが、あいつはぼくの他に誰かいることを警戒してか、荷の側を離れないつもりのようだな。


 その夜、豪雨は嵐となってずっと山道に降り続いた。

 そして、その雨は翌日になっても止むことはなかった。


 天幕を片付け、エーストライヒ公国軍の先遣隊が前進を開始する。

 だが、北に少し進むともうそこは嵐の圏内だ。

 視界も悪く、叩き付けるような雨に、前進の速度は落ちざるを得ない。

 その上、暫く行くと道は泥濘と化し、容易に進軍することは叶わなかった。


泥濘化クアッグマイアーなんて陰湿な術、よく思い付くですよ」

「幸い、陰湿な敵に恵まれたものでね」


 あれは元々ツェーリンゲン家の魔法師が、ぼくに向けて使ってきた魔法だ。

 今回は、土と水の魔術で同様の効果を出したが、別にぼくのオリジナルではない。

 単純な術だが、この泥は進軍の妨害に絶大な効果を発揮した。

 先鋒の行軍は遅々として進まず、後続の兵は一向に進まぬ列に痺れを切らしていた。


「二、三日はこれで稼げるんじゃないか?」

「そうですね。──このまま行ければ、ですが」


 ミュールシュタットから国境の関所まで、普通に行軍すれば一日だ。

 だが、この暴風雨と泥濘で、彼らの進軍距離は四分の一も稼げていなかった。

 その上、時折轟く雷鳴が、兵士たちの士気を更に下げる。

 垂れ込める雲で日没もわからず、彼らは午後の早い時間に行軍を諦め、設営の準備をしようとした。

 しかし、当然この泥では馬車が立ち往生し、物資は前線までなかなか届かなかった。

 ずぶ濡れになりながら岩陰に避難し、兵士たちは呪詛の声を漏らす。

 それでも座り込めた彼らはまだましである。

 後続の兵は、まだまだ泥と風雨に苦闘中であった。


 この先遣隊の窮状に、エーストライヒ公国軍もいつまでも手をこまねいているはずがない。

 翌朝になると、虎の子の魔法師部隊を派遣してきた。

 高級そうな天鵞絨のローブをまとった十人ばかりの男たちが現れ、杖を掲げて土魔法で泥を土に変えようとする。

 豪雨のせいで苦戦していたが、それでも目論見は成功し、彼らは一マイル(約千六百メートル)ほどの道を土に変えることに成功した。

 それを見た兵士たちは沸いたが、魔法師たちの魔力はそこで尽き、早々に引っ込んでしまった。

 兵士たちは落胆し、座り込んでしまう。

 これでは、一日に一マイル(約千六百メートル)しか進めない。


「役に立たない魔法師ばかりじゃないですか」


 アンヴァルは嘲笑したが、あれが普通だ。

 世間の一般的なレベルの魔法師は、学院の初等科から中等科の力しか持たない。

 あれでも、優秀な方だろう。


 翌日に現れたのは、赤い甲冑を身につけた騎士である。

 面頬を上げた顔は、よく見知ったものであった。

 エーストライヒ公の懐刀、シュヴァルツェンベルク伯ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルク。

 厄介なやつが出てきた、とぼくは直感的に思った。


 やつはそれなりに強い魔法騎士であるが、正面から戦えばぼくの敵ではない。

 だが、厄介なのはその知謀だ。

 やつは間違いなく、これが人為的に起こされたものであることに気付く。

 そうすれば、当然その原因を取り除きに来るだろう。

 無論、自分で来るような無謀なやつではない。

 そう、考えなくてもわかっている。

 来るのは、センガンとイシュバラだ。


「逃げるぞ、アンヴァル! 全速力でぶっ飛ばせ!」


 センガンとイシュバラが動いた瞬間、ぼくらは脱兎のごとく逃げ出した。

 センガン一人なら逃げ回れても、イシュバラまで来たらとても無理だ。

 魔術の制御もほっぽり出し、とにかく北に向かって全速力で飛び去った。


 センガンとイシュバラは暫く追ってきたが、国境を越えて暫くすると、諦めて引き返した。

 追跡してくる魔力がないのを確認すると、アンヴァルと二人で大きく息を吐く。


「あの小生意気な小僧もおっかなかったですが、おっさんの方は背筋が凍る思いだったですよ。あんなのがいるなら、アンヴァルは危険任務手当を要求するですよ!」

「イシュバラに追われて生きて帰れたなら、命があるのが最大の報酬だよ」


 本当に冗談ではない。

 これだけ強くなったつもりでいるぼくでさえ、イシュバラの視線に寒気を覚えたのだ。

 もう、小細工は通用しないだろう。

 シュヴァルツェンベルク伯が前線に出てきた以上、遅滞戦闘には別な手段を考えねばならない。

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