第二十七章 戦慄のプトヴァイス -6-

 嵐の去った街道を、エーストライヒ公国軍は再び進軍し始めた。

 もっとも、雨と風と雷は止んだが、道は泥と化したままである。

 その対応として、先遣隊の兵は、シュヴァルツェンベルク伯の命で大量の藁を確保してきていた。

 彼らは藁を泥に投げ入れると、歩きやすくなった道を踏みしめ、歓声を上げながら北上する。


「アラナン、これだとあと三、四日でプトヴァイスまで来ちゃいそうですよ」

「六日は稼いだ。四日もすればプラーガにボーメン王国軍が集結するが、南下する時間がいる。残っている策はひとつだけだけど、それで少しでも稼ぐしかないな」


 迂闊に近付けないぼくらは、遠間から魔力を隠しつつ観察するしかない。


 連中の進軍速度は、藁を運んで投げ入れる分、通常行軍よりは遅かった。

 通常の行軍の半分くらいの速度か?

 ちょうど日が中天にかかる頃、ようやく国境のエーストライヒ側の関所があるアイゼンヴィッツの手前まで辿り着いた。


「見えたぞ!」


 苦労して道を切り開いてきた兵士たちは、歓呼の声を上げた。

 騎士たちは、屋根のあるところで休めるとほっとする。

 いくらアイゼンヴィッツが狭くても、高級士官くらいは中で休めるはずだ。

 そう、連中が気を抜いたタイミング。

 ぼくが仕掛けた最後の策。


 小さな爆発の音の後、徐々に大きくなる崩落音に、兵士たちは訝しげに視線を交わしあった。

 そして、音のする東側を仰ぎ見て、硬直する。

 彼らが見たのは、怒濤。

 比喩ではなく、鉄砲水と化したアイゼンヴィッツ川の流れが、稜線を駆け下りてきていたのだ。


「土の魔術でアイゼンヴィッツ川の流れを塞き止めていたんですか。えぐいことをしやがりますね」


 アンヴァルが、いつものように毒舌を吐く。

 確かに、水に流されていく兵士たちを見れば哀れに思う心はある。

 だが、これは戦争だ。

 相手が殺しに来ている以上、こちらも黙って殺されるわけにはいかない。


「あれだけの豪雨で、川の流れが増水していないことに気が付かないのが悪いのさ。水は、低い方に流れる。山道を登ってきたエーストライヒ軍の被害は、甚大だろうな」


 こいつのいいところは、ぼくの魔力をほとんど使わないことだ。

 お陰で、センガンやイシュバラが迎撃に上がってくることがない。

 慌てずに、状況を確認することができる。


「折角歩きやすくした道も、ぐしゃぐしゃですね」

「人も物資も大分流されただろう。二、三日は立て直せないさ」


 これで、手は出し尽くした。

 後は、プトヴァイスで味方が到着するまで耐えるしかない。

 なに、先生たちがいれば、多少は持つだろうさ。


 アンヴァルを促して、プトヴァイスまで後退する。

 久しぶりの街の中だ。

 野営とも言えないような生活を一週間近く続けていると、流石に文明が恋しくなる。

 今日は宿に泊まりたいところだ。


 クリングヴァル先生たちと連絡を取り、宿泊している宿を訪ねる。

 再会した先生たちは、やや憔悴していたが、ぼくの無事を喜んでくれた。


「一人でエーストライヒ公国軍を足止めしていると聞いていたけれど、よく生きていたねえ、アラナン」


 エスカモトゥール先生が、涙ぐみながらぼくを抱きしめる。


「まあ、直接戦いはしなかったですからね。基本的には、魔術で引っ掻き回していただけです」


 実際、ウルクパルやアルトゥンと戦っていたときほど、命の危険はなかった。

 そういう状況にならないよう逃げ回っていたからな。

 いささか面映ゆい。


「なあに、巧く立ち回った上に結果も残したんだ。上々じゃねえか。で、連中がこっちに来るのはいつくらいだ」

