第二十二章 選帝侯会議 -2-
諸侯が到着し、選帝侯会議は明後日に開催されることになった。
ヴィッテンベルク帝国は、古代のルウム帝国の後継者であり、その皇帝位はヴィッテンベルク王、ラティルス王、ブルグンド王の三つの王冠を持つ者に与えられる。
帝国初期の帝権は強大であったが、その後有力なヴィッテンベルク諸侯が力を強め、独立性を高めていった。
皇帝の力が弱体化しても、領邦諸侯の力が確立しているヴィッテンベルクでは帝国自体の力は衰えなかったが、都市ごとに分裂しまとめる者がいないラティルスでは、その力を伸ばすことはできなかった。
そのため、ラティルスの諸都市はアルマニャック王国やスパーニア王国に繰り返し侵入され、ルウム教会も皇帝の保護を強く求めた。
権力を強めたヴィッテンベルク諸侯から見ると、皇帝が権力を拡大するのは望ましくない。
そのため、一時期皇帝は弱小の家系から選ばれるようになったが、ルウム教会からの要請が強くなると無視するわけにもいかない。
そこで擁立されたのが、レツェブエル家であった。
ボーメン王やレツェブエル公の爵位を保有していたレツェブエル家は、その強大な武力でよく東西の敵を抑え、ヴィッテンベルクとラティルスにつかの間の安寧をもたらした。
だが、ボーメン王をリンブルク家に分け与えた後は勢威が衰え、皇帝はラティルスへの介入ができなくなった。
ブルグンド王国もブルガンディ公とブルグンド伯に分裂し、皇帝が保有するのはブルグンド伯のみである。
ヴィッテンベルク諸侯からしたら扱いやすい皇帝になったと言える。
そして、アルマニャック王国やスパーニア王国との関係を改善したルウム教会も、今では皇帝のラティルスへの介入を望んでいなかった。
ボーメン王が新たな皇帝となれば、レツェブエル家とそれほど方針は変わらないはずであった。
リンブルク家はレツェブエル家の縁戚であるし、ボーメン王は先帝を支持していた。
若干聖修道会寄りになるであろうが、ルウム教会との対立までは想定していない。
それでも、ルウム教会はボーメン王を切って捨てた。
三人の聖界諸侯はエーストライヒ公を選び、安定した衰退より変化を望んだ。
お陰で、ボーメン王の支持派はかなり余裕を失うことになってしまったのだ。
ボーメン王の最大の支持者で、かつ聖修道会の擁護者でもあるザッセン辺境伯。
つまり、ハンスの父親であり、選帝侯の一人でもある大貴族だ。
世間の評判はかなり高いが、直接会った感じ切れ者とか遣り手とか、そういう感想は抱かなかった。
無論、それなりにやることはやる男なのだろう。
いまも、ボーメン王派の諸侯を集めて話し合っている。
だが、エーストライヒ公に感じたような圧倒的な迫力や、シュヴァルツェンベルク伯に感じたような悪寒はない。
要するに普通の範疇に収まる人であり、異常な人間ではないのだ。
その点ではボーメン王も同じだ。
彼が皇帝になれば、帝国は大きな波乱はないが歴史に埋没する時代を過ごすことになるだろう。
敵から攻め込まれなければ、ね。
その意味では、
そうでなければ、此処までの強さは身に付けられない。
だが、彼は悪辣な人間ではないし、政治的な話にはあまり向いていなかった。
剣に生きた男である以上、それは仕方があるまい。
一方、アルフレートの父親のブランデアハーフェル辺境伯は、つかみどころのない人物だった。
穏やかな雰囲気をまとっているが、それは本性ではない。
何と言っても、天才アルフレートの父親なのだ。
少し観察していると、この男も直感で行動や会話をしていることがよくわかった。
そして、ザッセン辺境伯は、その飛躍した論理に付いていけていない。
これが、ザッセン辺境伯がぼくを警戒した理由だろうか。
アルフレート以上の実績を上げるぼくに振り回されることを恐れ、ザッセン辺境伯は事前に牽制したのであろう。
だが、いまはザッセン辺境伯の堅実な発想より、ブランデアハーフェル辺境伯の突飛な意見の方が求められているのではないか。
普通の意見では、帝国宰相以上の条件など出てこない。
「いっそのこと、パユヴァール公を推戴すればいいんじゃないですか。ボーメン王も選帝侯に戻り、四票で決まりますよ」
ブランデアハーフェル辺境伯の意見は、本当に自由で奔放だ。
誰も想像もしてないような意見を出してくるが、流石に他の三人の同意を得られない。
「向こうがこちらに刺客を差し向けてくるようなら、逆にエーストライヒ公を斬ってきても宜しいが」
発想が脳筋だ。
「パユヴァール公に帝国を差配する器量などないぞ。エーストライヒ公は、本気で彼を宰相にするつもりなのか?」
腕を組んで考えていたボーメン王が口を開くと、ブランデアハーフェル辺境伯は肩をすくめて笑った。
「そんなはずはないですね。邪魔になれば、切って捨てる。それがエーストライヒ公のやり方でしょう」
「では、それをパユヴァール公に理解させれば──」
「理解できるほど頭はよくないでしょうね」
アルフレートの父親は、息子よりちょっと毒があるな。
それは、長く生きてきた経験のせいか。
しかし、このままでは時間がない。
午後には、ザッセン辺境伯とパユヴァール公の会合があるのだ。
このままでは、それが無意味な顔合わせになる。
「パユヴァール公は、それほど気概のある人物ではありません」
そのとき、諸侯の話に耳を傾けていた大男が、にこやかに笑いながら立ち上がった。
巨体に似合わぬ穏やかな笑みと言葉遣い。
見覚えのあるその男は、聖修道会の総主教であるウルリッヒ・ベルンシュタインである。
「わたしたちは、いざとなればパユヴァール公国の郵便と物流と魔物退治を止めることができます。そうなれば、パユヴァール公国が崩壊するのに半年とかからないでしょう。もし、彼が帝国宰相になり、エーストライヒ公が皇帝になれば──」
ベルンシュタイン総主教は、あくまで静かな口調で続けた。
「その規模が帝国中に広がることになります」
「商業ギルドにも手を回したのか」
ザッセン辺境伯はちょっと苦い顔をした。
彼は聖修道会の擁護者であるが、しかしそれはあくまでルウム教会に対抗するためなのだろう。
必要以上に教権が大きくなるのは好まないようだ。
「甘い顔だけでは、パユヴァール公が付け上がります。今後のことを考えれば、手綱は引き締めるべきかと。それに、こちらには、セイレイスの大軍を撃ち破り、
ベルンシュタイン総主教の言葉で、みんながぼくの方に視線を向けてきた。
流石に、もうその情報はみんな手に入れているようだな。
セイレイスの大軍がリンドス島に向かうと聞いて、多くの者はリンドス騎士団の敗北を想定していた。
まさか、セイレイスが
「そうだな」
ザッセン辺境伯は、経験を積んだ政治家の顔になって頷いた。
「よかろう。パユヴァール公を、ちょっと脅し付けてくる」
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