第二十七章 戦慄のプトヴァイス -4-
ミュールシュタットに到着したエーストライヒ公国軍を待っていたのは、食事もなく天幕もないという現実であった。
生活に必要な物資を失っただけではなく、大量の武器や矢玉をも喪失したのである。
前衛の指揮官が誰かは知らないが、エーストライヒ公に首を飛ばされてもおかしくない失態だろう。
ぼくとアンヴァルは、国境付近から観察を続ける。
ノートゥーン伯には、遅滞戦闘を行うとだけ言ってある。
ジリオーラ先輩には何とか北上を遅らせるので、ボーメン王を引っ張り出してくれと頼んだ。
クリングヴァル先生には、エーストライヒ公国軍が北上するまでに
だが、これは難しいだろう。
騒動を起こす前の教徒は、ただの一般人だ。
殺したり捕まえたりできるわけがない。
せめて、連中の本拠地くらい目星を付けてくれれば。
できれば、大火になる前に消し止めたいしな。
「連中、食糧の調達に必死ですよ」
アンヴァルの言う通り、エーストライヒ公国軍は現地での食糧調達に懸命であった。
ミュールシュタット村を搾り上げたが、この村ひとつで賄えるものではない。
付近の村にまで遠征し、徴発をしまくっている。
他に、狩りや野草で調達している連中もいた。
古参の傭兵なんかは非常食を携帯しているようで、比較的落ち着いているな。
「次の荷馬車が来るのは明日あたりかな。物資をリンツに集積しているはずだもんな。ミュールシュタットまで持ってくるのは容易い」
「じゃあ、一度アンヴァルたちも物資を調達しときましょう。あの年増がいないから、アラナンはそれほど食べ物を持っていないはずですよ」
いや、ぼくも結構大量に食糧を
足りなくなるのは、誰かが食い尽くすせいだと思うんだけれどなあ。
国境とプトヴァイスの中間にあるカプリッツ村まで後退し、物資の補給をすることにした。
戦争の気配を感じてか、食糧は目が飛び出るほど高かった。
ぼったくるにも、ほどがあるだろう金額だ。
この買い出しは、恐ろしいことに自費の持ち出しなんだぞ。
後で請求したら、払ってくれるだろうか?
エーストライヒ公国軍がミュールシュタットまで迫っていることを知っても、彼らは動じはしなかった。
一応、同じ帝国の民なのだ。
抵抗が無駄ならば、降参するしかない。
こんな小村の民衆など、エーストライヒ公国軍も虐殺するほど興味は持っていないだろう。
とはいえ、占領されれば、物資の徴発は免れまい。
それを知った村人たちは、少し値引きして金を返してくれた。
くっ、少しいい人ぶったって、ぼったくった過去は消えないんだから!
「国境線の関所には、伝えなくていいですか?」
「ミュールシュタットにエーストライヒ公国軍が到着しているのに、その情報も入手していないようなら、国境の関所を守る兵士として失格だよ」
ま、実際のところ、関所にいるのは徴税の官吏と警察権を持つ衛兵だけで、軍人はいない。
帝国内の国境に軍を張り付けておくのは、流石に平時では問題だ。
だから、致し方ないとはいえ、少しは働けって気にもなる。
それでも、無視するのも忍びないと一応情報だけは伝えることにした。
色々面倒そうなことを聞かれるのを一切無視して、エーストライヒ公国軍の先鋒がミュールシュタット村に到達していることだけ伝え、さっさと空に逃げる。
後はどうしようと連中の自由だ。
信じるもよし。
信じないもよし。
逃げ出したとしても、戦力差を考えたら責められない。
翌日、新たに物資を積んだ荷馬車が北上してくる。
上空から観察するが、明らかな強者の気配を察知してアンヴァルと顔を見合わせる。
「いやがるですね」
「まさか、センガンとイシュバラ二人同時に出てくるとは思わなかったよ」
この距離でも、イシュバラはこっちの魔力を感知しているようだ。
明らかに、注意をこちらに向けている。
こっちが動けば、すぐに対応してくるだろう。
「センガン一人ならまだしも、イシュバラもいるんじゃ無理だな。荷馬車襲撃は諦めて、次の手に移ろう」
「やれやれ。この先の苦労が想像できるですよ」
アンヴァルの無駄口に反論はできなかった。
ぼくも、この先に明るい展望が見出だせなかったのだ。
襲撃を諦めて国境まで後退する。
イシュバラは、追っては来なかった。
荷馬車の護衛が優先だったのだろう。
みすみす先遣隊に補給を許すことになり、手が出せない悔しさに歯噛みする。
ミュールシュタットの将兵に活気が戻り、天幕や煮炊きの準備が進められていく。
「どうするですか、アラナン」
「まずは、豪雨でも呼ぶかな」
魔術は自然の魔力を集めて大規模な術式を行使できるが、その範囲はやはり元々の自分の魔力の大きさに比例する。
今までのぼくでは、競技場くらいの広さでしか魔術を行使できなかった。
だが、いまのぼくなら、山のひとつやふたつはカバーできる。
黒雲が集まり、雨が降り出した。
国境付近の山道に、集中的に降らせる。
街道の東には、川があるな。
ちょうどいい。
こいつにも増水してもらうか。
「アラナン、センガンが出てきたですよ!」
「ちっ。魔術の行使で魔力を感知されたかな。とりあえず、飛び回れ! ぼくもこの規模の魔術行使しながら、あいつの相手はできない」
「無茶ぶりにもほどがあるですよ!」
無茶ぶりではない。
センガンはアセナの秘法、
短距離走なら互角でも、動き回るアンヴァルを捉えることはできまい。
「キミ一人か、アラナン・ドゥリスコル。いつものお仲間はいないのかい」
センガンはそれほど猛り狂っていない。
ひょっとして、まだアルトゥンとウルクパルの死を知らないのかもしれない。
こっちにとっては好都合だ。
「しかし、どういうことだ。キミには、これほどの魔力はなかったはずだが──まるで、魔族のような魔力を手に入れたようだな」
「お喋りな男は、これでも食らえですよ!」
挨拶代わりとばかりに、アンヴァルが口から
高熱の炎の噴射に、さしものセンガンも慌てて回避をした。
あいつの障壁でも、防ぎきれないと判断したか。
「何だ、その馬は。竜のように空を飛び、炎を吐いている。本当に馬なのか?」
「アンヴァルは馬ではなく、神馬ですよ! 一緒にするな、です!」
アンヴァルが時間を稼いでいる間に、雨だけじゃなくて風も呼び出す。
視界が悪化する中、激しく叩き付ける雨に、センガンも閉口しているようだ。
「こんな風雨でボクを倒せるはずがないだろう、アラナン。何を考えている!」
いや、お前はいま相手にしていないよ、センガン!
こいつが脳筋で助かったな。
目の前の敵のことしか考えられないタイプだ。
その間に、こっちは明日の準備をさせてもらおう。
こうなりゃ、持久戦だ。
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