第二十三章 ベールの嵐 -10-
「ベール市長を拘束するとは、前代未聞の事態。
声を張り上げているのは、オルテの市長である。
テオドール・ズーター。
せかせかと落ち着きのない中年のおっさんだ。
「しかも、
ズーターは、ベール市長フロリアン・メルダースの腰巾着だ。
それなのに、今回の逮捕劇で拘束されてないのは不思議ではある。
だが、今回の事件にズーターの関与した証拠はなかったのだ。
メルダースとコンスタンツェさんの二人にとって、ズーターは謀計をともにするほどの人物ではなかったらしい。
それだけに、いまこうして二人のために憤慨しているのを見ると滑稽に映るな。
「確かに些か強引だよねえ、ティアナン・オニール。慎重なあんたらしくもないんじゃないかい」
静かな声のわりに、えらく迫力のある女性である。
前回の評議会では一度も意見を出していなかったが、彼女の発言はかなり重んじられているのだろう。
評議会の空気が一気に張りつめたものになった。
古都アアルの市長、ヘレナ・キーブルク。
アレマン貴族の血をひく女傑だ。
「仕掛けられれば反撃するのは当然じゃろう?」
ズーターやヘレナさんの追求にも全く動じる様子はない。
「今回の件では、フロリアンがクウェラ大司教と共謀してギルドと学院を陥れんとしたことはすでに明白。証人も確保しておる。必要以上に庇いだてすると、痛くもない腹を探られる結果になるぞ、ヘレナ」
「ああ、そんなことはわかっているよ、ティアナン。でも、あんたならフロリアンが無謀なことをする前に止められたんじゃないかい? あたしはあんたがフロリアンをわざと暴発させたように見えるんだけれどね。違うかい?」
ズーターのような小物と違って、ヘレナさんは胆が据わっている。
ぎろりと睨んだ目は、歴戦の兵もたじろぎそうなほど鋭かった。
「うむ、そうじゃな」
それに対し、
ズーターは虚を突かれて口を開けたまま固まっている。
その間に
「ヴァイスブルク家とともに生きるか、それとも抗うか。選択のときは来たのじゃ。そして、わしは抗うことを選んだ。ならば、今までのように国内で割れている余裕はない。ベールはヘルヴェティアの中心なのじゃからな」
「な、何を言うか、ご老人! わざとベール市長を嵌めたとあらば、これは問題どころでは……」
甲高い声で叫び出したズーターを、ヘレナさんが右手を挙げて黙らせた。
うーん、役者が違うな。
「アレマン貴族とは相容れないってことかい? ティアナン」
「いいや。東方からの脅威を考えたら、アレマン貴族との確執なぞ小さなことよ。じゃが、ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルク。彼奴はいかん。彼奴を皇帝にすると、魔王が来る前に彼奴自身が魔王になりかねん」
ヘレナさん自身もアレマン貴族の血が流れている。
だが、彼女は今までヴァイスブルク家に同調はしてこなかった。
それは、キーブルク家自体がヘルヴェティアの理念に賛同していたからだ。
それだけに、今回の強引な手法には納得のできないものはあるのだろう。
だが、何より彼女は現実主義者だった。
「ふん、いいさね。あたしらはティアナン、あんたに賭けたんだ。ヴァイスブルク家とルウム教会、いずれは対決するつもりだったんだろう?」
ヘレナさんの右手が、すぱんとズーターの頭を叩いた。
「覚悟を決めな、テオドール。ティアナンは、荒療治をしてでもヴァイスブルク家と対峙するつもりさね。もう、反対しているのはあんただけなんだよ」
「なっ……」
ズーターが小動物のように縮みながら左右を見回した。
当然、二人は
そして、フラテルニア市長のベルナルド・シュピリ、ルツェーアンの護民官リヒャルト・マティス、アルトドルフ市長シリル・ミュラー、ここまでは元々主戦派である。
「ドゥレモの兵の準備は完了しております」
ドゥレモ市長のミシェル・ギザンは、軍人出身らしく背筋を伸ばしたまま言った。
ズーターは狼狽えるが、ドゥレモ市長は元々マティス護民官に心酔している。
これは予想通りだ。
「南方の抑えは任せてくれよ。クウェラ大司教領はおれが何とかしてやる」
シドゥオン市長エンツォ・マルティネッリは、卓に足を投げ出したままへらへらと笑っている。
態度は悪いが、この男は契約したことは裏切らないらしい。
それだけの力も持っているようで、ルウム教会がクウェラから北上しようと様々な手段を行使してきても、老獪に防いできたそうだ。
「ヘレナのいいように」
シュヴァイツ市長のマルティン・オイラーは、実直そうな雰囲気を持っている。
だが、主体性はないようで特に自分の意見は表明しなかった。
「大勢がロタール出兵ならば、あえて反対は致しますまい。ですが、ヴァルテンはリンドス島遠征の費用が嵩んで今回は兵は出せそうにありませぬ。それだけご了承を」
ヴァルテン市長のペーター・リヒト。
ズーターは、ルウム教徒の彼に最後の望みを繋いでいたのだろう。
だが、自己保身に走った彼を見て、流石に心が折れたらしい。
がっくりと膝をつき、項垂れてしまった。
「では、決まりじゃな。ヘルヴェティアはロタール公国に兵を出す。編成はリヒャルトに任せよう。それとペーター、兵を出さない場合は兵站の負担を増やすから、出費額は減らんぞ」
「やれやれ、
賛成はしないまでも、ペーター・リヒトもヴァルテンを預かって評議員となっている男である。
かつて、ティアナン・オニールに付いてアレマン貴族に喧嘩を売った仲間なのだ。
フロリアン・メルダースやテオドール・ズーターのような積極的な敵対行為は見せなかった。
「決まったみたいだね」
隣で一緒に評議会を見学していたノートゥーン伯に声を掛けると、彼は小さく頷いた。
リンドス島に続き、再び戦争に参加することになるのだ。
しかも、今回は皇帝を決める戦い。
ぼくらはヘルヴェティア主力軍と離れ、直接エーストライヒ公国軍とぶつかる可能性が高い。
ノートゥーン伯といえど、緊張しているようであった。
「アラナン、この戦いは、誰を東方の防壁にするかを決める戦いだ」
じっと評議場を凝視したまま、伯爵が言った。
「ルウム教会は、ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクこそ相応しいと選んだ。確かに、器量で言えば彼が突出している。だが、
その言葉には、異様な重みがあった。
身動ぎひとつしない伯爵に、ぼくは何と声を掛けていいかわからず、立ち尽くした。
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