第二十五章 無音の暗殺者 -9-

 先行しているファリニシュからの情報によると、マジャガリーの騎馬隊は幾つもの小隊に分散して西に向かったらしい。

 どの小隊にケルテース・ラースローがいるか、それはファリニシュにもわからなかった。

 何せ前回の遭遇戦で、ラースロー将軍は徹底的に自分の存在を消していたからな。


 このあたりの軍がみなプラーガに集結してしまっているため、小隊に分散しても危険はないと判断したのか。

 彼にとって危険度が高いのは、僅か十九騎のぼくらである。

 ぶつかればマジャガリーの騎馬隊も損耗を免れないが、味方も少数だけに分散されては全てを追うことはできない。


 ケルテース・ラースローが優秀な将軍であることを思い知らされた。

 凡将ならあの騎馬隊は此処に留まり、エーストライヒ公国軍本隊と呼応することもできなくなっただろうに。

 僅かな兵しかいないぼくらのことは、すっぱりと無視してきた。


 いや、ウルクパルが死んだ時点で、個人の武勇でぼくらを凌駕できないと悟ったのか。

 クリングヴァル先生の見立てでは、代わりにセンガンが派遣されてくるだろうと言うことだが、あの人の場合は願望も入っているからな。


 ラースローが捕捉できない以上、プラーガに向かうべきではないか。

 そう思っていたが、ノートゥーン伯の意見は違うらしい。


「クリングヴァル先生とアラナンは、単騎でそれぞれ小隊をひとつ追ってもらいたい。我々もひとつ小隊を追う。騎馬隊の調練にはちょうどいい」

「追えって……どうやって探し当てるのさ。もうかなり先行されているんだけれど」


 ファリニシュが見ている小隊はひとつだけだ。

 それ以外は、消息が知れない。


「騎馬隊が進める進軍路など、それほど多くはない。道を進めばそのうち追い付くさ。原野を進まれたらわからない? 大丈夫、やつらが分散する以上、道を進む小隊も必ずある」


 指揮官はノートゥーン伯だ。

 彼がそう言う以上、ぼくらは従わなければならない。

 ぼくの予想では、伯は騎馬隊の底上げのためにクリングヴァル先生とぼくを外したんじゃないかと思う。

 ぼくらがいると、任せればいいやと思ってしまうからだろう。

 分散した小隊相手なら、先生とぼく抜きで戦うのに適度だと判断したか。


 正直不安だが、仕方ない。

 ぼくは、飛竜騎兵隊シャールカーニアでも探そうかな。


「もう。またアラナンを一人で行かせるなんて! 伯爵ル・コントも何を考えているのかしら」


 朝食後の出立で、ぼくはみなと別れることになる。

 そのせいか、マリーがぷりぷりしながらパンをむしっている。

 パンには罪はないから、殺気を向けるのは可哀想だと思う。


「いやー、ほら、センガンとか来たら、みんな側にいると巻き添え食らって危険じゃない。──隔離?」

「もう、またウルクパルのときみたいにお腹に穴が開いたらどうするのよ! まだ完全に治癒したわけでもないんでしょう?」


 むしったパンに、山のようにジャムを塗りたくっている。

 最近、マリーは食事量が増えている気がするな。

 まあ、この厳しい鍛練についてくるには、十分な食事は必須だろうけれど。


「マリー、マルグリット・クレール! それ以上のジャムの使用は、アンヴァルにパンを食べさせないための行動と見なすですよ! ただちにその行為を止め、大人しくジャムをアンヴァルに渡しやがれです!」

「やだ。ジャムくらい、渡すわよ……あれ?」


 アンヴァルの憤慨に、マリーは慌ててジャムの壺を手に取ったが、急にその手が止まった。


「──空っぽになっちゃった、ごめんなさい」

「よーし、表に出やがれです、マルグリット・クレール! アンヴァルの後ろ足蹴りをお見舞いしてやるです!」


 立ち上がってキックの練習を始めるアンヴァル。

 仕方ないな。

 ジャムを塗ったパンを目の前に持っていくと、蹴りをやめてふらふらとパンに吸い寄せられてくる。


「ほれ、大人しくしてろ」


 パンを渡すと、アンヴァルは無言でかぶりついた。

 喋ることより、食べる方が優先されるようだ。


「で、何が気になっているの?」


 アンヴァルを黙らせたので、ようやくマリーに様子がおかしい理由が聞ける。

 いくらマリーがよく食べるようになったからと言って、これはやりすぎだ。

 もうマリーの皿は、パンの切れ端からジャムが溢れ出している。

 流石にあれは甘すぎて食えまい。

 ──食べられないよな?


「え? べ、別に……」


 普段はマリーの鋭い追求を受けることが多いが、今日は逆だ。

 これだけわかりやすく変だと、いくらぼくが鈍くたってわかる。

 じっと見つめると、マリーはぷいと顔を横に逸らし──そして大きく息を吐いた。


「──アラナンに気付かれるようじゃ、わたしよっぽどおかしかったのね。駄目ねえ、あっちは気付かせてもいないのに」

「マリーの中のぼくの評価に疑問を呈したいところだけれど、その前にあっちって?」

「ほら、気付いていないでしょ。わたしが気になっていたのは、彼女のおかしさよ。──ジリオーラの」


 ジリオーラ先輩?

 朝の鍛練のときも、朝食も普通にやっていて特に変わった様子は見られないけれどな。


「……もう、莫迦ねえ。いつものジリオーラなら、四人掛けの席でアラナンの前でわたしが食べていたら、抜け駆けはあかんで、うちはアラナンの横をもらうっちゅうねんって言って腕くらい組もうとしてくるところよ? それが、あそこでエスカモトゥール先生と食べてるでしょ?」


 エスカモトゥール先生と一緒に食事をしているジリオーラ先輩は、笑顔で雑談などしていて、とても悩みがあるようには見えない。

 だが、マリーにそう言われると、そんな気もしてくる。


「──正直、わたしの中の悪い子が囁くのよ。このままでいいじゃないって。ジリオーラに邪魔されなければ、イライラしたりやきもきしたりしなくて済むって。でも、そうしているとすっごい心がもやもやしてくるのよ。楽しいことも、楽しくなくなっちゃうの。──わかる?」

「うーん、なんとなく?」


 ぼくはマリーほどいい子ではない。

 自分にとって邪魔な存在を助けようとは思わない。

 マリーは両親の愛情を受けて幸せに育ったのだろうか。

 貴族のお嬢様らしいな。


「ジリオーラはカサンドラが死んだことに相当衝撃を受けているわ。何故かわからないけれど、自分を責めてもいる。それでも、無理して平気な顔を取り繕っているのよ。でも、表面だけ。行動がいつもと全然違うの」

「──あれで違うのか。よくわかるね」

「はあ。男ってこれだから。本当に駄目ねえ、アラナン。もう少し細かいところまで目を配らないと、達人にはなれないわよ。武術でも、人生でもね」


 マリーがため息。

 額に手を当てて首を振っている。

 ちえっ、どうせわかりませんよ。

 ──人生の達人は難しそうだなあ。


「アラナン、出発の前にジリオーラと話しなさい。このままの状態だと彼女、次の戦いで危ないわ。話して、元の彼女に戻すのよ」

「ええっ、どうやるのさ、そんなこと」

「──そこまでわたしに言わせるのは、男として失格よ、アラナン」


 マリーは身を乗り出すと、ぴんとぼくの額を人差し指で弾いた。

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