第11話:ブラックカルテ ヌメロゼロ

 騒動の翌朝十時の保健室。携帯がけたたましく泣き叫ぶと、椎名は眉をひそめて嫌々起き上がった。

「……寝不足だっつのに」

 そして通話ボタンをタップ。

「はい」

 長い金髪を手櫛てぐしでとかしながら耳に携帯を当てる。

「えぇ、そうですか……。楓は……はい。……さすがですね。あなた方の跡形もなく事件を隠蔽いんぺいする能力には舌をまきますよ」

 いっそ皮肉にも聞こえる賛辞に、相手は笑ったようだった。

「……大蕗 祀オオフキ マツリですか? えぇ。いいえ。まだ……。はい。分かりました。なんにしても楓の件は……。分かりました。では、また」

 携帯を耳から離し、椎名はため息をついた。

 ――もう一山、ありそうだ。


 ***


 手は絡んだままだった。


「……!」

 眼が覚めた瞬間、マツリは無言で飛び起きた。

 ばさっとした髪の毛は、寝る前に乾かさなかったからだ。マツリはふと握ったままの手を見た。メグはまだすやすやと眠っている。朝の光がカーテンから漏れて白っぽい。だけど、優しい色に見えた。

 部屋を見渡しても椎名はいない。メグの手当だけして帰ったようだ。寝ている人間の手当は大変だっただろう。

 マツリはメグの手をほどく気になれなくて、そのまま黙って彼の顔を見つめた。相変わらず可愛い顔した少年だ。さらさらの髪の毛がなんだか愛おしい。起こす気にもなれなかった。


 ――久しぶりにこんな風に目が覚めた。

 ずっとまどろんだ朝を迎えていた。だけど今は違った。色々なことがはっきりと思い出せた。目を逸らしてしまいたい傷も、その傷を舐めあうように抱きしめあって泣いたことも。


「……ありがとう」

 マツリは小さく呟いて、メグの額に優しく自分の額を寄せた。そしてしばらくの間、目を覚まさないメグの顔を見つめていた。


「……。いっ……!」

 しばらくしてメグが目を覚ますと、意識とともに戻ってきた肩の痛みに声を漏らした。同時に左手に他人の手が絡んでることに気がついて、はっとマツリの顔を見る。

「おはよう」

「……うっ、え!?」

 マツリが声をかけるとメグは変な声で驚いて、忙しくあたりを見渡した。

「椎名は!」

「いないよ。帰ったみたい」

「そっ……、そうかよ」

 メグは再び繋がれた左手を見て、ぐっとその手を引き抜こうとした。

「……な、なんだよ……っ」

「……なんでもないけど」

 しかしそれは叶わない。マツリが繋いだ手を離してくれなかったからだ。

「なんか、恋人みたいだね」

「はぁッ!?」

 ――そんなに大きな声を出さなくても。

 マツリはびりびり揺れる鼓膜に小さな痛みを感じながら、表情を変えなかった。

「なに」

「なにってお前なぁ……!」

 確かに。マツリが着ている服はメグのシャツだし、目を覚ますと手を繋いでいたこの状況を見てそう感じるのは自然かもしれない。けれど、改めてそれを口に出して言われると、胃のあたりがくすぐったいではないか。

「メグ」

「なんだよ……!」

 照れ隠しで声を荒げたメグだったが、彼女のその言葉にはっとした。

「……お前、俺のこと……わか――」

「ありがとう。来てくれて」

 朝のぼんやりとした明るさの中でマツリが柔らかく微笑むと、メグの心臓はぎゅうっと締まった。

「……ごめんな」

「?」

 マツリが首を傾げる。きっと、あの日メグが手を払って傷つけたことは思い出せていないのだろう。

「覚えてねぇならいいんだ。でも、ごめんな。マツリ」

 メグがうなだれるように頭を下げたので、マツリは何も言わずに頷いた。そして互いに昨日の出来事を思い出し、ぎゅうっと繋いだ手を強く握りしめた。


 それは、懺悔ざんげで、祈りで、慰めだった。

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