第15話:さぁ、謳え。謳え。今日を。

 さぁ、うたえ。うたえ。今日を。


「今日、か」

 椎名はふっとため息をついた。とある病院の白い廊下を歩く。久しぶりにまともに消毒された白衣を着て。

「椎名さん」

 呼び止められ、顔を上げた。するとそこには見知った男が立っていた。

「本当にこのプロジェクトに参加されるんですね」

「……風間カザマ。久しぶりだな」

「えぇ」

 一緒に歩き出す。風間、彼もまた綺麗な白衣を身に羽織る。椎名 梓シイナ アズサの大学の後輩だった。

「なぜ此処に?」

 確かめるように椎名が問う。

「そりゃ、俺もこのプロジェクトに参加するからです」

「……お前、病院はどうした」

「しばらくの間、閉じましたよ。ご心配なく」

 風間は笑った。椎名はそんな風間の顔を見つめ、瞬きをした。

「でも今でも驚きですよね。まさか椎名さんが首席で大学を出るなんて」

「……あぁ。お前も、いい成績で出たんだろ。俺の翌年」

「首席は無理だったけど、そうですね。満足はしてます」

「で、親のあとを継いで町医者になったお前が、なぜこんなふざけたプロジェクトに参加してるんだ」

「くどいですよ。なんだっていいじゃないですか」

 椎名は眉をひそめた。

「変わったな」

「変わりますよ」

「…………」

「人間なんて、生きていれば変わるものです」

 大学時代のこの男は昔、もっと澄んだ目をしてた。

 人間なんて、染まろうと思えばどんな汚い色にも染まれる生き物だ。


 ――なぁ?


 椎名は窓ガラスに映った自分の姿を見て、自嘲じちょうした。


 ***


「あれ、先生はぁ?」

 集合場所にやってきたリョウが、メグを見つけて開口一番に問う。

「行った」

「あ、なんか研究か。優秀な人らしいもんねー」

 見かけによらないが、椎名家のせがれと入れ替える価値があると判断される程度には実力はあるのだろう。メグは頷いた。

「リョウ、お前……ほんとに」

「行くよ」

 即答だ。取りつく島もない。

「ねー、メグ」

「ん?」

「メグも国光くにみつに関係あるんだよね。国光の施……病院とかにいたの?」

「……あぁ」

「じゃあ、この人知ってるー?」

 リョウが写真を取り出してメグに見せる。

「……知ってる」

「そう……」

 リョウは笑った。いつもの輝くような笑顔ではなかったが。

「良かった。生きてるんだ」

 明るい声はどこか乾いていた。

「メグはさ、国光に知り合いとか友達とかいるの?」

「…………」

「ま、国光とは良い関係じゃなさそうだもんね。そんな特別な人できっこないか」

「……いる」

 メグの茶色い髪がゆらっと揺れた。明るい色が空に映える。

「いるよ。だから俺は、離れられない」

「…………そか」

 意味深にそう言ったメグに、リョウは笑みを消した。

「ずっと思ってたんだけどさぁ」

「なんだよ」

「メグに、マツリがいて良かったね」

 メグは顔を上げ、彼女の明るい顔を見る。

「マツリに、早く会いたいね」

「…………」

 なんて屈託のない顔で笑うんだろう。なんて強い意志で生きてるんだろう。なんで笑える? なんで怖くない? この女は、なんでこうあれる?

 メグは黙ったまま、逆光の中のリョウを見つめた。

「お前は……あいつに会いたいから、来るのか?」

 メグが問うと、リョウは首を振った。そして歩き出す。

「……ううん。あの人とは、もう十年くらい会ってないから。きっとむこうが私に気付かないと思うしね」

「そか」

 先ほどとは違い、あっけらかんと笑うので、なんだか拍子抜けする。

「それより、もう向かうでいいの? 白昼堂々はくちゅうどうどう奪還だっかん?」

 リョウがメグのほうに振り返る。

「や、あっちでいろいろ準備がいる。新しい監視役が俺の居場所を把握する前にかねぇとなんねぇし」

「ふーん。監視役、ねぇ」

 結局の所、メグが何故国光なんかに監視されてるのか、リョウは知らないままだった。けれど、事情を尋ねたところできっと教えてくれないことも分かっていた。

 そして、そんなことよりも、理解しておきたいことがあった。

「……ねぇメグ。私ずっと思ってたんだけど」

「ん?」

「マツリって、何者なの?」

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