8
「なんだ、こいつ……」
「マツリさん……」
とある実験室。今目の前で起きたことに河口、松田は絶句した。室内は騒然としている。
「何が起きたんだ……」
騒ぎを聞きつけてやってきた時雨があたりを見渡すと、砕け散った機械のかけらが、床をえぐって埃を舞わせていた。その部屋の中心で、マツリは目を閉じたまま座っている。
「なんの実験をしていた?」
「
「精神限界値は」
「突破していませんでした。しかし、一瞬だけゾーンレッドを示しました。その瞬間……」
「こうなったというわけか」
時雨がマツリを見下ろした。
「……やはり、この少女が、ヌメロゼロだった」
河口はその言葉を聞くと、俯いて顔を背けた。なぜだか、直視したくなかったのだ。
「脳波をもう一度測定しろ。なにかしらノイズがあるはずだ。それから、松田」
「はい」
「ゾルバのメンテナンスが難航してる、一度あちらのプロジェクトにまわってくれ」
「はい」
松田は頷くと、周りに指示を出し、部屋から出て行った。
「……マツリさん」
今度はうなだれているマツリに向かって、時雨は声をかける。
「解ってて帰ってきたのか?」
その問いに、マツリは目を閉じたまま何も答えなかった。
砕け散った壁の破片達や抉られた床を見たくなかったし、自分の意思とは関係ない感情が吐き出された後の体は、しようもなく震えたからだ。
夜、メグが来なかったことに安堵した。ドリーが頼んだ通りに来るなと伝えたのだろう。また、
いまだにマツリの手は震えていた。
感情を弾き出した後のこの感覚。力が体に入らない。心の一角が空っぽになったように感じる。体が重く、ぐったりとする。
そんな時、河口が食事を運んだきた。
「遅くなった」
一応詫びたつもりなんだろう。
マツリは無言で顔を上げた。
河口は机に食事を並べながら、マツリのほうを見ずに呟く。
「修理代、莫迦にならないんだとよ」
「……すみません」
「暫らく感情挿入はない」
「分かりました」
「……自分が何をしたか、はっきり分かるか?」
河口の問いに、マツリは少し考えこんだ。言語化することが難しかったから。
「風……」
「風?」
「身体から、風のような、透明で、ものすごいスピードの大きな力が、弾き出されるんです」
「悔しいと思ったら?」
挿入されていた感情は『悔しさ』だった。
「なんでも」
「なんでも?」
「特定の感情に反応するんじゃない」
「……他のブラックカルテとは、少し違うな」
河口は言ったが、マツリは黙っていた。
「明日は、何をするんですか?」
「他のブラックカルテとは違うからな、ちょっとまだ対応策はでてないらしい。ただ、あの力の正体を知りたいから、後日装置が直ればもういちど感情挿入……あ、明日以降、定期的に脳波を測定するな」
「……なんだか今日はお喋りですね」
「そうか?」
河口は驚いたようだった。自分でも意外だったのだろう。
「訊いていいですか」
「なんだ」
「河口さんが、もし、ブラックカルテだったら、どうしてました?」
「……」
沈黙、の後、彼は口を開いた。
「俺は、だ」
「え?」
「俺は、だぞ」
念を押すように。
「はい」
「死ぬだろうな」
――ああ。もう、たくさんだ。
18話 終
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