「そうですね。国境を越えるのが二、三日後、プトヴァイスへの到着は五、六日後でしょうか」

「少し足りねえな。数日は持たせなきゃならねえのか。ま、無理なら諦めて北に退かざるを得ないが……」


 クリングヴァル先生も喜色を浮かべているが、無精髭や整えていない髪が目立つ。

 エスカモトゥール先生がいてこれだ。

 それほど余裕がないのか。


聖典教団タナハの状況はどうです?」

「拠点は三つ潰した。だが、全部とは考えられない。まだ、相当数潜んでいるだろうな」


 拠点を潰しても、一般大衆に紛れ込んでいる教団員は炙り出せない。

 人数もいない中、よく三つも潰したと言うべきだろうか。


「クルト・フォン・シュトローマー卿が、小身の帝国騎士ライヒスリッターを五名ばかり連れて先行してくれたのさ。お陰で、プトヴァイスの衛兵も協力的だ」


 クルト卿と言えば、選帝侯会議で黒騎士シュヴァルツリッターと一緒にいた騎士だ。

 反大司教派の騎士たちの領袖だったはず。

 黒騎士シュヴァルツリッターほどではないが、手練れの騎士だ。

 プトヴァイス防衛の指揮は彼が執るのだろうか。


「プトヴァイスの衛兵は百名ばかり。素人に毛が生えた程度だが、ボーメン王の命で一応クルト卿が指示を出すことになっている。貧乏くじを引かされた格好だが、彼はそう悪いやつじゃない。殺すにはちょっと惜しい。何とかしてやりたいんだけどよ」


 頬杖を突きながら、クリングヴァル先生がため息を吐く。


「このままだとちょっと厳しい。エーストライヒ公国軍が到着すると同時に聖典教団タナハの蜂起。それを想定に入れないとならなさそうだ」


 基本的に、籠城と言っても長くは持たない。

 城壁程度、センガンやイシュバラなら幾らでも砕ける。

 だが、それを抜きにしても、内側から挟み撃ちにされたんじゃろくに戦うこともできない。

 状況はほぼ詰んでいるが、それでもやるだけはやらないと。


「ぎりぎりまで聖典教団タナハの捜索は続けるが、連中が到着したときの対応も考えねばならぬ。エーストライヒ公国軍の中で一番厄介なのはイシュバラで、これはスヴェンに任せるしかない」


 ストリンドベリ先生の重苦しい声が、宿の部屋の中に響く。


「センガンが出てきたら、おれが注意を惹き付ける。マノンは、城門を開けようとする教団員を始末しろ。そして、アラナンは、それ以外の公国軍兵士の攻撃を全部防げ」


 本当ですか!

 ぼくの担当範囲が広すぎる気がするんですが。

 とは言え、ストリンドベリ先生が本当にセンガンを相手にできるのか。

 そこにも不安はある。

 ストリンドベリ先生はフェストに出場して恥ずかしくない強者ではあるが、その実力はシュヴァルツェンベルク伯と同格だろう。

 いまのぼくやセンガンと比べたら、二段階くらい落ちる。

 まともに戦えば、勝ち目はあるまい。


「心配するな。ビヨルンがだらしねえ様を見せるようなら、おれがイシュバラとセンガン両方相手にするさ」


 確かに、いまのクリングヴァル先生は絶対的な強さがある。

 だが、イシュバラから感じた強者の風格は、先生とそう変わらなかった。

 幾ら先生でも、あのイシュバラとセンガンを同時に相手にするのはきつい。

 かと言って、ぼくだって大軍を相手にしながらセンガンまで手は回らない。


「勝とうと思うんじゃないよ。はなっから無理さね。何とか耐えて、時間を稼ぎな」


 エスカモトゥール先生が、ぼくの髪をくしゃっとかき回した。

 これは、地獄のような数日になるだろう。

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