第二十二章 選帝侯会議 -3-
パユヴァール公の許に向かったザッセン辺境伯の護衛には、ぼくとハンスも同行した。
ハンスは
ハンスに対するザッセン辺境伯の態度は、厳格なところはあるものの普通の父親のものであり、特にわだかまりもなさそうだった。
息子を誇りに思ってそうな部分もあり、やはりぼくに初めに見せた態度は装っていたもののようだ。
試すのはもっと落ち着いているときにしてほしいものだ。
パユヴァール公の宿に着いたぼくたちを出迎えたのは、公の筆頭騎士ヴォルフラム・フォン・バーベンベルクである。
近い力量の相手に、ハンスも油断のない足取りで歩いているね。
でも、正直、ヴォルフラム卿が相手ならぼくはいつでも対応できる。
だから、警戒するのは彼ではない。
何処かに潜んでいる
宿の中に入ると、ザッセン辺境伯の足が止まる。
一階の食堂で、シュヴァルツェンベルク伯が、のんびりワインを飲んでいたのだ。
あからさまなプレッシャーに、ザッセン辺境伯は不快げに唸る。
シュヴァルツェンベルク伯は、とぼけたように右手を上げた。
「これは、ザッセン辺境伯。座ったままで失礼。此処のワインはブルゲンシャッハの赤でしてね。エーストライヒの味はまた、格別ですな」
エーストライヒは白ワインの方が有名だが、ブルゲンシャッハはその中では珍しい赤ワインの産地だ。
「チェス人がエーストライヒ公の走狗になりおって。ボーメン王を支えるのが筋であろう」
「残念ながら、ボーメン王は才幹に見合った報酬を用意できない御方でしてね」
シュヴァルツェンベルク伯は、ワイングラスを掲げるとにやりと笑った。
「新しい時代が来るのですよ、ザッセン辺境伯。家柄に縛られていた時代は終わりです。これからは、能力に応じて出世をしていく時代。旧き世代には、そろそろ退場願いませんとなあ」
「そうかもしれぬ。だが、貴様もまた、下の世代に逐われることがないようにな」
ザッセン辺境伯は、ちらりとハンスとぼくを見た。
ハンスは頷くと、一歩前に踏み出す。
「新しき時代は、わたしたちが作る。父上たちとともに。その前に立ち塞がるというなら、わたしはその障害を斬りひらく剣とならん」
シュヴァルツェンベルク伯はハンスを見つめたが、笑みは崩さなかった。
やれるものならやってみろと言いたげな表情。
ハンスに足許をすくわれるなど、微塵も思っていないのだろう。
「ハンス・アルベルト・フォン・ザルツギッターはぼくの親友だ。その歩みの傍らには、常にぼくがいることを忘れるな」
ハンスの隣に立ち、シュヴァルツェンベルク伯を見下ろすように言う。
「アラナン・ドゥリスコル──確かに、貴方は予測不可の因子を持つ存在。ですが、所詮まだティアナン・オニールの掌から出ていないのですよ。わたしの相手をするには、十年早い。それを、思い知ることになるでしょう」
「十年後を楽しみにしておくよ」
そう言い捨てると、ちらりと階段の方に視線を向ける。
シュヴァルツェンベルク伯にいつまでも関わっているほど、ぼくらは暇ではないのだ。
ザッセン辺境伯も、不快な表情を作りながら階段を上っていく。
それにしても、わざとらしい。
こちらの面会を知って、あえて待ち受けているのだ。
許可を出しているパユヴァール公にも腹が立つね。
向こうに味方する予定だと言わんばかりじゃないか。
「閣下、ザッセン辺境伯をお連れしました」
ヴォルフラム卿が二階の扉を叩く。
「入れ」
気だるそうな声で、部屋の中からパユヴァール公の返事が聞こえてきた。
この人、基本的に面倒くさがりなんじゃなかろうか。
部屋に入ると、中央の卓の奥にパユヴァール公の巨体が座っていた。
左右に五人の騎士が控えており、ヴォルフラム卿はその列に混ざる。
「一瞥以来だな、パユヴァール公」
ザッセン辺境伯はその無愛想な男に挨拶すると、卓の手前に用意されていた椅子に腰掛けた。
「最近はどうも暑くていかんわ」
パユヴァール公は冷たい果実水を飲むと、額の汗を拭った。
フランヒューゲルは夏でも猛暑にはならないが、彼のたるんだ体では汗も出よう。
「お互いの条件は聞いたか」
ザッセン辺境伯は、腹芸の得意なタイプではない。
鋭く冷徹な視線でパユヴァール公を射抜いた。
「エーストライヒ公の条件はルイーゼに教えてやっただろう。帝国宰相以上の条件があるか?」
「ないな。ボーメン王が皇帝になったとしても、卿を宰相にはしない。ルウム教会と直接対決することになるからだ」
「では、そういうことだ。エーストライヒ公は、上手く教会の手綱を取っている。シルヴェストリ枢機卿と組んでいるんだ」
「なあ、フェルディナンド」
唐突にザッセン辺境伯の口調が変わった。
感情のこもらぬ冷たい言葉から、親しみやすさすら感じる声になる。
「どっちが皇帝に選出されようと、結果どうなるかはわかるよな」
「やはり、戦いになるかね?」
「当然、不満に思った方が兵を挙げるだろう。恐らく動員はエーストライヒ公の方が多いだろうが──戦えば、ボーメン王が勝つぞ。フェルディナンド、お前はエーストライヒ公国を手に入れるか、敗れて死ぬか、どちらかの道しかないんだ」
「エーストライヒ公が負けるはずがなかろう。マヴァガリー、ポルスカ、ラーヘ・ランデン、スパーニア、それに聖界諸侯の兵がある。ボーメンは八方から囲まれ、潰されるぞ」
「フェルディナンド、お前はヴァイスブルク家が何故エーストライヒにいるかを忘れたのか?」
いきなり話題を変えたザッセン辺境伯に、パユヴァール公は目を白黒させたが、すぐにすっと目を細めた。
真面目な表情になったのだ。
「ヘルヴェティアを追い出されたからだ」
「そうだ。ティアナン・オニールにな。ヴァイスブルク家が本気になって総力を結集しても、
ザッセン辺境伯が指差したのは、ぼくであった。
「セイレイスの
パユヴァール公は、また汗を流しながらぼくの方を見た。
彼は億劫そうに体を背もたれから起こすと、ヴォルフラム卿を手招きした。
筆頭騎士は畏まってパユヴァール公の隣で膝を突いた。
「ヴォルフラム卿、卿はあのアラナン・ドゥリスコルと戦って勝てるか?」
ヴォルフラム卿は思慮深い眼差しをぼくに向け、そして小さく首を振った。
「いいえ、閣下。わたしでは、一秒と持たないでしょう」
「この部屋の六人全員で掛かったらどうだ?」
ヴォルフラム卿は微笑すら浮かべて言った。
「閣下。六人全員で掛かっても、彼が本気ならばやはり一秒と持たないでしょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます