「ただいま……」

 マツリが呟いて家の敷居をまたぐと、メグも一瞬躊躇い顔をして家にあがった。

 警戒のため電気も付けず、そろりとマツリの部屋までたどり着くと、二人は砕けるように座りこんだ。どっと疲れが身体を襲ってきて、しばらく放心する。

「……平気か」

「うん……」

「国光で何されたか……訊いていいか」

「……PPPっていうの、やったよ。ノイズを入れるってやつも。それから、記憶の……――」

「……掘り起こされたのか」

 メグがぐっと拳を握ったのが分かった。その経験はきっとメグにとってもむごいものだったのだろう。

「ううん。途中まで。……私、なんか進まないみたい」

「…………」

「よっぽど思い出したくないものが……あるんだろうね」

 マツリが悲しい顔で笑い、俯いた。

「……思い出せねぇなら、いいだろ」

「うん……」

 涙が出そうだった。

「でも、知りたいから……」

 声が揺れた。

「自分のことも、お父さんのことも、知りたいからあの場所へ行ったのに。メグを国光から解放したくって、行ったのに……。私……なんにもできなかった」

 得た答えは、結局、正体不明の沈黙だけだった。

「メグ」

 マツリは黙ったままのメグを見つめた。薄闇の中でかすかに見えるその顔は、相変わらず可愛らしい顔で、ずっと頭で描いていた顔で、胸が苦しくなった。

「ごめんね……」

「謝るなよ」

「違う」

 泣きそうだった。

「違うの……ごめん……」

 俯いたマツリの結われた髪が揺れた。なんで謝ってるのかも、マツリ自身分からなかった。ただ、無力さと不安でどうにかなってしまいそうだった。それが、際限ささいげんなく続く大きな闇のようで、足がすくんだのだ。

「……メグ?」

 マツリは再び顔を上げた。メグが急に立ち上がったのだ。

「相変わらず、殺風景さっぷうけいな部屋だな」

「メグの部屋だって変わらないでしょ」

「いや、なにかしら無駄なものはあるぞ。此処よりは」

「……やらしい雑誌とか?」

「ねぇよ!」

 そんなに怒らなくても、とぼんやり考えながら、マツリは欠伸あくびをした。

「疲れた……よな」

「……んー」

 あの施設からここまで、数時間かけて歩いて帰ってきたのだ。全身が気だるく、ひどい眠気だった。

「しゃーねー。俺は一階借りるぞ」

「あ、布団あるよ」

 マツリは押入れから布団を引きずり出すと、ばさっと床に落っことした。

「……一階っつっただろ」

「此処で寝なよ」

「手は繋がねぇぞ……」

 距離を取る。

「じゃあ、今繋いで」

「はぁ?」

 せず、メグは声を荒げたが、マツリは真剣な目をして右手を差し出した。

「……っとに」

 バシっとメグがマツリの手を握ると、またしてもマツリは繋いだその手を見つめて黙った。メグもつられて黙りこむ。すると彼女の大きな目から、一つ、二つ、大粒の涙が落ちた。

「マ……っ――」

 ドキッとした。彼女の顔は無表情に近いのに、丸い眼から大粒の涙がどんどん溢れ出ていた。


 ――メグの手は、あったかくて、苦しい。

 だからかな。なんでだろう。き止めていた何かが急に流れ出した。

 本当は怖かった。

 あの場所で鉄格子から見える月を見るたびに、泣きそうだった。

 目が覚めて、手に温もりが残ってないことが悲しかった。

 この手がメグと繋がっていないことに、落胆らくたんした。

 メグの手に触れたいと、願った。

 こういう感情がなんなのか、分からないけど。


 どうしても込みあげてくるこの熱い涙を、マツリは止めることができなかった。

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