第二十三章 ベールの嵐 -9-
「で、この状態なんです?」
頬に肉を思う様詰め込みながら、アンヴァルが尋ねてくる。
こいつは自分の部下の馬の調練のために遠駆けに出掛けたっきりだったが、ようやく戻ってきたようだ。
「ぼくのせいじゃない」
宿の一階の食堂は、酔い潰れた冒険者たちで死屍累々の有り様だ。
市庁舎を占拠してフロリアン・メルダースを拘束したことで、ベールは完全に
散発的に反抗する者もいたが、シピと高位冒険者が無力化していった。
形式的には連合評議会からの特別依頼という形を取っており、臨時に冒険者たちに法の執行が許可されていた。
「呑気なものだな、ベールの連中は。ヘルヴェティアを取り巻く状況を知っているのか?」
アンヴァルの隣で陰気に葡萄酒を飲んでいるのは、これも最近戻ってきたらしいイグナーツだ。
マヴァガリーからポルスカにかけて派遣されていたらしい。
殺される危険性もあるのによくマヴァガリーに行くよな、こいつも。
「マヴァガリーは戦の準備かい?」
「ああ。もう動員がかかっている。セイレイスへの備えもあるから全軍は動かせないだろうが、半数は北に向かうだろう。ボーメン王国と対決するエーストライヒ公の支援だ」
「セイレイス帝国は動かないよね?」
ぼくの問いに、イグナーツはため息を吐いて冷たい目で睨んできた。
「帝国を叩いたのはお前じゃないか。皇帝も解放されたばかりで軍の再建中、すぐに動けるのはターヒル・ジャリール・ルーカーンの軍くらいだろう」
「そこはむしろジュデッカ共和国への抑えの軍団だしねえ。で、ポルスカはどうなっている感じなの?」
「そっちは、思ったより運がいい。ヤドヴィカめ、フェストで負けた腹いせかデヴレト・ギレイに執着している。軍を南ではなく、クィリム王国に向けるつもりだ」
ああ。
ヴァツワフ・スモラレク騎士団長を討った効果がこんなところで出てくるんだなあ。
ヤドヴィカが子供でよかった。
シュヴァルツェンベルク伯が選帝侯会議に関わっている間に、ポルスカの統制が効かなくなってんのね。
「じゃあ、ボーメン王国は挟撃だけは避けられそうなんだ」
「
なるほどな。
コンスタンツェさんの返還の条件にルウム教会の中立化を求めるわけか。
でも、そんなにコンスタンツェさんに価値があるのかな。
「あれでもルウム教会にとっては貴重な戦力だ。代わりはいないからな。見捨てることはできまい」
イグナーツは断言したが、ぼくにはちょっと疑問だった。
いかに強力な駒とはいえ、一人の人間と引き換えにするほど皇帝継承は軽い問題だろうか。
ただ、大司教たちの軍が動かせなければ、レツェブエル公領の軍が東進できる。
つまり、
ボーメン王国にとっては大いに有利に働くわけで、動かないでいてくれると非常に助かるんだけれどなあ。
「んぐ……でも、結局ボーメン王がエーストライヒ公に勝てるかどうかなんです? アンヴァルは正面からぶつかるとボーメン王が負けると思うんですが」
「辛辣だな」
「いや、このおちびの言うことはそう的外れじゃない。マヴァガリーの騎馬隊を加えたエーストライヒ公軍は強いぞ。ま、このおちびには対抗する方策はすでにあるみたいだけれどよ」
イグナーツが面白そうにアンヴァルの髪をかき回した。
「むぐ……あの爺は高等科の連中で騎馬隊を編成するつもりのようですよ。アンヴァルは、その準備をしてたんです」
「高等科で? 十六人だけの部隊を編成してもたいした打撃力にはならないと思うけれど」
「二十騎なんですよ。クリングヴァルの糞野郎と、ストリンドベリの筋肉達磨と、エスカモトゥールのぺてん師と、特別に中等科からアイゼンブルクの小僧が参加するですよ」
高等科の教員が三人も参加するのか。
今回は、
「待てよ、その騎馬隊は当然マヴァガリーの騎馬隊対策の一環だよな? するとぼくらはロタール公の抑えに向かうヘルヴェティア軍本隊とは別行動なのか?」
「爺は、あの小娘をロタール公国に近付けたくないようですよ。それもあっての作戦でやがります」
おう、本当かよ。
マリーもぼくも、ロタール公に今までのお返しをしてやろうと結構燃えていたのにな。
「ま、面倒だがおれもボーメン王国行きになるだろうよ。あっちで顔を会わせることもあるだろう。──それじゃ、またな」
酔い潰れる冒険者に顔をしかめながら、イグナーツが去っていく。
あいつもマヴァガリーの騎馬隊対策か?
いや──マヴァガリーにはもっと厄介なのがいたか。
あれの相手ができる人間はごく限られた者だけだろう。
イグナーツは、その対応をするということなんだろうか。
しかし、それにしてもこの時期に騎馬隊を創設して練度は大丈夫なんだろうか。
いや、よく考えたら高等科の連中は貴族や騎士が多い。
普通に馬に乗れるやつばっかりだ。
むしろ馬術ではぼくが一番下手な気がする。
馬上戦闘とか普段やらないぞ?
いや、アンヴァルには念話で思えばその通りに動いてくれるから馬術関係ないんだけれどさ。
それにしても、教員の三名はいいとして、中等科のヴォルフガングが特別参加なのか。
あいつだけ、やけに特別扱いされているな。
いや、確かに強いよ。
中等科でも図抜けた強さを持っている。
入学当初から、高等科生に匹敵する強さを持っていたもんな。
それでも、ヘルヴェティアに忠誠を誓ったわけでもない彼が今回の作戦に加わるのは何故だろうな。
「アラナン、そろそろ行くぞ」
宿の二階から、ノートゥーン伯が降りてくる。
騎馬隊の指揮官はやっぱり彼なのかな?
「ぼーっとしているな。大事な会議だぞ」
今日、連合評議会でロタール出兵の評決がなされる。
とはいえ、もう大勢は決しているので選帝侯会議のように足をすくわれることはない。
ベール市長、クウェラ大司教の票が消えたいま、もうアレマン貴族やルウム教会の意向は反映できまい。
ノートゥーン伯も、それがわかっているから神経を尖らせてはいないようだ。
それでも、真面目にきっちりしているのがこの人らしいんだけれどね。
「ノートゥーン伯は、騎馬隊創設の話は聞いているんですか?」
立ち上がりながら小声で尋ねると、伯爵は表情も変えずに小さく頷いた。
「機密だ」
機密って言っても、たかが二十騎程度の騎馬隊を重要視する将軍はいないと思うけれど。
しかも新設の学生ばかりの部隊じゃ、遊びとしか思われないんじゃないかな?
まあ、それでもシュヴァルツェンベルク伯にお返しするいい機会ではあるね。
ポルスカ、フランヒューゲルと、彼には色々と煮え湯を飲まされてきたからな!
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