「今日も昨日の検査の続きです。体の調子はどうですか?」

 松田がマツリを見て優しく尋ねると、マツリは頷いた。

「大丈夫です……」

 松田は何も言わず、にこりと笑った。マツリのその言葉が嘘だと分かっていたからだ。

「……拒絶反応だけは、気を付けてください」

 松田が緑堂リョクドウに小さい声でそう伝えると、緑堂はコクリと頷き、機械をいじり始めた。松田が一礼して部屋から出て行く。

「始めます」

 小さく唸る機械音を聞きながらマツリはゆっくりと目を閉じた。

 ――ああ、また、俯瞰ふかんへ打ち上げられてしまう。

 チクリとした点滴麻酔の痛みも、頭の中で溶けて、だんだん目の前が見えなくなる。

 その瞬間。どういうわけか昨日の時雨シグレの沈黙を思い出した。

『私は、化け物だと思いますか』

 この問いに、結局答えてもらえなかった。

「メグ……」

 いよいよ微睡まどろみに落ちる時、無意識に、声が出た。


 あぁ、そうだ。今日やっと、会えるんだ。

 メグに。

 会えるんだ。


 ***


「うっごかねぇなぁ……!」

 河口がイライラして言った。

 かれこれ三時間だ。マツリに麻酔の針が刺さってから。

「井上!」

「はい」

 井上が振り向く。

「レッドでも指しましたか」

「んなわけねぇだろが。そっちは……――」

「そうですか?」

「……?」

 井上の言ったことが不可解だった河口は、怪訝けげんな顔をして井上を見つめた。

「あの子、すごい汗ですよ」

「は?」

 ばっと慌ててマツリを見て、河口は驚いた。

「……!」

 マツリの横たわる台に滴る汗。それは尋常な量ではない。

「ち……!」

 河口はマツリの側へ駆け寄り、迅速じんそくな手つきで手首を取った。

「河口! 動かしたら……――」

 緑堂が慌てるが河口は聞く耳を持たず、手際よくマツリの脈を取る。

「脈は表示数値どおり……正常だ。呼吸も、正常。熱もない。……なんだ、この汗は」

「河口!」

 緑堂が声を上げた。

「緑堂! とりあえず止めろ!」

「!」

「なにかおかしい!」

 緑堂はすぐに機械をいじり、システムを強制終了した。

 機械が一声唸って無音を奏でだしたのを確認すると、緑堂はマツリと河口のもとに駆け寄った。

「……数値は、正常だったんでしょう?」

「あぁ、だが、この汗の量。半端じゃねぇ」

「一体どうして……」

 河口は舌打ちをした。

「今日はあいにく松田さんが居ねぇ……。おい! 大丈夫か!」

 パチパチとマツリの頬を二度叩く。

「……ん」

 小さい声をこぼした彼女は、しかし、目を開けなかった。

「意識はないでしょう。まだ麻酔が効いてる」

「っとに……! こいつ、世話のかかる!」

 河口はぶっきらぼうに吐き捨てて、すっくと立ち上がった。

「井上! 時雨さんに連絡!」

「あ、言い忘れてました。時雨さんも、今日大阪出張で、いないんですよ」

「はぁー?」

「ま、連絡はつけてみますけど」

 井上は耳と肩で携帯を挟みながら作業を続ける。

「はー、なんだよ責任者とチーフがいねぇと、こういう特殊な場合困るんだよなぁ」

 河口がガシガシ頭をかいた。

「とりあえず、時間をおきましょう。……今すぐ点滴用意、部屋は三階。あぁ、そうだ。頼む」

 緑堂は備え付けてあった電話の受話器を取って冷静に指示を出すと、息をついて再び河口を見た。

「どうしました?」

 河口が黙ったままマツリを睨らんでいた。

「……こいつ、本当に大蕗 奔吾オオフキ ホンゴっていう人の娘なのか?」

「あぁ、そうなんでしょう。眼とかそっくりらしいし」

「へぇ?」

 こんな何も見てないようで、何もかもが見えていそうな不思議な目をした人間が、二人も? と河口は思った。

「……本当にこいつは、ヌメロゼロ……なんだろうか」

「……? 河口さん?」

「いや。行くぞ、部屋に運ぶ」

「はい」

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